三月十四日 空ヨリぴえろ


三月に入ると、ちょっとだけ、春。

あったかいお陽さまを受けて、ちょっと冷たい空気を押しのけながら、 あたしは河原の方に歩いてるとこ。

ひと月前まで、河原には泣くときしか行かなかったのに、いまは 踊りながら歩いてる。ふしぎなかんじ。

二月の十四日。あの日からみんな変わっちゃった。 ともだちの少なかったあたしに、ふたりもできちゃったの。

ひとりは同じクラスの桂くん。おなじ料理部で、あたしの好きなひと。 その桂くんにチョコあげるきっかけを作ってくれたのがもうひとり、 ずっと年上のひと。

とってもふしぎな、ふしぎなひと。


河原のすぐそば、アパートの二階。ここにあの人がいる。 ふしぎな人が。

「こんにちはぁ、鉄生(てっせい)いる?」

……あれ?誰もいないの?

奥に入ると、大きな人形があった。長い棒をまっすぐにかまえた、人形…


───ううん、ちがう。

「鉄生、何やってるの?」

人形が、動いた。

「おお、和子(かずこ)くんか。
なに、ここのところ体が(なま)っておるでな、 ちと運動をしておっただけじゃよ」

そう、この人が鉄生。 2mの体と、顔から見たって30までいってない はずなのに、しゃべりかただけがおじいちゃん。

これだけでもふしぎなんだけど、それだけじゃないんだよね。

「泊まってゆくのかね?」

こくん、とあたしはうなずいた。

ここのとこ、家におとうさんおかあさんがいないときには、いつも 泊めてもらってるの。

やっぱり、ひとりじゃちょっとこわいから。

「うれしいのぉ。またうまい食事ができるわ」

こう言われると、悪い気しないわよね。 学校じゃ料理部だし、ちょっと自信もあるけど、自分ひとりで食べてると やっぱりつまらないから。

「うん、ちょっと待っててね。いま作るから」

あたしは、たんすからエプロンを取り出して、キッチンに向かった。

もう慣れたからいいけど、ここにはあたし用のたんすもあるんだよね。 エプロンにねまき、それから…下着まで。

必要だから、置いてあるんだって。 べつに変なことしてるわけじゃないし、いいけどね。 …商店街に買いに行くのだけやめてくれれば。


さぁて、何を作ってあげようかな?


三月十一日、曇天。


目覚めてまず目に入るのは部屋の風景。 次に窓の外の景色。習慣として、常に確認することにしている。

いつもの河原と、いつもの町並み。変わらない景色。 今日も、私はここにいる。

一昨日(おととい)明日(あした)昨日(きのう)。 昨日の明日は今日。 では、今日の明日は───?


気がつくと、無意識のうちに首を振っていた。 私は着替えを済ますと、部屋の扉を開けた。


居間に出て、棒を振り体をほぐしていると、和子くんが起きてきた。

「早いの。今日は休みじゃろう?」

寝間着(ねまき)のままの和子くんは、なにやら(ほう)けているように見える。

「うん…なんか、変なの。目がさめちゃって」

几帳面(きちょうめん)な彼女が、この格好で寝室を出てくるとは。 たしか中学二年…十四歳であったか。この年頃の女性には一種一流の勘が 働くと聞いたことがある。悪いことがなければよいが。

「どうせ起きちゃったんだから、朝ごはん作るよ。ちょっと待っててね」

…ま、この家にいる限りは問題あるまい。なにかあれば、私がいる。


ぴろろろろ…ぴろろろろ…


はて、何の音だろう?少なくとも私の知る限り、この家に こんな音を出すものはないはずだが…

考えていると、和子くんが走ってきた。

「ごめん、あたしだよ」

おたま片手に寝室に駆け込むと、何かを耳にあてて歩いてきた。 それに向けて、なにか語りかけている。


(携帯電話)


頭の中に響く声。そうか、遠話の一種か。しかし、線が見えない。


携帯・・ 電話)


