もひとつなつやすみ

 ちょっと、顔を上げてみた。

 土の匂いの向こうに、高い空が広がってるよ。

 ‥‥別に、何か気になった、ってわけでもないんだけどさ。ただ、ちょっと空が見たくなっただけ。

「三日、かぁ‥‥」

 莉奈あたりに言ったら熱でもはかられそうだけどね。ま、あたしにだって、こんな日も‥‥

「ちょ、ちょっとなぎさ!? まえ、まえ見てって!」

 あん? なにがなってんのよ。まえがどうし‥‥えぇっ!!?

 目の前いっぱいに、白いものが!?


 ゴンッ!!


 ‥‥痛っったーっっ!!

「こーらっ! どこ見てんのよ。練習中でしょうが、キャープテンっ!」

 あー、ほんと痛い。おでこにコブできてるよ。目もまだちょっと開けられないし‥‥っつーか、

「休憩時間でしょ、今はぁ」

 目、こすりながらゆっくり開けてったら、ぽかーんとした顔がそこら中にあった。みんなしてクロス構えて、パス練習の格好のままでこっち見てる‥‥あれ?


 ばふっ


 こんどは目の前が編み目もよう。クロスで顔なでてるんだ。

 こーいうことするのは‥‥

「練習再開していい? って訊いたらうなずいたの、なぎさでしょうが。しっかりしなさいよ、キャプテン?」

 やっぱ莉奈だ。その後ろに志穂が、かくれる感じでついてきてる。

 あたしはラクロス部のみんなに手ぇ振って、練習続けさせた。ボールがクロスの間を行ったり来たりしてるの、なんか遠くのことみたいに見えるな。

「ごめんごめんごめんん〜。そんなショック受けるなんて、思わなくてさぁ‥‥」

 志穂の声といっしょに、ぱっと目の前の風景が変わった。ああ、いたんだっけ、そういえば。

「志穂? とりあえず、さっきの話はこれ以上言わないこと! いいね?」

 そうそう、莉奈もいたんだ。いまさっきクロスでなでられたばっかなのに、どうかしてるよ、あたし‥‥

「‥‥そだね、莉奈。他のみんなには、もちょっと調べてから話そ」

 なにか言いながら、じっと志穂があたし見つめてた。別に、いいけどさ。

 ぼ〜っとしながら着替えして、あたしは教室に向かった。まいったなぁ。こんなときに、カバン忘れてきちゃうなんてさ。

「‥‥にしても」

 宿題も珍しく全部終わって、秋に向けてがんばるぞっ!‥‥ってときのはずなのに、ぜーんぜんその気にならないや。

 ラクロス部のみんなからは、帰って寝てろ、なんて言われるし。はぁ、これじゃキャプテンじゃないよなぁ。まずいの、わかってんだけどなぁ‥‥

「あれ?」

 ため息つきながら階段上がってて、思わず声が出ちゃった。教室のほうから、声が聞こえてきてる。

 ――いや、別にそんなに遅いわけじゃないし、誰かいたっておかしくないんだけどさ。でも、この声‥‥

「それで、ユリコは平気だったの?」

「へーき、へーき☆ ほのかでずいぶん慣れたからね」

 化学部のメガネの子、ユリコと‥‥あっちゃぁ、ほのかだよぉ。

 まいったなぁ。教室の目の前でしゃべってんじゃ、見つかんないで入れないよ。ほのかにしちゃ珍しく、きゃらきゃら話してるし、そう簡単にはどかないよねぇ。

「でもあの子、元気あるね。‥‥やっぱ、ほのかはあ〜いうのが好みなの?」

「え? う〜ん‥‥そう、そうかも、ね

 って、好み? なに?

「な〜にが、『ね』よ。化学部はひとり者が多いんですからね。ちょっとは注意しなさいって」

「は〜い♪」

 ゴツッ、って音が頭に響いた。思わず、階段の壁にはりついちゃったんだ。あたし。

 でも、それよりもっと大きく声が響いてる。あの子‥‥『あの子』?

 いや、うん、その、ええと‥‥これって、これってやっぱり、志穂の言ってた通り‥‥!?

