三月廿六日 暫シ休業


三月も半ばを過ぎました。

筮竹(ぜいちく)を構えて見る街は、まるで まぼろし・・・・ のようです。

歩く人々の多くはあいまいに笑い、妙にはしゃいでいるようにも、また疲れたようにも見え、 以前私が知っていたものとはまるで違っています。

たまに目の前の席に腰かける人。その口からこぼれるのは 他愛(たあい)のない愚痴(ぐち)のようなものばかりです。

脇の(カバン)からちらちら覗くのは流行(はやり)の雑誌でしょうか。 この程度の愚痴なら、そこにある似非(エセ)占星で十分でしょうに。


私は思うのです。もう私は…本当の占術師は、この世に要らないのではないか、と。


もうちょっとすると春休み。

あったかくなったから、きのうからポニーテール。雨上がりの湿った風が、 首すじにあたってくすぐったい。

料理部のない日。あたしは学校が終わると、いつもの通り川沿いのマンションに 歩いていった。今日は桂くんもいっしょ☆…のはずだったんだけど、 川が見えたぐらいで用事を思い出して帰っちゃった。ちょっとがっかり。


きのうの雨のせいで、川に近づくとザーっと音が聞こえてくる。

ここから先は舗装してないから、足元にも水たまりがいっぱい。 泥水が はね・・ ちゃわないように、そおっと歩いてく。

あのマンションには、男の人が住んでる。名前は鉄生(てっせい)。 2mくらいある大きな人だけど、いつも白い着物を着て、若く見えるのに おじいちゃんみたいな言葉で話すひと。

あと、たまにもう一人。(りょう)さん、って呼んでるけど、 この人はあんまり大きくない。 でも、大きすぎる鉄生がそばにいるから、ほんとは普通の背丈なのかも。 いつもは文章を書いている人なんだって。〆切はぜったい破らないけど、 そのかわりけっこう好きなことしてるみたい。

「こんにちわぁ」 マンションに着いたあたしは、いつもの通りドアから飛び込んだ。


カタン


あれ?なにか足に当たったみたい…

そう思った瞬間、何かが飛んできた。

「あぶないッ!」

大声といっしょに、横から別の何かが飛んできて、ぶつかった。

横から来たのは了さん。その顔が、ひしゃげてる。 口からは真っ赤な血。そして…胸には大きな手がめり込んでる…!!

「あ…いやあぁぁ!!」

あたしはただ叫んでた。なに?なに?なんなのこれ!?

大きな手の先では鉄生が、手を伸ばした形のまま銅像みたいに固まってる。

「ヒッ…ぐ…」

了さんは胸に手をあてたまま、声にならない息づかいであえいでる。

あたしはその間でおろおろするだけ。どしたら…

了さんと鉄生をかわるがわる見て、どうしようか考えてる間に、了さんの 息が大きくなった。

「…ッくぁ。はぁ…───ふうぅ」

水。そう、とにかく、おみずだわ。

あたしは台所に走って、何でもいいからつかんで蛇口をひねる。 なみなみとたまった水を持って、了さんのとこへ。

「おみず!」

了さんにそのまま渡そうとして、はっとした。


あたし…雪平ナベに水入れてる…


けど了さんはちょっと笑っただけで、受け取って飲んでくれた。 ハンカチを濡らして、口から青いシャツの襟首(えりくび)についた血を軽く拭いてる。 基本的にやさしい人なのよね。この人は。

すぐに立ち上がろうとしたから、手をかしてあげる。

「ああ、ありがとう」

って了さんの手があたしに触れたとたん…

「熱っ!」

すごかった。コンロに手を入れたみたいに熱い!

あたしが振りほどくまえに、ばっ、と了さんが手を放した。

熱かったところを見たら、何か黒いものが見えた…と思ったんだけど、 すぐまた了さんの手がそれを隠しちゃった。

なんで?