わかったわかった。

こやつは色々と教えてくれるのは良いのだが、頭が固くていかん。 一生の付き合いだから、我慢しなければならないのだが…

「お父さん、足折っちゃったの!?」

和子くんの大きな声が響く。どうやら、まわりのことがわからないほど 驚いているようだ。

「でも、一美のお父さんって、マジシャンでしょ。舞台は?」

マジシャン?…ああ、奇術師か。 先に居た町ではかなり大きな奇術師集団がいたようだが、 いまでもいるとは思わなかった。

「代わりって…そんなすぐみつかるわけ…あ!」

和子くんの目が、私の顔を(とら)えた。なにか、いやな予感がする。

わざとらしい笑顔を作って、彼女は台所へ向かいながら小声でしばらく 話を続けていた。そして、電話を握り締めながらこちらにやってくる。

「あの…鉄生?お願いがあるんだけど…」

『お願い』の内容は、聞く前から見当がついた。


親友の一美といっしょに、一美のお父さんの病院へ行った帰り道。 あたしは、『まじっくぴえろ』によってみた。

一美のお父さんも参加してる、ちょっとは知られたマジシャングループ。 全国をまわって、マジックを見せてるんだ。

あたしと一美は、小さいときから仲がよかったから、よくここにも 顔を出してるの。たまにだけど、料理部で作ったものを差し入れることも あるから、ここの人達はみんなあたしを知ってる。


スタッフ用のちいさなとびらを開けたら、舞台の方がざわざわしてる。 上履(うわば)きにはきかえて、そでからちょこっと頭を出すと、大道具の 山橋さんがいた。

「よう、和ちゃんか。すごい人連れてきたねぇ」

へ?なんだろ。連れてきたって…鉄生のこと?

山橋さんが後ろ振り向いた。あたしもつられてそっちを見たら───


ひゅんっ!


な、なに?なんか降ってきた!?

よくみてみると、白いマットの上に人…アクションマジックが得意な 岩井さん。それを押さえるように棒があって…棒の先にはやっぱり人。

白い和服に大きな体。でも…顔はピエロのお面でわからない。

「お見事。武術の心得がおありのようじゃのぉ」

やっぱり鉄生の声だ。なんでお面なんかつけてるんだろう?

「一体、なにやったの?」

質問してるつもりじゃなかったんだけど、山橋さんが答えてくれた。

「いや、棒でね、岩井くんを放り上げたんだよ。それも4mくらい」

よっぽどびっくりした顔してたみたい。横からやってきた男の人が、 あたしの顔を見て笑ってる。

『まじっくぴえろ』リーダーの神林(かんばやし)さん。 タバコのけむりを、上に向けて吹き上げてる。 あたしたちが来てるときだけなんだって。

「本当に、助かるよ。(いつき)くんが足を折ったときには どうしようかと思ったんだが、これならなんとかなりそうだな」

そこで舞台の方を向いて声を大きくしてた。

「鉄生、と言ったね。他になにかできるかい?」

鉄生は棒を肩にかついで、ちょっと考えてるみたい。でもすぐにもとにもどる。

「そうじゃの、和子くん、手伝ってくれんかね」

あたしは鉄生に言われるまま、舞台の真ん中に出て行った。

マネキン人形の前に立ってて、って言われてその通りにしたけど、 何をやるのかぜんぜんわからない。人形の後ろにマットを縦にして 置いてるし、ほんとに、どうする気なんだろ?

考えてると、鉄生が近づいてきて、あたしの耳元でこっそり言った。

「ちと怖いかもしれんが、信用しておくれ」

そのまま二歩下がると、棒を大きく振りかぶる。

あたしは、緊張してまってる。

信用は…してる。けど、やっぱ、こわい。


びゅんっ!


思わず おなか・・・ にぎゅっ、と力入れちゃったけど、 棒はあたしの腰のあたりを通って…通って…そのまま、 反対側にいっちゃった!?

どんっ、ていう音で振り返ると、マネキン人形がマットにめり込んでる。

え?あれ?

