とじないまなこにうつるひび

 晩秋の、やや冷える夜が明けた。陽光が暖かな風を(ともな)って、()けた大窓の向こうから差し込んでくる。

 ここは緑の園。わが友フラワーが作った、緑の者たちの場所。ここが、いまの吾輩(わがはい)の城だ。

「それじゃコッペ様、行ってくるですぅ」

 朝の挨拶(あいさつ)にやってきた若い妖精が、城から出てゆくのを見送り終わると、あたりはまた静寂で満ちた。

 誰もいない、緑の者たちの場所。今日も、吾輩はこの城で緑をただ見つめる。


 わがまなこは閉じぬのだから。

「おはよう、コッペ」

 静寂が訪れてしばらく(のち)。ささやかな音と共に城の入り口が開き、ジョウロを片手した小柄な影が、吾輩に声をかけてきた。愛すべきわが友、フラワーだ。

 ――おはよう。ほぼ問題ないが、奥のパイナップルに少々元気がない。気にかけてやって欲しい。

「パイナップルね。ちょっと冷えたかしら‥‥わかったわ、見てみましょう」

 吾輩の言葉に、わが友はシワだらけの顔を少し曇らせたが、すぐ(うなず)くと奥へと向かった。これで、あの緑も元気になるだろう‥‥わが友の腕は、絶対だ。


「そういえば、つぼみの学校はもうすぐ学園祭だそうよ」

 奥から戻ってくると、わが友は吾輩の前に腰をおろしてそう言った。

 朝のこの時間、友とふたりだけで過ごすときにも、ここ半年ほどは別の者の影が見える。わが友の孫娘たち‥‥新たなプリキュアたちのことが多く語られ、吾輩はただそれを聞くばかりだ。

 だが、それもよかろう。少なくとも以前よりはずっとましなのだ。ゆり君が心を枯らしてからしばらくは、見るに()えぬほどであったからな‥‥

「部活動でファッションショーをやるんですって。私も、陽一やみずきさんと一緒に観に行くつもり。あなたも行く、コッペ?」

 うん?


 吾輩は、目を宙に浮かせ、しばらく考えてから答えた。

 ――わが友にしては珍しい冗談だな。

「そうかしら? 私はね、コッペのからだが大丈夫なら、もう少し外へ出てほしいのよ」

 輝かせたその目を見ていると、知らぬ間に心の中で溜息(ためいき)をついてしまう。

 昔からではあるが、わが友には時々こういう無茶を言うクセがあるな。

 ――友の希望は(かな)えたいところだが、この身が動くだけで騒ぎの元というもの。無論、彼ら‥‥お(ぬし)の孫娘たちの危機とあらば、何処(どこ)へなりと(おもむ)こう。だが、いまは違う。


 いたずら好きも、年相応に変えてゆくべきであろうに、変わらぬものだ‥‥

「そう? なんと、ゆりちゃんまで出演するそうよ。あなたも楽しみじゃない?」

 そう考えていた途中に聞こえたその言葉に、吾輩はしばし(もく)した。

 あの ゆり君が学園祭、ファッションショー、か。

 ――確かに、観たくないと言えば(うそ)になる。が‥‥

「が?」

 ――やはり吾輩は、ここから見つめよう。


 顔のシワを笑顔に変えながら、わが友が透明な扉を開けて出て行く。吾輩はその姿も、この場所で見つめていた。


 わがまなこは閉じぬのだから。

 わが友が去ってからしばらく、この城に静寂が戻る。

 暖かな光は緑を照らし、暖かな微風となって城の中を行き交っている。

 ――ゆり君が、ファッションショー、か。

 知らず、吾輩はつぶやいていた。音にならぬ声ゆえ、近くに誰がいたとてわからぬだろうが。

 頭に浮かぶのは、半耳の妖精のこと。吾輩の反対を押し切って、ゆり君につき従って行った、わが小さき友のこと。


 (なにかあれば‥‥ゆりを、頼みます)


 最後に交わした言葉が、頭をよぎる。だがその後、吾輩になにができたものか。

 ――結局、吾輩ではお主の代わりにならなかったな、コロン‥‥


 閉じぬひとみの裏にも、過去は映る。あれは ゆり君がダークプリキュアに敗れたとき。

 吾輩の手の中で、声を殺して泣いていた小さな影。

 吾輩の手は、頭を()でるには大きすぎる。声は友でない ゆり君には届かぬ。吾輩が差し出せるとすれば、この大きな身体だけだ。

 なぜコロンを助けてくれなかったか、それでも偉大な妖精か‥‥そうやって、吾輩を叩いて(なじ)って当り散らしてくれれば、少しは心も軽くなっただろう。

 だが、叩く相手をすべて己の中に向けてしまった ゆり君を、吾輩はただ、見守り続けるだけだった。


 (しお)れた心の花を(よみが)えらせたのは、小さき友に託された吾輩ではない。若きプリキュアたちと、そして小さな友、それ自身の力だ。

 吾輩は、何ひとつ力を貸してはおらぬ。この場所で、ただその姿を見守り続けたのみ。

 それとて吾輩に、閉じるまなこがないだけのこと。


 ――まったくもって、心の大樹で合わす顔もないな、吾輩は‥‥

 (ボクたち妖精は、心の大樹から産まれて、心の大樹に(かえ)る。あなただってそうだろう?)