「悪い、すぐ(なお)るからね」

そう言いながらなでた手がはなれたら、そこにはなにもなくなってた。

でも、いま熱かったのはたしか。それにいま…『すぐ 治る・・ 』って言ったよ…ね。

ううん。考えるのはあと。

「大丈夫、了さん?」

了さんは立ち上がって、黒っぽいジーンズをポンポンと叩いてた。

「ああ。きみのおかげでね」

え!?

あたし、目を丸くしてたみたい。了さんが顔をそらして小さく吹き出してるから。

だって、ねぇ。

「いや、ほんとだよ。きみが咄嗟(とっさ)に叫んでくれたおかげで、 鉄生どのが正気に(かえ)ったんだ。あのまま双寸経(そうすんけい)でも 打たれたら、私だって治すヒマもなくてイチコロで…」

『はっとする』って、こういうのを言うんだわ。それがよくわかるくらい、 了さんは『はっと』してた…でも、なんで?

「了さん?」

「ああ、いや何でもない。ところで…きみはここに一人で来たのかい?」

「うん、そうだよ。途中までは桂くんも一緒だったけど、川のすぐ手前で 急に用事を思い出しちゃって、それで…」

あ、また考えてる。あたしの話聞いてないわね。

「それが普通だ。なぜこの子だけ…?」

え、いまなんていったんだろう?なんか妙な感じ。大事なことを聞きそびれたような… ちょっと考えてたら、了さんが

「入り口に書きつけを置いておいたんだけど、見なかったかい?」

なにかあわてた感じで言ってる。

あたしはさっき蹴っちゃった板を持ってきて

「これ?」って訊いてみた。

何かごまかしてる、ってわかる。けど、聞いちゃいけないことなのかも…

「そうそう。ほら、立ち入り禁止って書いてあるだろ?」

よく見ると、たしかにそう書いてある。でも…あんなとこにちょこん、と あるだけじゃ、わかんないわよぉ。

「実はね、鉄生どのが久しぶりに拳の稽古をしたいそうだから、相手をして いたんだけど…」

あ、そう言えば鉄生わすれてた!

いつもの白い着物を着た鉄生は、なんかぼおっとした感じで、自分の手を眺めてた。

この前から、なんか変。最初に会ったころはよく笑ってたのに、いまはずっと 考え事してるみたい。

…そんなに悩んでるんなら、言ってくれればいいのに。

「やっぱり私じゃ力不足のようですね。知り合いにかなりの使い手がいますから、 明日まで待って下さい」

了さんの言葉にも、鉄生はちょっとうなずいただけだった。

あたしはなんかもやもやするけど、とにかくいま自分にできることをすることにした。

さぁ、お料理、お料理!!


今日もこの場所から、筮竹越しに街を眺めています。

生きて行くには働かねばならない、とはいえ、いつまでこうしているべきか…

「そろそろ(しお)ですかな」

言葉が聞こえたのではっとして顔をあげましたが誰もいません。

意識せずに口からこぼれてしまったようですね。占術師としては危険です。

念のためあたりを見渡しましたが、もちろん誰も聞いていません。

もともと人通りのない道です。 息をついてまた下を向きますと、

「暇そうですね。(かく)さん」

と声がします。ぎょっとして顔をあげると、見知った顔が待っていました。

「了くんですか。これはお(めずら)しい」

ジーンズにだぼだぼのコートが、痩せた体にはよく合ってます。 コートから突き出た手には、貼りつくように薄い黒の手袋…

「おや、また手袋をつけはじめましたか」

思わず私が口にすると、彼は顔をほころばせて

「また、人と会うようになったから…」 と言います。

私も微笑んで(うなず)きます。彼が人を()けるようになってもう三年。 文筆業という仕事柄、人と会わなくても暮らしてゆけることが、かえってまずかったのでしょう。 一時は私も説得したのですが、今では私の方が、占術師として人とかかわることを (うと)みはじめているとは、皮肉なものです。