「す、すごい」

『まじっくぴえろ』のみんなが、あっけにとられてる。

神林さんなんて、くわえてたタバコがくつの上に落ちてるのにも 気付いてない。…でも、そりゃそうよね。 ふしぎなこと見続けてるあたしだって驚いたもん。

「これ、使えますよね」

「うん、単独じゃ難しいけど、なにか筋を作れば…」

みんなが、舞台のことを話しはじめた。


鉄生が、あたしのそばに寄ってきた。 棒を軽く振り回して、調子を見ながら。

「面白かったかの?」

そう言ってにっこり笑ってる。ピエロのお面があってもわかるくらい。

あ、なんとなくわかった。 あたしが落ち込んでるの、ばれちゃってたんだ。

一美のおとうさん、ケガが思ったよりひどかったんだ。 完全には治らないかも、なんて言われたみたい。

鉄生には言いたくなかったんだ。 ここんとこ、あたしはほとんど いそうろう・・・・・ だし…
でも、ばれちゃうのか。やっぱり。

それでも、あたしは笑ってみた。うん。とりあえず楽しんじゃったし。 でも、なんて答えたらいいかわかんない。 顔は笑ってたけど、あたまの中はおおあわて。 とりあえず、いまのマジックのこと。マジック…ん?

「あれ、マジックじゃないでしょ」

思わず口にだしてから『いけないっ!』と思っちゃった。 せっかく気を使ってくれたのに、変なこと言ってる。あ〜あ、あたしのばか。

でも、鉄生はピエロのお面の下でにっと笑ってた。さっきの『にっこり』 じゃない。なんかたくらんでるみたいなかおで…

「まぁのぉ。隴斬刀(ろうざんとう)という古い刀術じゃよ。 ま、今では奇術というても通じるじゃろ───」


「隴斬刀!?まさか、いまじゃ本の上だけの技のはずなのに…」

その瞬間から、三蔵を(たす)ける孫悟空は、僕にとって猿面をした怪しい男になった───


最初は、単なるリフレッシュのつもりだったんだ。書き物のネタにつまったので、 ちょっと一休みしようと入ったのが、このマジックショーだったってだけで。

以前、やはりネタにつまったときに参考にさせてもらったことがあるんで、 迷わずここへやってきたんだけど、お目当てのマジシャンはケガで休み。

あとはただ惰性で見続けているだけ。そんな中、この男の番がやってきたんだ。


妖怪に襲われた三蔵法師を救うため、孫悟空が変化(へんげ)した大柄な猿面の男。 妖怪たちを棒で投げ飛ばしながら親玉へと向かう───

…ショーとしてはよくある話だな。棒を使う腕前といい、()められてもいい 動きだとは思うが…僕はマジックを見に来たんだぞ。

そのうちに、クライマックス。三蔵を人質に、棒を捨てさせようとする親玉。 悟空は思いきり棒を振りかざし、三蔵ごと親玉を吹き飛ばす…かと 思ったら、棒は三蔵を通りすぎ、後ろの親玉だけをなぎ倒した!!


見間違いじゃない。あれは僕の知っている技だ。名は『朧斬刀』───

客席の後ろから、京劇風の衣装に身をつつんだ人たちが風船を持って入ってきた。 風船に描かれているのは、鬼の顔らしい。膨らませすぎてそう見えないものも 結構あるけど。

前列の客の幾人かが、風船を持たされる。持った客は腕を高く上げるように言われてるらしい。 風船が行き渡ったところで、舞台の猿面男は手にした棒を大きく突き出した。 その先で、風船がはじける。

左前の風船がはじける瞬間、僕は感じた。あの男は、風船に『あれ』を 当てている。客が危険な目に会わないように、注意しながら…

僕の右前の女性は、ひざに抱いた子供にねだられて、風船を手渡していた。 差し上げられた子供の腕。風船は母親の顔の付近。

猿面男がその風船に的をしぼる。『あれ』を打ち当て、はじけた風船が、 母親の顔を打ちつけ…はしなかった。そむけた顔のすぐ前で、勢いの ついたゴムが なにかに・・・・ (はじ)き返された。


