素朴な疑問

近衛隊長の任に着いて、いったい何年が経ったのだろうか―――


魔女王城の夜。女王さまの部屋の周りをぐるりと見回りながら、私はふとそんなことを考えていた。

おかしな話だ。

感慨に浸るなど私の性に合わないはずなのに、いつの頃からか、余計なことを考えるようになってしまった。

いつ?‥‥そういえば、あの子供たちが来たころから、か。

「本日の謁見は終了しております。できましたら明日再度来られますよう‥‥」

「すぐにお会いしたいんだよ。どいとくれ」

ん?‥‥正面の門のあたりが騒がしい。この夜中に何事だろうか?

私は帽子をかぶりなおすと、物思いを振り切って門へ急いだ。

「どうした、お前たち」

門の前では、深夜勤務の門番二人が困った顔をしていたが、私の顔を見るなりすがるような目で訴えてきた。

「あ、マジョリンさま。あの‥‥マジョハートさまが女王さまにぜひお会いしたいと おいでになっているのですが‥‥」

なるほど。相手が宮廷魔女医師では無下にもできないだろう。門番も災難だ。

「マジョハートどの、門番を困らせるのはやめて頂きたい。 女王さまの謁見時間はご存じのはず。今夜はお引き取りを。
 かわりに明日、一番にお会いできるよう手配させて頂く。 それでよいでしょう?」

私はため息混じりに言った。こういう場合は、自分の非常識さをちゃんと認識させれば落ち着くものだから‥‥

「それじゃ遅いんだよ!そこどいとくれ!!」

‥‥『普通は』落ち着くものなのだが。

私は少しばかりムッとしたが、相手は宮廷魔女医師だ。問答無用というわけにもいかない。

「なりません。無理強いされるようなら、いかに宮廷魔女医師と言えども 容赦するわけには参りません」

少し口調が厳しくなりすぎたか、と思ったが私も女王さまを護るのが役目。 あとへは引けない。

くちびるをぎゅっと閉ざした魔女医師の、次の出方を伺っていると、

「おやめなさい!」

凛とした声が、夜の玄関に響き渡る。

廊下の角から現れたのは、夜着にガウン姿の女王さまだった。

「は、女王さま、これは‥‥」

「マジョリン。役目ですから責めはしませんが、魔女医師としてのマジョハートは いつでもわたくしに会う権利があります。
 謁見の間にお通しなさい」

私は内心、矛を収めるきっかけができてほっとした。

「は。‥‥では、こちらへ」

「行き方くらいわかってるよ」

彼女は星模様の赤い頭巾をぽんぽん、とはたいて歩き出す。

思わず歯噛みした私の肩に、そっと細い指が置かれた。

「マジョハート。マジョリンにも立場というものがあります」

魔女医師は靴音高くその場に止まると、直す必要のない頭巾をいまいましげにいじりながら、私に向きなおってぼそっとこぼした。

「ふん‥‥じゃあ案内を‥‥たのもうかね」

「こちらへおかけ下さい」

謁見の間。特別に用意した椅子に彼女は腰かけた。

「ありがとうよ。‥‥さっきは悪かったね、ちょっと取り乱しちまって」

「いえ、お互い役目ですから」

静かにはなったものの、やはりいつものマジョハートとは違う。

椅子に座った後の彼女は、じっと考え込むかのように目を閉じたままだ。


しばらくして、彼女はおもむろに口を開いた。

「あたしはね、その役目を辞めに来たんだよ」

「なんだって!?」

私は彼女の顔を覗き込むようにしてみた。けれど魔女医師は、閉じた瞳を

明けようとはしなかった。

「きょう、健康診断があったのは知ってるだろ。あの人間の子供たちが合格しなかったのも」

「ああ」私はうなずいた。

私自身は赤子を育てたことなどないが、マジョハートの健診がかなり厳しいものだとはよく聞いている。子供たちが‥‥まして人間が合格しなかったくらい、いまさら驚くことではない。

「そう、たしかに合格しなかったさ。 なにせあの子供たちときたら―――
 ハナの鼻水を拭き取るために制限時間をオーバーするわ、
 おばけに脅えるハナを抱えて森から全力で逃げ出すわ、
 鳥のヒナを母親に会わせようと散歩の道を逆行するわ、
 あげくの果てにはハナが疲れるからといって川べりで休んでリタイヤするわ‥‥」


ダンッ!!