「ん?」

 にこにこ笑ってるほのかの後ろ、廊下の端っこのほうで、なにか動いてる。

 見間違いかと思って、メガネをかけなおしてみたんだけど‥‥やっぱり。階段のとこから、茶色の丸っこいのが出たり入ったり。これ、どう見たって、

「ちょっと、ほのか。あそこにいるのって、美墨さんじゃ‥‥?」

 そう言って指さそうとしたら、腕ごとぐいっ、と下に降ろされた。

「ええ、なぎさね」

 なぎさね、って。振り向きもしないで、よくわかるよ。あきれるね、ちょっと。

 それにしても、美墨さんもヘンだなぁ。階段の影からこっそり覗いてるなんて‥‥あ、ジャマしちゃ悪いって思ってんのかな? 化学部にはズカズカ入ってくるくせに、妙なとこだけ遠慮するもんね。

 わたしは、すぅっと息すって、階段に向かって片手をあげた。せぇ、のぉ‥‥

「ユリコ、ちょっと待って」

 呼ぼうとしたところで、またほのかが上げた手にしがみついてきた。一瞬だけ階段から目が離れて、また見てみたら‥‥あ〜あ。

「なにすんのよ、ほのか。もう、階段降りてっちゃったじゃないの」

 振り返った目の前で、ほのかがくすくす笑いながら謝ってる。なんか、へんだなぁ。

「まぁ、いいけど‥‥ところでほのか。なんでいきなり、あの子の話なんかし始めたの?」

 そうほんと、いきなりだったもんね。無理やり話題変えた、って感じでさ。

「え? ええ、ちょっと気になっただけ。ごめんね

 またくすくす、って笑うほのかの顔に、ちょっとだけぽかん、としちゃった。その顔があんまりにも普通で、だから、わたしはちょっと聞き逃しちゃったんだ。

「もうちょっと、かな?」

 ‥‥そう、すっごく大事な、ほのかのつぶやきを。

 階段を下まで降りたところで、あたしは動けなくなった。

(だってさ、ほのかから男の子の話って出てこないもんね)

 頭の中に、あたしが言った言葉が聞こえてきた。もう4日も前に言った言葉が。

(そうね。でも人間だもの、そのうち興味が出るわ。それから考えてもいいでしょ)

 正面の窓からまっすぐ日が差し込んでくる中、ほのかの声も聞こえてくる。‥‥暑いはずなのに、ちっとも感じないな。

(ほのかに彼氏ができたら、うちの学校でほっとするの10人じゃきかないよ、きっと)

 どこからか、風が吹いてきた。ちょっとほこりっぽくて熱い風が、髪の毛とスカートをゆらしてく。

(なぎさも、ほっとする?)

 また聞こえてきたほのかの声に、あたしは思わず口をあけて‥‥そのまま閉じた。4日前はすぐに答えられたこと、なんだけど‥‥

「なんで、あんなこと言っちゃったんだろうなぁ」

 言葉がこぼれたのと一緒に力が抜けて、あたしはそのまま、階段の下の段に座り込んじゃった。

 たいへん、たいへん。

 授業が終わったあと、ついクラスのお友だちと話しちゃってたら、もうお日さまが傾いちゃってるわ。あかねさん、きっとてんてこ舞いしてるはずよね。早く戻って、せめてタコカフェのあと片付けだけでも‥‥あら?