間違いない。


ニセの孫悟空に拍手を送る人々の間を()り抜けて、僕は 楽屋へと向かった。

知らないうちに、思いが言葉になる。

「あれは、マジックなんかじゃない…」


「あ、きみ、今の舞台で孫悟空やった人、誰だか知らないかい?」

学校が終わって、『まじっくぴえろ』の楽屋へいく途中。 背中から声がきたからちょっとびっくり。

『孫悟空』って、たしか鉄生の役だよね。

やっぱり面白かったのかな?そう思うと、なんとなくうれしい。

でも、ちょっとだけくやしいな。料理部サボって、早くくればよかった。


あ、いけない。答えてあげなきゃ。

「あ、鉄生ですね」

このひと、背はあんまり高くない。あ、でも最近、鉄生見慣れてるから… ちょっと高めに見てあげなきゃね。

歳は二十歳(はたち)過ぎくらい。 大学生には見えないけど、会社に行ってるみたいにはもっと見えないな。

「てっせい?それって、どんな字書くの?」

あたしはポケットからメモ帳だして、書いて見せてあげた。

そしたら、いきなり、

「ティエシォン!」

おもわず目を見開いちゃった。なに?なんなの、このひと…

(ユィエ) 鉄生(ティエシォン)……まさか、こんなところにやってくるなんて───!!」

『こんなところ』で悪かったわね。…でも、なんとなく気になる。

ふざけてるようには見えないし───

それで、楽屋まで連れていってあげることにしたの。


鉄生(ティエシォン)さま!」

楽屋に入ったとたん、男の人が大声を出したの。両手の指を組んで 前に突き出したりして、へんな格好。

その手の先で、鉄生がふりむいた。あのお面のまんま。

顔はわからないけど、目がちょっとこわい。いままで見たことない目だわ。

「なにか、勘違いしてはおらんかね。わしは鉄生(てっせい)。 それに、『さま』なぞ付けられる覚えなどないがの」

あの男のひと、ずっと近寄って、しゃがみこんじゃった。

鉄生と、目線を合わせてるのね。

「先ほどの舞台を見ました。…風船の手前すれすれで光を破する …常人には出来ない技ではありませんか」

「奇術じゃてな、常にタネはあるものじゃよ。お前さんには、どうやら わずかにそれが見えた。それだけのはなしではないか」

そう、奇術…マジックだよね。鉄生がいつもよくやってる、ふしぎな マジック…

「では、あの子供の風船はどう説明しますか!人の顔の直前で割れた 風船、顔に当たる前に、なにかに弾き飛ばされていた!このようなこと、 奇術などではとても…」

「絶対にできぬとは言えまい?わざとやったのじゃと言えば、それまでで あろうが」

男の人が、がばっ、て音がするくらいの勢いで立ち上がった。

あたしもおもわずのけぞっちゃうくらい。でも、声が低い。

「そこまでおっしゃるのなら、一つお答え下さい。
あなたは、お何歳(いくつ)なのですか?あなたのお生まれになった年は?そして…今はいったい何年の何月ですか!?」

だれも動かない。空気が痛い。張りつめている、ってこういうのね。 ほんと、「しーん」、って書き文字が浮かびそうなくらい。

「…なるほど、わしの負けのようじゃな。たしかに、 その問いには答えられぬわい」

どういう…ことなんだろ? あたしにはぜんぜんわかんない。自分の歳も、生まれた年も言えないなんて… まえからふしぎな人だとおもってたけど、それどころじゃないみたい。


きっと鉄生は、ここにいること自体、ふしぎなんだ…


夜の病院。

今日は三月の十二日。入院して二回目の病院の夜は、まだ慣れない。 これまで、体が丈夫なことだけがとりえだったからな。

まぁ私は根っからの仏教徒だから、キリスト教の系列病院というのが 肌に合わないのも一因かもしれないが。

食事はまずいし、やることもない。まぁ愚痴(ぐち)ってもしかたないから、 新しいマジックを考えたりもしたけれど、いつまで続くかはっきりしないのでは いやになってしまう。


いろいろ思いを(めぐ)らせていると、扉の外から声が聞こえた。巡回だろうか?