「暇だったら、一緒に来ませんか?会わせたい人がいるんですよ」

今度の笑みは悪戯(いたずら)をしかける子供そっくりでした。 私は机の前に『臨時休業』の札を下げると、脇に置いてある杖を取って、 彼のあとを歩いて行きました。


連れてこられたところは、川沿いにある小さなマンションでした。 やけに人通りが少ないですが、その理由はすぐにわかりました。

と、いうことは、この住人は…


ドアを開けて中に入ります。目に飛び込んでくる印象的な巨体。 そのくせ白い着流しがきれいに合っています。それは体の線が動きやすく 作られている証拠。

私には、見た瞬間にわかりました。 この方が誰なのか。そして、了くんがなぜ私を連れてきたのか。

「はじめまして、鉄生先師」

握った両手を前に突き出して礼をとります。この方に通じるかどうかはわかりませんが、 私なりに礼を尽くしたいのです。

ほどなく、鉄生先師も同じように礼を返して下さいました。

「とりあえず、その 先師・・ とかいうのはやめてくれんかの。 わしはそんなに偉い人間ではないて」

「は。では鉄生さま。初めてお目にかかります。
私は…」

とあいさつの言葉を口にしかけてふと周りを見ると、女の子がいます。 まさか、この子も…なのでしょうか? それにしては、あまりに普通の女の子です。見た目でわかるかどうかは さておき、服装もごくありふれた(こん)のブレザーですし、背丈も長めの髪も、 特に変わっているわけではありません。

たしかに こういうこと・・・・・・ は、女性の方が馴染(なじ)みやすいとは聞きますが、 それにしても順応性が高すぎはしないでしょうか…

「えと、どなた…ですか?」

女の子が口を開きました。可愛い声ですが、やっぱり普通の女の子に見えます。

「ああ、彼は僕の知り合いで(かく)っていうんだ。赫さん、 こちらは鉄生どのの知り合いで、和子ちゃん。中学生だよ」

「中学生…普通の、ですか?」

しっかり(うなず)く了くんを見て、私は愕然(がくぜん)としました。 普通の・・・ 中学生が、なぜここに居られるのでしょう!?


中学生、中学生って、うるさいわね。

そりゃ、おとなばっかりだし、鉄生とあたしを比べたら変な組み合わせなのはわかるけど、 そう何度も言われるとなんかムカっとするわ。

「カクさん?」

言ってみて、なんか可笑(おか)しくなっちゃった。 これじゃ水戸黄門よね。

了さんもそれに気付いたみたいで、こう言ったの

「ああ、そりゃ字が違うよ。赫は赤って字を二つ並べたような字でね、 『光り輝く』っていう意味さ」

へぇ。『光り輝く』かぁ…

「いや、そういう意味じゃなくってね」

そういうつもりじゃなかったんだけど、なんとなく、目が頭にいっちゃった。 失敗。

「まぁまぁ。もう二十年もしたらわかりませんよ」

この人も、どっちかって言うとおじいちゃん言葉。だけど、鉄生より 歳に合ってる、って言ったら失礼かな?

やっぱり着物だけど、こっちは青黒い袷(あわせ、って読むんだよ)に(はかま)。 なんとなく、時代劇の易者さんみたいなかっこうだよね。杖も持ってるし。

「で、お(ぬし)が何者かをまだ伺っておらんが…」

あ、鉄生いたのね。

大きな体のくせに、こうやってしゃべってると、いつのまにかいないような気が してきちゃう。え、と…そうそう『存在感』が薄いのよね。

ううん。前より薄くなったような気がするのは…気のせいかな?

「とりあえず、手合わせしてみてはいかがです? そのために連れて来たんですから」

了さんが、な〜んか企んでるみたいに にやにや・・・・ 笑ってる。

赫…さん、だっけ?が薄い羽織(はおり)を脱いで、たすきをかけた。了さんは部屋のテーブルを 隅のほうに方付けてる。

あたしも仕方ないから、そのへんに散らかってた本や雑誌を隅っこに寄せることにした。

片づけが終わって気がつくと、鉄生と赫さんが部屋の真ん中に向かい合わせに立ってた。

え、あれ、これって…

びっくりした。大きさは違うけど、まるで鏡に映したみたい。 二人の手の動き、足の形、よく格闘ゲームで言ってる…そう『型』! 型がぴったりおなじなの!