 下駄箱のちょっと手前、階段の端っこに、見覚えのある顔が座ってる。あれって‥‥

「なぎささん?」

 階段に腰かけて、ひざのうえで頬づえついた頭から、目だけがちょこっと上向いた。

「ああ、ひかりかぁ‥‥」

 なんだろう、はじめてみるわ。なぎささんの、こんなに落ち込んだ顔。あぁ、また下向いちゃった‥‥

 私は思わず駆けよって、ゆかにぺたん、と座り込んだ。

 お日さまにあたって、まだちょっと熱いゆかが足に触れる。けど、そんなこと気にしてる場合じゃないわ。

「なぎささん!?」

 私はもう、ゆかに寝転ぶぐらいになって、下からなぎささんの顔を見上げて‥‥息がつまっちゃった。

「な、なんでもないよっ!」

 その瞬間、なぎささんはがばっ、と起き上がって、そのまま下駄箱に走っていった。

 私はゆかの上で、しばらく起き上がれなかった。

 まだ目の奥に焼きついてる、見上げたなぎささんの目。ゆらゆら揺れて、いまにも、泣き出しちゃいそうな‥‥


「ポポ? ひかり、帰らないポポ?」

 カバンの中から声が聞こえて、私ははっとした。

 帰る‥‥そう、帰らなきゃ。あかねさんが‥‥でも。

「ポルンは、わかってくれるわよね?」

 ちょっとだけ開けたカバンの中で、ちっちゃな顔が笑ってる。私の気持ち、わからないかもしれないけど。それでも、笑ってる。


 そうよ。うん、そうしよう。

「はぁ。なんだって、こんなことになっちゃったのかなぁ‥‥」


 校舎の裏っかわで壁によっかかりながら、あたしは思わず声に出してた。思っきり走りこんできたせいで、ちょっとまだ息切れてるけど‥‥そんなことより。

「ひかり、気づいちゃったよねぇ」

 口にしたら、後悔が押し寄せてきた。

 ヤっバいなぁ‥‥ひかりって、結構人のこと気にする子だもんねぇ。ったく、あたしが原因作ってどうすんのよ。もう!

「はぁ‥‥」

 空を見上げたら、また息がもれていった。風に乗って、雲の形がゆっくり変わってく。タマゴみたいな形の雲から、まっすぐな細い雲が、すーっと。

 なんだか、だんだんどっかで見たような形になってくな。あとはあの上の方に、ハート型のヘアピンが‥‥

「ちがうってばっ!!」

 ばっ、と壁から跳ね起きてあちこち見てみたけど、だれもいない。あぁ、もう! 自分の大声に自分で驚いちゃうなんて、どうかしてるよ、あたしはっ!


 トスン


 軽い音がしたと思ったら、いつもよりほこりっぽい土の匂いがやってきた。

 ‥‥ん? あぁ。あたし、座り込んじゃったんだ。

 まずいよね。制服のスカートのままなのに、よごしちゃってさ。

「でも‥‥」

 でも、あたしはそういうヤツなんだ。こないだだって、フェンスよっかかったまま眠っちゃったし。スカート土だらけで、ほこりっぽくて。そんなのはみんなもわかってる。わかってくれてるはず、だから。

「三日も、かぁ‥‥」

 鼻の奥から、土の匂いが消えた。代わりにきたのは、痛みだけ‥‥

「失礼しますっ」

 何度来ても緊張する理科室のとびら。私は思い切って開けてみた。

 そこには、とにかくいま一番話したい人がいるはずだから。

「はーい‥‥って、あれ? ひかりちゃん?」

 夕日で紅くなった理科室から、よく通る声といっしょに出てきた顔には、メガネがかかってた。

「あ、あの」

 やっぱり、ちょっと緊張する。ユリコさん‥‥ほのかさんのお友だちって言っても、私はあまりお話ししたことない人だもの。

「どうしたの? ‥‥って、ひかりちゃんがここに用事なら、ほのかしかないか。でもごめんね、ほのかってば先に帰っちゃってさ」

「い、いえ!」

 言ったとたん、メガネから目があふれちゃうくらい大きくなった。いけない、思わず叫んじゃったけど‥‥いいわ、このまま言っちゃおう。

「私、ユリコさんに、聞きたいことがあるんですっ!」

 ふぅ。言い切ってからそぉっと顔を上げたら、ユリコさんが自分を指さして首をかしげてる。ああ、もっとちゃんと説明しなくちゃ

「ええと、その、ほのかさんとなぎ‥‥」

「わ、わたしが、どうかしたの?」

 ひぃっ!