「個室だそうですね。たすかりました」

「無用の騒ぎは起こしたくないからの。…(いつき)、 と。ここか」

どうやら、巡回ではないらしい。静かに、扉が開く。

「折ったのは、右足じゃったかの?」

「ええ…でも、念のため───」

「わかっておるよ」

入ってきたのは二人の男らしい。口調からすると、一人は老人か。 それにしては声に はり・・ がありすぎるが…

ともかく、話の内容から考えて、危害を加えるつもりはなさそうだ。 なにをするつもりか、しばらくやらせておこう。

「お(ぬし)がいてくれて助かったわい。わしはそっちのほうは とんと苦手での」

「そのかわりケガをしないでしょう。(じゃく)老のお言葉じゃありませんけど 『薬草は使わずに済むのが一番』なんですよ」

そのうち、布団(ふとん)(すそ)がめくり上げられた。 片目だけ明けて見てみたが、どうやら老人の口調をした男が、 ギプスの上から右手をあてているようだ。

左手は脇の若い男の手をとって、眠ったかのように目を閉じている。

「ふむ。右足以外は大丈夫そうじゃな。あちこちの肉に少し血がにじんでおるが、 それもあらかた消えかけておる
で、右足じゃが…ほう…なにかで無理に骨を止めておるな。 ずいぶん派手なことをするのぉ」

「しかたありませんよ。これだけ(くだ)けてちゃ、ほかに方法が ありませんから───普通は」

老人口調のの男が、二三度(うなず)いていた。

「では、頼むぞ」

若い男の手が、折れた足の上にすっ、と降ろされた。

何も感じない。なにかの麻酔をつかったのか、触れていることさえまったく わからない。

「とりあえず、この くぎ・・ を…」


からん…


床に、なにかが落ちる音。

「ほ、こんなもので骨をつなぐのか。これは、体によくないの」

あいかわらずはりのある声が、老人の口調を紡ぎ出している。

骨をつなぐ、ということは…今落ちたのは骨の止め具なのか!?

「これでも、医術はずいぶん進歩してますよ。なんといっても、 私達がやっていることがなんなのか・・・・・・・・・・・・・・・・ が、わかるようになりはじめてますからね」

私は顔だけでも上げてそれをみようとしたが、なかなか思うようにいかない。 いまだ、声一つすら出せないのだ。

「軽くですけど、つないでみました。どうです?」

もうひとつの男の手が、再び足に触れる。

「うむ…太い骨は形になっておる。このまま仕上げてもよかろ。
…ん?脇の細い骨、ちとずれておるぞ」

そばの男が、あわてて手を握って考え込んだ。

「合わせるだけなら、わしがやろうかの? 見える・・・ 分、お(ぬし)よりうまくいくじゃろ」

何の話をしているのか、だんだん考えたくなくなってきた。

見える・・・合わせる・・・・つなぐ・・・ ? ───何を!?

混乱する頭が冷めはじめたころ、足に違和感を感じる。火照(ほて)り というか、熱を感じるのだ。しかし、寝る前に感じていた痛みはまったくない。

…まてよ、 感じる・・・ ということは…

「き…き、み…だ、れ───」

やはり、まだまともには口が開かない。それでも、男たちは こちらを向いた。老人の口調をした男…見なれたピエロの仮面が、 私の顔を覗きこむようにやってくる。

「あ、夢じゃよ」

「?」

その口ぶりがあまりにも あっけらかん・・・・・・ としていたので、私は二の句が 継げなかった。

「夢で納得できんのなら、奇術でもよいがの。 一応じゃがタネもあることじゃし」

脇から、若い男…やはりピエロの面がひょいと顔を出して言った。

「右足の熱がとれるまでは、おとなしくしてくださいよ。
明日かあさってには普通に歩けるようになりますから」

信じられない。やはり、治したというのか? 医者からも、完全には無理だと言われたのに!?