肘掛けに打ちつけられた彼女のこぶしは白く、かすかに震えていた。

「どこが悪いっていうんだい!? 母親として、一つだって間違ったことなんかしてないじゃないか!」

私は息をのんだ。

「八太郎夫婦の言葉に助けられたのはあの子供たちじゃない。あたしの方さ」

八太郎夫妻がかばった話は私も聞いている。口さがない魔女たちの間では、タコの手は多いから何度失敗しても救ってもらえる、などと笑いものになっていたが‥‥まさかそんなことがあったとは。しかし‥‥

「たった‥‥それだけで、辞職すると?」

私には信じられなかった。職務こそ違うけれど、自分の職に誇りと情熱をもってあたっていた彼女は、私の目指すべき魔女だから。

その思いが、彼女にもわかったらしい。私の目をじっと見て、こう言った。

「あの瞬間からね、あたしは自分に疑問が沸いたんだよ。 あたしは今まで、どれだけの間違いをしてきたんだろう、ってね。
 ‥‥いや、それどころじゃない。これからどれだけの間違いをするんだろうかね。 そう思ったら、もういてもたってもいられなくなったのさ」

「し、しかし、ハナの検診が‥‥」

私は慌てて言葉をつむいだ。なにか言わねばならない。そんな気持ちだけが頭を駆け巡っていた。だが、

「ああ。あの子たちの診断は、魔女の常識を一度外したほうがいいのさ。

 あたしなんかよりもっと若くて、考えの固まってないのを探してきたがいい」

もう次の言葉は出てこなかった。

「遅れてすみませんでしたね。マジョハート」

私ははっとした。マジョハートどのの言葉に圧されて、女王さまのお出ましに 気付かないとは、なんとうかつな‥‥!

「じょ、女王さまの‥‥」

到着を告げる一声を女王さまがおさえた。

「深夜ですよマジョリン。略礼で構いません。
 マジョハート、話は聞きました。謁見の内容はそれですべてですか?」

「はい」

低く、固い声が、謁見の間に響き渡る。

「わかりました。マジョリン、マジョハートを解任します。書類をお持ちなさい」

私は一歩前に出た。不敬は承知している。けれど言わねばならない。

職分を越えてでも、私は‥‥

「女王さま、しかし‥‥」

「早く書類を」

静かだけれども、なにもかもを圧する一言。わたしはただ黙って、規定の書類を 持ってくるしかなかった。

さらさらと、女王さまの手が文字を産み出して行く。無骨なわたしや熟練したマジョハートさま とは違う、たおやかに流れるような動きは、わたしには望んでも得られない もののひとつだ。

けれど今その手が産み出しているのは、マジョハートの解任状なのだ‥‥

「ではマジョハート、本日ただいまを持って、宮廷魔女医師の任を解きます。よろしいですね?」

女王さまの声はいつもと変わりなかった。私はなぜか、それがとても悲しかった。

「ありがとうございます。では、失礼を」

腰を上げた魔女医師は、ずいぶん歳をとってしまったように見えた。

「‥‥どこへ行くのです、マジョハート?まだ終わっていませんよ」

「‥‥は?」

驚いたのは私だけではなかった。あとから考えると間抜けだが、

私たち二人ともなかば振り返った状態で止まってしまっていた。

「これから就任式です。医師マジョハート、あなたを新しい宮廷魔女医師に任命します」

「なんだって!?」

「じょ、女王さま?」

玉座の前に駆け寄った彼女は膝をつくことも忘れていた。残念ながら私も人のことは言えない。

女王さまは私たち二人を交互に眺めてから、ゆっくりと仰せになった。

「自分の間違いをまっすぐ見つめるあなたを、わたくしは信じます。
 悩んだらいつでも辞めにいらっしゃい。あなたがいつも 赤ちゃんを一番に考える医師であるかぎり、わたくしは何度でも 任命してあげます。
 どれみちゃんたちといっしょに、成長しましょう。わたくしたちも―――」