 背中からの声で、私の心臓は止まっちゃうんじゃないかと思った。

「ほのか、帰ったんじゃなかったの?」

 ユリコさんも気がつかなかったみたい。いつの間に来てたんだろう? 気配なんてちょっとも感じなかったのに。

「うん、そのつもりだったのだけど‥‥ちょっと、用事ができたから」

 ううん、そんなこと考えてる場合じゃないわ。いまは、とにかく。

「そ、それじゃ私、失礼します!」

「あ、ちょ、ちょっと、ひかりちゃん!?」

 ユリコさんの声を背中で聞きながら、私は誰もいない廊下を走っていった。

「あ、ちょ、ちょっと、ひかりちゃん!?」

 わたしがろうかに首出したとき、小さな女の子はもう見えなくなってた。

 ふぅ、ってため息みたいの聞こえた気がして、振り返った先には笑顔のほのか。

「やれやれ、なにしに来たんだろねぇ」

「さぁ?」

 笑顔、なんだよね。わたしの言ったことばに、ほのかのくすくす声が重なってきてる。けど、


 ‥‥なんか、わざとらしい


 うん。わたしのカンが教えてくれたよ。

 自然と、目つきがジロッって感じになる。そうだよ。さっきだって、いきなりあの子の話し始めちゃうし。きょうのほのか、なんかヘンだ。なんかおかしい。

「それじゃ、わたしはほんとに帰るわね」

 ほのかがカバン持って、理科室から出ようとしてる。それを見た瞬間、わたしはとっさにカバンつかんじゃった。

「ちょい待ち、ほのか」

 こっちをちらっと見た顔は、笑顔のまま‥‥いーや、だまされるもんか。いま、つかんだカバンがびくっ、としたもん。

「ほのかぁ〜? 正直に言うなら、見逃してあげてもいーんだよ?」

 ほら、またびくっとした。もう絶対、間違いないわ。

「な、なに言ってるのよ、ユリ‥‥」

「1日!」

 最後までなんて、言わせたげないよ。まったく!

「わたしが我慢すんのは、1日だけだからね。明日までに元に戻らないと、どうなるか‥‥」

 ほのかがくちばし尖らせた。言いわけでもしよう、っての? もう遅いって。思い出したちゃったんだから。

 ヘンなのは、きょうからじゃないって。

「あの子、わたしに相談に来たのよ? ほのかや、美墨さんじゃなくって!
 それがどーゆー意味なのか、わかんないとでも思ってる?」

 つかんだカバンに力が入る。わたしが手を放すと、ほのかがちょっとだけこっち見てから、そのままろうかを駆けてった。

 ほのかの行く先はわかんない。けどわたしはとびらを閉めて、夕日の差し込む理科室の脇の方、ちっちゃなとびらへ歩いていった。

 とびらを開けると、実験器具がいっぱい。でもそのなかにひとつ、場違いなものがかかってる。何日か前に、ほのかに頼まれたものが。  わたしはそれを取って、畳んで、片手に抱いた。行くべき場所はわかってる。あとは、()()()を連れて、と。

「さて、ひかりちゃんの援護に行きますか

「どうしよっか、志穂?」

 なぎさ抜きの練習が終わって教室に行く途中、並んで歩いてた莉奈が声かけてきた。

「え〜っとぉ」

 あたしも一応くち開いてみたけど、な〜んにもアイディア出てこないや。

 まずいんだよねぇ。練習だけならだいじょぶかな〜、って思ってたんだけど、やっぱなぎさがいないと違う。今年のラクロス部って、なぎさのチームなんだよね。ほんとにさ。

 こーいうとき頼りになるのって言ったら、ほのかちゃんなんだけど。でも、今回だけは聞けないし‥‥

「あとで、ユリコちゃんとこでも行ってみよっか?」

 練習早く終わらせちゃったし、まだ理科室に残ってるかもしれないもんね。

 あたしは、階段の最後の4段をぴょんぴょん、っと跳んで上がった。角を曲がればすぐ教室。カバン持って、そのまま理科室行けば‥‥ってぇ!?

「なになになにぃ〜っっ!?」

 目の前にいきなり、明るい色のカタマリが飛び込んできたぁ!