「きみたちは…誰なんだ?」

ようやく舌がまともに動きはじめた。

「そうじゃな───この病院風に言うと、天人の弟子じゃから… 天使かの」

仮面の下の表情までは見えないが、私には、老人口調の男がにやっと笑ったように思えた。

そしてそのまま、私は眠りについた…



翌朝。おはようございます、のあいさつと共にやってきた看護婦が、 私を見て腰を抜かした。

「い、い、樹さん!どうやって、あ、歩いて…!?」

そう、私はもう歩いていたのだ。きのうの夕方には、一人で起き上がることさえできなかったのに。

夢ではなかった。あまりにも不思議だが、 かれら・・・ は本当に この部屋にいたんだ。

私は、まだ腰を抜かしている看護婦に向かって言った。

「きのうの夜、天使が来たんですよ。
ちょっと、ムサい天使がね」


「ねぇ、一美のお父さん、きょう退院できるんだって!」

あたしは、そう言いながら鉄生の部屋に飛び込んでいった。

部屋の中には、鉄生と…きのう楽屋に鉄生をたずねてきた人。

「あ、お客さまいたのね。ごめんなさい」

二人が同時に手をふってる。

「構わぬよ。ああ、こちらを紹介しておこうかの。昨日知り合いになった 、(りょう)くんじゃ」

ぺこ、って頭を下げる。そっか、すっかり仲間になっちゃったのね。

「ところで和子くん、樹さんが舞台に戻られるのはいつになるのかの。 恐らく知っとるんじゃろ?」

もっちろん、あたしはそれも聞いてた。

「それが急でね、明日からなんだって。もう一日でもはやく マジックがやりたいから、って」

鉄生がちょっと考えこんだ。しょうがないわよね。代役だから、一美のお父さんがくればおしまいだもん。

「そうか…了くん、明日の舞台、ちと手伝ってはくれぬかのぉ」

「鉄生どのの頼みとあれば…でも、僕には奇術の心得(こころえ) なんてありませんよ?」

了っていう人は感じはいいんだけど、ちょっと気弱みたい。

「わしに合わせてくれればそれでよいて。 退院祝いじゃてな、思い切りいこうかの!」

にやっ、て感じで笑う鉄生を見て、了さんが青くなってた。 …なんで?

「賭けに…なりますよ」

「だてに長生きしとらんよ。
大丈夫、それだけの価値のあるお人じゃて」

その言葉で納得したみたい。了さんはそのまま返っちゃった。

でも、あたしにはわからない。いったい、 なんのことを話してたんだろう?


「和子くん」

おもわず飛び上がっちゃった。それだけ、考え込んでたのね。

「明日は三月の十四日じゃな。なんでも ちょこれいとう・・・・・・・ をもらった 男はお返しをする習わしだそうじゃと、これに書いてあったが」

…って言いながら見せたのは、女の子むけの情報誌。

あたしが置いていっちゃったの、読んでたのね。

「あ…べつに気にしなくていいの。あれは無理言って食べてもらったんだし…」

「明日、のぉ。あの子…一美くんのお父上が戻られるなら、 わしの出番も明日限りじゃろうし、あの子を連れて来てはくれんかの?」

なんか、あたしの話は聞いてない、ってかんじ。

「それは、もちろんいいけど…?」

「いまのわしに出来る贈り物をあげるでな。ちゃんと受け取っておくれ」


舞台で、二人のピエロがとびはねてる。

一人はおっきなピエロ。もう一人はちょっと小さめなピエロ。

鉄生と、了さんの舞台だ。


了さんピエロがちょこちょこ動くたびに、鉄生ピエロの持ち物を消してく。 ほんとに消えちゃうの。ちょっと布でさわっただけで。 それも、どんなものでも!

花や花瓶は他のひともよくやってるの見たけど、それでも了さんピエロは ものすごく速い。ぱっ、とさわって布を上げたらもう消えてるんだもん。 それだけじゃないの。いすにテーブル、本棚まで、布で隠しさえすれば なんでも消しちゃうんだから。


これに怒った鉄生ピエロが、了さんピエロを追いかけ、かけ回っておおさわぎ。

舞台のそでに引っ込んだかと思えば、客席のまんなか。わきのとびらにいたか と思えば、舞台のしたからひょい、っと出てくる。

それもこの音楽…え、っと…たしか『グレン・ミラー物語』って映画で使ってた テンポのいい曲。これにあわせて出たりひっこんだりしてるの。

もうみんなあっけに取られちゃって、開いた口をしめるひまがない、ってかんじ。


最後は二階の客席から舞台まで、ロープもない空中を階段でもあるみたいに 上がったり下がったりの追いかけっこ。

やっとつかまえた鉄生ピエロが、舞台のまんなかのロープにつかまって いると、上から降ってきたのはカーテンみたいな大きな布。

布が通り過ぎたあと、二人のピエロは影も形も…


「すごかったね。いまの」

一美がうなずいてる。いっしょうけんめい笑ってる。 けど…目が笑ってない。

そうよ。だって、これからお父さんの出番なんだもん。 その前に、こんなにすごいもの見せちゃったら、 お父さんが目立たないじゃない!!