しん、とした。私はあっけにとられていたし、マジョハートは下を向いて黙っている。


ふふ‥‥


たった三人だけの謁見の部屋に、ふとかすかな音が響いた。


くっ、くくく‥‥


音はだんだん大きくなる。同時に目の前の頭巾が震えはじめた。

震えはだんだんと大きくなり、ついに肩まで達したとたん、 がばっと上げられた顔から、大音響が響き渡った。


あはははは!あっははは!


「マ、マジョハート‥‥!」

女王さまの御前で大口を開けて笑い続ける彼女に、私はそれ以上言葉が出なかった。

すぐに気をとりなおして無礼を咎めようとした私を、たおやかな右手の一振りがおしとどめる。

「はは‥‥そういうことかい。あんたがあの子供たちを気にかける理由がやっとわかったよ。
 ―――いいさ、だったらあたしも付き合ってやろうじゃないか。とことんね」

ヴェールの影で女王さまはにっこりと笑っていた。

新しい宮廷魔女医師に、それから‥‥私にも。

私は口の中で笑いを噛み殺した。そうでもしなければ彼女のように笑いだしてしまいそうだった。

いつか、この笑いがこらえられなくなる日が来る。そんな予感がした。

「どうだい?」

マジョハートの診療室では、魔女医師がペンを走らせていた。静かな部屋に、カリカリ、というペンの音が軽く響く。

「はい、ほとんどの赤ちゃんがハイハイできてますぅ」

「あ‥‥アタリメコちゃんがちょっと遅いですねぇ」

答えたのは看護婦姿の若い二人。一日中この姿というのは職務に忠実と言えなくもないが‥‥私の見るところ趣味の部分の方が大きいように思う。

「ん?全然だめなのかい?」

顔を上げた医師の額に縦じわが寄る。それでもペンの音が止まらないのはさすがと言うべきか。

「いえ〜、遅いだけですぅ」

彼女はそののんきな言葉に目だけで呆れていた。

「まぁタコ一族とイカ一族の赤ちゃんだからね。先に泳ぎを覚えるのが当たり前だろうよ」

「そうそう、泳ぎはすっごく上手みたいですよ」

「さすがですぅ」

「そうかい。じゃ、プールも用意しておいたほうがいいかね。

 あとは‥‥」

響き続けていたペンの音が、この瞬間ぴたり、と止まった。

「‥‥ハナはどうだ?」

看護婦二人は顔を見合わせて、

「さぁ〜」

「人間界のことまでわかりませんよぉ〜」

ふぅ、とため息をつくマジョハートの姿からわざと目をそらしながら、私は扉を開けつつ声をかけた。

「ハナなら数日前にハイハイをはじめた、とデラが言っていたが」

「?マジョリンか」

視線が集まるのを感じたが、私はあえてだれとも目を合わせなかった。

「余計だったか?」

「いや」と言いながら彼女はあごに手をあてて

「数日前、か‥‥」

また額に皺を寄せる。私は自然に緩みそうになる口元を無理に引き締めた。

「デラが言うには、家中あちこち歩き回って、あの子供たちも追いかけるのに苦労したらしいが」

瞬間、彼女はにやっと笑った。自信たっぷりの顔にいたずらっぽい瞳。

これこそ私が目標とすべきひとだ。

「‥‥それじゃ健診は予定通り、次の日曜だ。さぁ、準備にかかるよ!」

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