「きゃっ!?」

 明るい色のカタマリ‥‥髪の毛が、あたしの目の前で急ブレーキかけた。止まりきれなくってぶつかってきたけど、すっごく軽くてぜんぜん平気。はじき飛ばさないように、抱きとめちゃったくらい。

「こぉら1年生! ろうか走っちゃダメで‥‥って、あれれ? この子‥‥」

 階段上がってきた莉奈の声が、途中でとまどってた。1年? そういえば、なんだか見たことある髪の毛、って、

「あぁ、そうそうそう、1年の九条さんだよね。なぎさとよく一緒にいる子」

 あたしの胸からぱっ、と顔上げた九条さん、ぺこぺこ頭下げてる。まぁ、わざとじゃないんだし、怒ることもないよね。
 それじゃ、手でも振って、そのまま別れて‥‥あ、あれ? 手が、振れない?

 よく見てみたら、あたしの手に九条さんがしがみついてた。絶対はなれないぞ、っていう顔で。

「あ、あの! なぎささんとほのかさん、なにかあったんですか!?」

 その瞬間、あたしたちは凍りついた。

「え〜っ、とぉ‥‥」

「う〜ん‥‥」

 莉奈の目、のぞきこんでみたけど、やっぱダメ。なんとかごまかしてよ、って目が言ってる。でも‥‥あたしは、そのまま目を九条さんにうつしてみた。

 本気だよ、これ。興味半分じゃないや。‥‥そうだよね。この子ってここ半年、あのふたりとずっといっしょにいるんだもん。

 うん。よぉし!

「あのねあのねあのね!」

「志穂、ちょ、ちょっと!?」

 莉奈が口ふさごうとしてるの、あたしは思いっきり振り払った。

「ん、もぉ。いいんよ、この子になら。‥‥でねでねでね、あたし見ちゃったのよ。3日前、男子部との境目にあるフェンスでさ」

 ちょっとだけムッとしてる莉奈に片手でゴメンして、あたしはすぅっ、と息吸った。‥‥うん、あたしは間違ってないよ。この子には、話さなきゃ。

「ほのかちゃんが、寝てる男子部の子にキスしてたの!」

 目の前のフェンスが、少し赤く光りはじめた。

 そのずっと向こう、男子部の運動部の子たちが少しづつ、部室に帰ってくよ。あれは、サッカー部かな?

「元気な子、かぁ‥‥」

 あの中に、あの子もいたんだ。もう1年半も前だけどさ。

「ほのか、もう忘れちゃったのかなぁ?」

 口に出してからしばらくして、あたしは首ふった。

 そんなわけない。ほのかが、忘れるわけないよ。ひかりが来るまでは、背丈が似てる子見つけるたびに立ち止まってたくらいだもんね。

 みんな覚えてて。でも、それでも好きになっちゃったんだ。きっと、すっごくいい人見つけたんだよ。そうに決まってる。

 けど‥‥

「志穂も志穂だよ。3日も経ってから言わなくってもさ」

 あたしはまた首ふった。ちがうよ、志穂は悪くない。夏カゼで2日休んでたんだもん。言えるわけないんだよ。

 けど、だけど‥‥

「朝、いっしょに学校来て、休み時間にしゃべって、帰りにタコカフェ寄って、家返ってからもちょこっと電話して‥‥」

 それが3日分。それなのに、なにも聞いてない。あたしには、なにも言ってくれなかった。

 言ったらあたしがジャマするとでも思ったの? ――ちがうよ。そんなこと思うわけない。それじゃ‥‥

(ほのかに彼氏ができたら、うちの学校でほっとするの10人じゃきかないよ、きっと)

 4日前に言った言葉が頭の中に響いて、あたしの背中に冷たい汗が流れた。まだ日があって暑いっていうのに。

 いっくら好きでも、ほのかがすぐにキスまでするわけない。もっともっと前から好きだったに決まってる。

 なのに夏休み中、あたしはほのかと一緒だった。ずっとずっと、一緒だった。あたしのこと考えて、一緒にいてくれたんだ。好きな人と、もっと一緒にいたいはずなのに、我慢して!

(――なぎさも、ほっとする?)