あたしは、なんとか一美をなだめようと口を開けた。


だいじょぶ、心配ないよ。おとうさんりっぱなマジシャンだもんね。 わかじこみの人たちとはわけがちがうよ───


言えない。言えるわけないじゃない!ひと月前からふしぎなこと いっぱい見てるあたしだって、びっくりするくらいのマジックなんだもん。

ひどいよ、鉄生。そりゃあたしにはプレゼントになるかもしれないけどさ、 一美には…


「あ、はじまる」

一美の言葉ではっとした。

あわてて開けっぱなしの口を閉じて、舞台…あ、一美のおとうさんだ。

まえに舞台を見たのは、ずぅっとまえ、小学校の三年くらいのころ。 差し入れにきたとき、練習なんかはよく見るんだけど、あたしも一美も、 本番はあまり見ない…っていうより、見せてもらえないの。

ちゃんとお金を出さないと、ほかのお客さまにもうしわけない。って 言ってたっけ。一美のおとうさん、けっこう頑固なのよね。

でも、いまでも覚えてる。手の中からいろんなものが出ては消えてくの。 ちょうちょとか、お花とか…

「かわらないね」

一美がとなりでうなずいてる。


舞台にあかりがともっても、まわりがざわついてる。 みんなまだ、鉄生の舞台の興奮が残ってるんだ。

流れているはずの音楽まで聞こえないじゃない。 一美のおとうさんは、もうおじぎをして、シルクハットをぬいでるのに…


え?


いま、なにか目の前を通ったみたいな…

ほら、また!


気がつくと、まわりりがしん、としている。さっきまでザワザワいってたのにね。

そういえば、音楽も流れてない。 聞こえなかったんじゃなくって、最初から音楽流してなかったんだ。…でも、なんで?

舞台がさっきより、すこし薄暗くなってる。そのなかで、マジシャンが 大きく手を振ってる。一つ手を振るたびに、きらきら光るなにが、 こっちにやって来てる。

あ、また目の前に…

「ちょうちょ…」

となりで一美が言った。ほんと、ちょうちょだわ。

光ってるちょうちょが、いくつもいくつも、私たちの上を飛んで行く…

「見て!」

舞台ではマジシャンが、光ってるちょうちょを床に散らしてた。

それから、ふしぎな手の動きではいっ、と床をはくようにすると、 とたんに床じゅうが花ばたけに変わっちゃった!!

ピンクや黄色やうす緑。きらきら輝く、光のお花ばたけ…

「きれい…」

おもわず、口に出ちゃった。横で一美がにっこり笑ってる。

「うん。わたしのお気に入りのマジックなの。これ。
むかしは公演から帰って来ると、うちで必ずやってくれたんだ。 これさえやれば、機嫌がとれると思っているのよ」

そうよね。一美の大好きなマジック…あたしだって、見たことないわけじゃ ないのに、なんか、はじめて見るみたいにすてき。ほんとに。


舞台が終わったのにしばらく気がつかなかった。なんか、ぼ〜っとしちゃう。みんな夢みたい。

シルクハットを胸にあてて、深くおじぎをしているマジシャンに、みんなが送った拍手はものすごかった。 そう、鉄生のときよりずっと、ずぅっと。

「やっぱり(いつき)さんはすごいね」

「ほんと。さっきのはいっくらすごくてもピエロって感じだったけど、 これぞマジックっていうのかなあ。風格よね」

あっちこっちで、みんながほめてる。

そっか。鉄生、わかってたんだ。 派手にすればするほど、マジックじゃなくなっちゃうってこと。 一美のおとうさんがほんとのマジックを見せてくれること。

そっか。そっかぁ。うたがってごめんね、鉄生。 それで、一美を連れてこいなんて言ったんだね。

三月十四日のプレゼント。ほんとにもらったのは一美みたいだけど、ま、いっか。

「お花、持って来たんだ。父さんに届けにいってくる!」

一美が笑ってる。心の底から笑ってる。 明るくて、あったかい。見てるあたしまであったかくなっちゃう。 あたしの好きな、あたしの親友の笑顔。


走ってくうしろ姿。まだ、あの笑顔が見えるみたい。


あたしへのプレゼントって、もしかして───