赫さんがひょい、っと手を伸ばして…それからがスゴかった。部屋の大きさ忘れてるんじゃ ないの、って思うくらい動き回りながら、二人とも打ったり蹴ったり。

こういうのよく知らないあたしでも、スゴいってわかる。 だって、ちっとも止まらないんだもの。プロレスだって空手の試合だって『間合いをとる』なんて 言ってじっとしてることがあるけど、それがないの。止まったらやられ放題になっちゃうのが すぐわかる。

もう一時間も経ったかな、って思った頃(あとで見てみたら、たった数分だったけど)、 二人が相手の右手をピタっ、て押さえる形で止まった。

そのまま二人して大笑いしてる。

マンガの中だけかと思ってたけど、やっぱりあるんだ。こういうことも。 なんとなくわからないこともないんだけど。

あたしの知らない、あたしにはわからないところで、お話してるんだ。 …なんか、いやだな。

あたしは、なんか見ているのがいやになって、台所に歩いていった。


鉄生だけだったときには、あんまり感じなかった。

でも、了さんと会ってから、ときどきこんなふうに思うことがあるの。

みんなは、あたしとは別の世界にいる。すぐそばにいるのに、別のことを 考えてる。 何かに悩んでいても、あたしには話してくれない。…そりゃあ、中学生だから、 っていうのもあると思うけど、そんなレベルじゃなくって…なんて言うか、 恐竜が猫に相談できないっていうレベルみたいに思えるの。


あたし、じゃまなのかな? だったらじゃまだ、って言ってくれればいいのに。 そしたら、すぐ出て行けるのに。

あたし、()らないのかな?


「どうですか?」

汗を拭いている私に近づいてきたのは、了くんでした。

「いいえ、腕が落ちているようには見えませんね。
私はまったく手を抜いていません。お互い全力でしたら、私の方が負けていたでしょう」

了くんは()り寄るようにそばに来ると、

「でもあのとき、確かに動きが止まったんだ。一度始まったら相手が死ぬまで 止まらないはずの、あの拳でだよ!?」

と、小声でまくしたてました。

わたしは念のため、台所のほうから誰も覗いていないのを確認します。

「あの子…和子くんが、鉄生さまに影響を与えているようですね」

「どうする?このままじゃ万が一ってことが…」

心配そうな表情です。何を心配しているのか、私にもわかります。わかりますが、はたして、私たちが 口を出す問題なのでしょうか…

「問題はやはり、ご本人がどう思っておいでか、でしょう」

「静観するしかないのか…」

悩む私たちを、台所から和子くんが見ていたとは、このときの私たちには 知るよしもありませんでした。


久々に十分な運動ができて気持ちがいい。

赫君はあの杖からすると、わしや了君とは違うようだが、 わしと同じ拳を使えるのはとてもありがたい。しばらく練習相手に 不自由せんで済みそうだ。

それにしても、さすがに(のど)が渇いた。

「和子くん、すまんが飲み物はないかの?」

台所から、まとめた長い髪がひょい、と出てきた。


───ポニーテール

───『馬の尻尾』を意味する。


なるほど。おそらくは快活さを示すものであろう。和子くんには ぴったりだ。特に最近元気がないようだから、髪型だけでも元気であると 嬉しい。

「ごめん、ないみたい」

おや、茶も買っていなかったか。ここしばらく和子くんが食料を買って来る ものだから、自分では気をつけていなかった。頼りすぎてはいかんな。

「ねぇ、あたしのうちに来ない?きのう、たしかレモンが届いてたはずだから、レモネードつくってあげる」

「れもねえど?」

しばし待ったが、 は何も言ってこない。あまり一般的でないものなのだろうか?