「なんて無神経なんだよ! あたしはっ!!」


 ガンンッ!


 思わず、グーでなぐった頭がくらくらする。――だめだ、もう限界。これ以上考えたら、ほんとに死んじゃう。

「ちょっとだけ、寝よう‥‥」

 あたしは立ち上がって、男子部との境目のフェンスまで歩いていった。この前みつけたんだ。ちょっとたるんだとこ、針金が細くてやわらかいとこがあんの。こうやってよっかかって、目をつぶればちょっとしたベッド。だから‥‥


(――なぎさも、ほっとする?)


「もう許してよ。ほのかぁ‥‥」

「はっ、はっ、はっ‥‥」


 一所懸命な息づかいが聞こえてくる中、あたしは走ってた。教室から階段おりて、上履きのまんまで昇降口から校庭へ。

 ずっと、ちっちゃな手に引っ張られながら。

「ねぇねぇねぇ、そんな走んなくても‥‥」

 って、手の先に向かって言ってはみたけど、

「いいっ、えっ! なぎっ、なぎさっ、さんっ、がっ!!」

 ちょっとだけ、こっち向いた九条さんの顔見たら、それ以上言えないよ。

 息きらして、足もつれさせて、それでもとにかく走ってくんだもん。‥‥あ〜、もう! 愛されてるなぁ、なぎさってばさ。

「それで、志穂が見た、ってのはどのへんなの?」

 となりから、莉奈のへーきな声が来る。そうなんだよね。ほのかちゃんがキスしてるとこ見た、って言ったら、とたんに『その場所に連れてってください』って手を引っ張ってきたんだもん。‥‥あたしの手だけ。なんか莉奈、楽すぎな気がするなぁ。

「志ぃ〜穂?」

 はいはいはい。わかりましたよ。

 九条さんは、校舎の角をお構いなしに曲がってく。あたしはぶつからないようにちょっと走りながら顔を上げて、

「奥のフェンスだよ。そうそうそう、こうやって校舎ぐるっと回った先の‥‥えぇぇっっ!!?」

 その先にいたもの見て、あたしは思わず足止めて大声上げちゃった。

「きゃあっ!」

 九条さんの叫び声と、なにか転んだみたいな音、遠くから聞こえる気がする‥‥けど、あたしはそんなの気にしてられなかった。

 だってだってだって、あれ、3日前と同じ! 寝てる場所も、背も、寝てるかんじも‥‥ほかの子だなんて、ありえないっ!!

「あの子だよ! あのフェンスで寝てる子! ほのかちゃんが、キスしてたの!!」

 つむった目のまえが、急に暗くなった。

 近くでなにか、気配がする。

「えーっ、とぉ‥‥」

 よく聞く声が、すぐ近くから。

「えとえとえとぉ‥‥」

 いつもの声も、近くから。

「あのぉ‥‥これって、なぎさ、さん‥‥?」

 ちょっと戸惑ったみたいな声も、いつものだ。‥‥あ、ほら。あんま近くによると、みつあみが当たってくすぐったいって‥‥ええっ!?

「ひ、ひかり!?」

 飛び起きたあたしのまわりを、みんなが囲んでた。ひかりに‥‥莉奈に、志穂。なんか、変な組み合わせだけど‥‥??

「志穂? これ、ほんと??」

 莉奈は『これ』とか言ってあたし指さしてるし、

「んと、んと、んとね? 多分、そう」

 志穂はあたしと目も合わさないし、

「それじゃ!」

 でもって、ひかりだけ目をキラキラさせて‥‥ひとが落ち込んでるってのに、なによ、いったい?

「ほら、志穂!」

 莉奈が志穂の後ろに行ったと思ったら、いきなり志穂があたしに向かって跳んできた。

「うわわわわっ!」

 なんとか両肩つかまえたけど、志穂が目の前どアップだよ。なぁにやってんだろ‥‥

「えとえとえと‥‥なぎさ、怒んないでよ?」

 ん? すぐ離れるかと思ったのに、志穂があたしの腕つかんで、シャツのすそ、ちょこちょこいじってる。なんか言いにくいことでもあんの? ‥‥って、うわ! いきなりまたどアップ!?

「あたしが見た、ほのかちゃんの相手って‥‥」

 へ?

 あたしは一瞬、ぽかん、としてたと思う。

 目のすぐ前に、志穂の指。それが、まっすぐこっちをさしてる。‥‥って、ちょっと、待って、よ?

「あた‥‥し??」

 すぅっ、と志穂の指が引っ込んでくの見て、思わず腕ごとつかんだ。

「あたしぃ!?」

 ぶんぶん腕ふってるけど、逃がすもんか! な、な、なにをいまさらっ!

「ったく、なんで間違えたんだろうね、志穂ったらさ。
 だいたいここって女子部の側じゃない。フェンスがやわらかいって言っても破れるほどじゃないし、男の子が寝てるわけ‥‥」

「だってだってだって、男子部の制服かぶってたんだもん! 冬服の上着‥‥あれ? 冬服??」

 言ってる途中で、志穂の目が空見上げた。あたしが、男子部の冬服着てた? なにそれ??

「それって、こんなのじゃなかった?」

 あ?

 声のした方に制服が見えた。男子部の、冬服の‥‥

 がばっ、と頭を上げたところに、メガネの顔があった。

「やっぱりね。ほのかに頼まれて、知り合いの男子部のを持ってきたんだけど」

 化学部のユリコが、なんでここに??

「どうしてここがわかったんですか?」

 ひかりも、まんまるな目で見つめてる。そうだよ、ここって偶然通りかかるようなとこじゃないのに。

「久保田さんに聞いたの。美墨さんはときどきここで寝てるって。‥‥で、それをほのかに教えたのも、わたしよ」

 制服を腕にかかえながら、ユリコが言ってる。

 あたしは、志穂の腕を支えにして立ち上がった。スカートのおしりを叩いてると、ひかりの声が聞こえてきた。

「えっと‥‥どういうことなんですか??」

「んーと、思いっきり簡単にいうとねぇ」

 あ、ユリコの目、なんか笑ってるよ。たくらんでる時のほのかみたいに。

()()美墨さんがフェンスで寝てるとこに通りかかったほのかが、()()男子部の制服持ってて、思わず制服かけてキスしてるとこを()()久保田さんに見られて、でもって美墨さんが起きる前に制服持って立ち去った、と。
 ()()、久保田さんが立ち去ったあとに、ね」

 うっわぁ‥‥みんな一斉に困った顔になったよ。あのひかりまで。

 でも、ヘンだな?

「なら、あのろうかで話してたのはなんだったのよ。元気がある子が好きとか‥‥」

「はい、『元気な子』」

 あたしが言い終わる前に、待ってました、って感じでなにか出てきた。片手で持てる、プラスチックの透明な箱。

 箱の中では、白と薄茶色が動いてる。番人くらいの大きさで、でもしっぽが長くて、ちょこまか。

「ね、ねずみ??」

「そ。数日前から、化学部で飼ってるの。ほのかにばっかり懐いちゃってるけどね。
 さぁて、美墨さん。心当たりはないの? ほのかが、これだけ凝ったことするなんてこと、そうそうないわよ?」

 みんなの視線があたしに集まって、思わず一歩下がっちゃった。心当たり、って、言われてもね‥‥

「どうしちゃったんでしょう、ほのかさん。夏休み中はこんなことなかったのに‥‥」

 ぱっ、と顔を上げたとこに、ひかりの困った顔。

 なんだろ、いま確かに、なんかがひっかかったのに。夏? 夏休み‥‥??