「レモンはご存じですか?…あの果汁に甘みをつけた飲み物ですよ」

「おかあさんが送ってくれた本場ものだから、とってもおいしいよ」

赫君の言葉に、和子くんが応える。れもねえど、か。 甘みのある飲み物など、いったい何年ぶりだろうか…いや、考えてはいかん。 何日・・ か、 何年・・ か、私にはわかりようがないのだ。

「そうか…では、皆でご馳走になろうかの」


「和子ちゃんのお母さんは、お出かけなのかい?」

鉄生のマンションからあたしの家に行く途中、話しかけてきたのは 了さんだった。

「ずっとアメリカだよ。戻ってくるのは月に二日か三日くらい」

そう、って言って、了さんはすぐ話を変えた。やっぱり、うわべだけで 話してる…!

「あぶない!」

ちょっとぼ〜っとしてたあたしは、その声にふっと頭を上げた。 その上から、大きな鉄骨が落ちてくる。

見たとたん時間が止まった。大きなそれが、ゆっくりと迫ってるのが、なんか遠くのことのよう… そう思った瞬間、真っ白いものがあたしの頭におおいかぶさった。 ───鉄生!!

「了くん!」

「おう!」


ガゴン───!


痛いくらいの音が、頭のすぐ上でした。

耳の中がじんじんする。けど、ほかは痛くもなんともない。

そのうち、白い着物があたしから離れた。その後ろには赫さんと了さんが、 落ちてきた鉄骨を殴りつけるみたいにして立ってた。

鉄骨は…ぐしゃぐしゃに折れてた。


鉄生どのが和子ちゃんをかばったのは、意識してのことじゃない。 自分の身を(かえり)みなどしない。たとえそのまま…だとしても、 きっと後悔はしないのだろう。

人として、生きる。それはあたりまえのこと。だが鉄生どのには…

考えているうちに、和子ちゃんの家に着いた。

庭のある、大きな家だ。両親が不在がちでは、鉄生どののところに 押しかけたくなる気持ちも、わからなくはない。


居間に通された僕たちは、それぞれ腰かけて和子ちゃんを待った。

誰も、何も話そうとはしない。さっきのことを考えているのだろう。

戻ってきた和子ちゃんが、その場でレモネードを作ってくれた。

礼を言って、口にする。暖かい液体が喉を通過して行く。僕は 『おいしいね』と言ってまた一口すすった。

「みんな、なに考えてるの?」

はっ、として和子ちゃんを見た。それほど、固い声だったのだ。 彼女は顔を伏せたまま両手を握っている。

そう言えば、和子ちゃんはピンクのセーターと草色のスカートに着替えていた。 今の今まで、まったく気がつかなかったのだが。

「あ、ああ、すまんの。ちょっと、のぉ」

鉄生どのが、彼女の顔を覗きこむようにして言う。

「うそ!ちょっと、のわけない!!」

「和子ちゃん?」

僕は思わず立ち上がってしまった。大変なことをしてしまったような気がする。

「悩んでるんでしょ?なにか心配なんでしょ?
なんで話してくれないの!?」

「和子くん、ま、まぁ落ち着いて…」

(あわ)てている赫さんを、僕は初めて見た。

「あたしは、あたしがなんにもできないのが情けないの!」

僕は、そのまま椅子に座り込んだ。しまった…鉄生どのに気を取られすぎていた。

「あたしは、みんなの何なの?あたしは…あたしは鉄生の友達だと 思ってる。けど、みんな悩んでてもなにも言ってくれないじゃない!
そりゃ、そりゃさ、あたしなんかじゃなんにもできないかもしんないけど、 それでもあたしは…あたしは、何かしたいの!」

僕たちは黙ってしまった。どう反応していいかわからない。

友達…!これは、まったくの予想外だった。

「どうして何も言ってくれないの?あたしが邪魔ならじゃまって言って!」

言い切って、和子ちゃんは顔を伏せてしまった。

僕と赫さんの視線が出会う。友達…もし、友達なら、言うべきだろうか? 視線の先で、赫さんが(うなず)くのが見えた…


そっ、と肩になにかふれた。

頭を上げたあたしの前に、鉄生の顔があった。いつもよりもっと優しい、 もっとあったかい表情の顔が。

その向こうに二つの顔が、やっぱり優しく微笑(わら)ってた。

鉄生が目で合図してる。了さんが、レモン絞りからレモンの皮を取り出して …そういえば、いつの間にか手袋外してるわ…その手の中で、 しぼったはずのレモンが、ぼおっと光ったようになって…皮が、しぼりかすが、 みるみるうちにレモンのつぶつぶに変わってゆく───!!