(夏休みがもうひとつあればいいのになぁ――)


「思い‥‥だしたっ!」

 言葉がこぼれた瞬間に、あたしは駆け出してた。

「え? あ、あの、なぎささんっ――!?」

 びっくりした顔で走り出そうとするひかりちゃんの肩を、わたしは両手でおさえた。

 目線の先では、駆け出してった美墨さんがだんだん小さくなって、校舎の向こう側に消えてく。

 すっかり見えなくなってから、ひかりちゃんがこっちへ振り向いた。赤い夕日の中で見る、ちょっとくちばし尖らせた顔。なんだか苦笑いが出ちゃうな。

「だいじょぶだいじょぶだいじょぶ☆ 動き出したら、なぎさは無敵だもん♪」

 久保田さんの言葉で、ちょっとだけほっとした顔になった。助かるなぁ。わたしじゃこうはいかないもの。

「ま、とりあえずは明日ね」

 高清水さんが、両手を頭の後ろで組みながら、昇降口に歩いていく。

「そうそうそう、明日、明日♪」

 久保田さんも、跳ねるみたいにそのあとついていく。

「明日‥‥??」

 ひかりちゃんが見上げてきた。首かしげた顔が純真すぎて、わたしは思わず前向かせちゃったよ。

「うん。明日ね」

 そのままわたしは、ひかりちゃんの背中を押しながら歩き出した。下を見ると、上履きのままの細い足。何も考えずに飛び出してきた、足‥‥さぁ、これで明日、ふたりが元に戻ってなかったらどうしてやろうかしら。

「覚悟なさいよ、ほのか

 手首にかけたハムスターのカゴが怯えたみたいに震えたのは、とりあえず無視することにした。

(夏休みがもひとつあればいいのになぁ‥‥)


 ほのかン家の近くの駅についてから、あたしは走ってた。

 そうだよ。なんで忘れてたんだろ? 最初に言い出したのは、あたしだったじゃない。

(もっと長く、じゃなくて?)

(そうそう。宿題はしかたないけどさ。それと別に、ただずーっと遊ぶ夏休みがあるとねー)

 大きな柿の木を曲がって、坂を上がると、遠くからでもすぐわかる、ほのかン家の塀が見える。

 そうだった。ほのかはくすくす笑ってたっけ。あたしらしい、なんて言ってさ。

(‥‥そうね。わたしも、欲しいかも。みんなと一緒の夏休みだけじゃなくて、もっとゆっくりな夏休みもね)

(んー、これで男の子と一緒の夏休み、ってのが出れば、色気もあるんだけどなぁー)

 塀の端っこから門まで、あたしは思いっきり地面を蹴って走った。

 門はちょっとだけ開いてる‥‥まるで、あたしが来るのわかってるみたいに。

(なによ、それ?)

(だってさ、ほのかから男の子の話って出てこないもんね‥‥)

「お邪魔しますっ!」

 庭で水まいてるおばあちゃんに声だけかけて、あたしはそのまま走りこんだ。

 庭の隅から出てきた忠太郎を、ステップでよけながら。

 その先には‥‥ほら、待ってるよ、こいつは。縁側に腰掛けてさ!

「ほ〜のぉ〜かぁ〜〜っ!!」

 あ、来た来たって顔してっ!


(彼氏ができたら‥‥なぎさも、ほっとする?)


 ほのかの体、あたしは腕ごと抱きついて、

「あ、なぎさ♪‥‥え?」

 それから、ぎゅーっと抱きしめた。全力で。

「あいたっ! 痛、痛い痛いっ!」

(そりゃ、友だちだもん。ちょっとはほっとするって。応援するよ☆)

 そう。あのとき、軽くそう言ったんだ。あたしは。

 なんにもためらわずに、そう言えたんだよ。なんにも知らないから。ホントにそうなるなんて、考えてもみなかったから。

 でも、いまならわかる。あたしの中の、本当の答え。

「前言撤回! これがホントの、あたしの答えよ! 文句ある!?」

 もう一度、目をつぶって。ほのかの背中で両方の手首をつかんで。爪が食い込むくらい、全力でぎゅ―ッ!!! ‥‥でも、痛そうな声は、もう聞こえなかった。

 ほんのちょっとだけ目を開けてみたら、目の前にすっごく痛そうな笑顔が輝いてる。

 きっとあたしも、同じ顔してるはず。おんなじだけ痛みもらって、それでも笑った顔見せて‥‥

 その瞬間、ほのかがいきなり、ぷっ、って吹き出して、

「‥‥ん。痛い痛い


 痛そうな顔と軽い声が、あたしにはとってもまぶしく見えた。

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