驚いてるあたしの目の前に、棒みたいのが伸びてきた。

その根元には赫さんの手。あの杖。

肩の鉄生の手に力が入った。レモンのほうを見ろ、っていうのね。

杖がレモンにふれた…とたん、とろっ、と溶けてそのままグラスに流れていっちゃった!?

了さんがすかさず砂糖とお湯を入れて、かき混ぜる。

「さあ、召し上がれ」

あたしはタオルで顔を拭いてから、グラスの中身をちょっとなめた。 甘すぎるような気もする、けど、間違いなく本物のレモネード。

たね・・しかけ・・・ もあるわけないわ。これはぜったい手品じゃない。

あたしは顔を上げた。三人の顔があたしを見つめてる。なんか、心配そうに。

そっか。ちょっとだけ秘密を教えてくれてるんだ。それであたしに訊いてるんだ。 「これでも友達になりたいのか」って。

決まってるじゃない!

あたしは、笑って大きく首を縦に振った。とたんに、みんなほっとした顔になった。

「気がつかなくて悪かったね」

最初に口を開いたのは了さんだった。

「普通の女の子が…いえ、普通の人が私たちを友達と思ってくれるなんて、 考えたこともなかったのですよ」

赫さんも言った。思わず背中をさすりたくなるくらい、申しわけなさそうに。

そして、最後に鉄生が言った。

「わしらには言えないことがいっぱいあるんじゃ。ただ一つだけ約束する。 わしらは、きみに嘘はつかん。きみがわしらを友と思うてくれる限り、 何があろうと、この約束だけは守る」

考えるより早く、あたしは鉄生に抱きついてた。


鉄生さまと和子くん。二人の後ろ姿を眺めながら、私は了くんと立ち尽くしていました。

その姿は、本当の友達同士のものでした。年齢も…立場もかけ離れていると いうのに。鉄生さまにとっても、あの子はきっと かけがえ・・・・ のない友達なのでしょう。

「運命への挑戦、ですか」

思わずこぼれた言葉は、普段なら一笑に付されてもおかしくないほど陳腐なものです。 しかし、私は別の意味で苦笑してしまいました。

どれほど強固な運命であろうと、筮竹一束でこじ開けるのが占術師のはずです。 私は知らず知らずのうちに、自分の足元を見失っていたのかもしれません。


私の心は決まりました。しかし、他のみんなはどうでしょうか?私が行動すれば、 全員が巻き込まれるのです。 少なくとも、了くんは間違いなく…

四流(しりゅう)(つど)いしとき…」

考え込む私のとなりで、了くんがぽつり、と言いました。 そして、そのまま口を閉ざします。

わたしはあとを引き取って

「…必ずや、現れん」

言いおわると、わざと笑顔を作ってみせました。

彼は力強く(うなず)くと、私に向かってこう言います。

「ここで、終わらせよう」と。

私も大きく頷きました。できるかどうかはわかりません。 何百人もの先人が成しえなかったことを、たった数人でやろうというのですから。

それでも、やるだけの価値はあります。鉄生さまの、そして私たち自身の運命を賭けて。


私たちは、人に戻るべきなのです。



街中にある、私の居場所。ほんの数日離れただけなのに、ずいぶん懐かしい気がします。

机の上の(ほこり)を軽く払い、壁に張っておいた人相の絵を外すと、

真新しい壁が私を眺めてきます。私は軽くあいさつしました。考えてみれば長い付き合いですから。

そして最後に、 机の前にひとつ木の札を下げて、そこを立ち去りました。

木の札には、一文だけ書き残しておきます。


『三月廿六(ニジュウロク)日、(シバ)シ休業』