 静寂に包まれ、やや緑に溶けこみかけていた吾輩の心に、言葉がよみがえった。

 あれは、そう。心の大樹の前、ゆり君の前に現れた奇跡のわずか後。吾輩の城を通りかかった、小さき友のことばだ。


 ――その通り。いずれ吾輩も、心の大樹へ還る。願わくば、わが友フラワーを見送ってからにしたいものだがな。

 (ボクが、彼女を悲しませた姿を見せてしまったからだね‥‥)

 相も変わらず、頭の良いことだ。もうすぐ大樹に還るというのに。

 ――要らぬ世話だ。長くこの世界に居れば、色々とある。お主のことも、その内のひとつに過ぎぬ。

 (あなたは‥‥本当に、偉大な妖精だね)

 ――そうだ。今の世に二人しかおらぬわが友の、最後の願いすら叶えられぬ程度の『偉大な妖精』だ、吾輩はな。

 その瞬間、ふぅ、とひとつ溜息が聞こえた。

 (それが正しいかどうかは、ボクのパートナーが教えてくれるよ。‥‥それじゃ、本当にこれで最後だ)

 ――んむ。いずれ、心の大樹でな。コロン。


 目の前が過去から現在へと戻る中、ひとつの言葉だけが、頭に残った。

 ――コロンのパートナー‥‥ゆり君が教えてくれる、か。

「こんにちは」

 吾輩の影が、やや長くなってきた頃。吾輩の城に入るものがあった。

 薄いながらも土の色をした服に身を包み、吾輩のそばまで歩みを進める娘。

「コッペ様、ちょっとお邪魔しますね」

 (かばん)をテーブルの上に置いて眼鏡越しに吾輩をを見上げたのは、ゆり君だった。

「やっぱり、ここは落ち着くわ‥‥」

 テーブルの脇にある椅子(いす)を持ち上げると、吾輩の正面に置いて腰をかける。‥‥ふむ、珍しいな。テーブルからこちらを眺めるのが通例であるのに。

 そう考えていると、ふぅ、と一息吐いた音。その音に押されるように、眼鏡のひとみが吾輩の顔を見上げてきた。

「コッペ様。あの子達ったら、私にファッションショーに出ろ、なんて言うのよ」

 ん?

 いきなり話し始めた ゆり君の顔を、吾輩はじっと見つめた。

「もちろん、桃華(ももか)といっしょだけど‥‥おまけじゃないの。あの子の目でわかったわ」

 んむ‥‥

 じっと見ている吾輩の前で、ゆり君の頬がわずかに紅潮(こうちょう)していた。口調もやや早い。

「バッチリ似合う服を作る、なんて言って、デザイン画を見せてくれて‥‥あ、あんな可愛い服が、私に似合うと本当に思ってるのよ。あの子たちったら、もう‥‥」

 そうか‥‥

 吾輩は、目を宙に向けた。

 ――見ているか、コロン。

 そして、この世界のどこかに溶けている者へ向けて、声をかける。

 ――お主が命を()して守りぬいた娘はいま、これほどの花を心に咲かせておるぞ‥‥心だけでも来られるならば、吾輩のまなこを使って見るがいい。

「もう、こんなペタ靴じゃ恥ずかしくて‥‥え!?」

 ――手は貸せぬ。声も出せぬ。だが‥‥吾輩のまなこならば、いつでも使うがいい。

「いまの感じ‥‥なに?」


 ――なに、遠慮は()らん。どうせ、閉じぬまなこだ。

「‥‥コッペ、さま?」

 問いかける言葉で、吾輩は我に返った。

 (それが正しいかどうかは、ボクのパートナーが教えてくれるよ)

 頭の中に、小さき友の言葉がよみがえる。

 なるほど。ゆり君にとって吾輩は、『偉大な妖精』ではないのか。

「ヘンね、いま、いつものコッペ様じゃなかったみたい。まるで、コロ‥‥」

 そうか。ならば、よいではないか。わが力など及ばずとも。

「気のせい、よね‥‥それでね、コッペ様――」

 よいではないか。この笑顔が続くのであれば。

 吾輩はそれで、十分満足だ。満足すべきなのだ。


 ただすべてを、この閉じぬまなこにうつすすだけで。

 それから、陽光ががやや傾く程の間、ゆり君は吾輩に向かって話しかけてくれた。

「――ふぅ。お話ししたら、すっきりしたわ。コッペ様、ありがとうございました」

 話を要約すると、靴が問題らしい。吾輩にはゆり君の靴の何が悪いのかよくわからぬが‥‥よく姿を借りる そら殿も服装にうるさい者ではなかった故、そもそもわかるはずもないか。

 吾輩の言葉がゆり君に伝わらないのは、むしろよかったのかもしれぬ。晴れ晴れとしたその顔を見て、吾輩はそう思った。

「さぁ、それじゃあ靴を探しに行かなくちゃ。桃華なみには遠いけど、服に負けないくらいの準備はしましょうか」

 ひとつ強く息を吐き、吾輩に向かって軽く一礼すると、ゆり君は外へ向かって駆けて行く。

 軽い足取り、踊るかの如き動き。その背中は、会ったばかりのわが友を彷彿(ほうふつ)とさせる。


 ――そうだ、()くがいい。その二本の足で地を駆け、二本の腕で夢をつむぐがいい。それこそ、人の子たる所以(ゆえん)。吾輩たち妖精はただ、それを見送るのみ‥‥


「そんな言い方しないの」

 いきなり背中から現れた小柄な姿を見て、吾輩は息をついた。

「よい‥‥しょっと」

 ゆり君の座っていた椅子に腰をかけると、友の顔が吾輩を見上げてきた。

 ――わが友よ。ゆり君を此処(ここ)へ寄こしたのは、お主だな?

「ええ、もちろんそうよ」

 余計なことをする。わが友の悪いクセの二つめだ。ゆり君も迷惑だろうに‥‥

「私だってね、うれしそうな顔が見たいのよ。あなたのそんな風な顔を、ね」

 そう言ってにこにこと笑いかける友の顔に、吾輩は思わず、ありもしない鏡を探してしまった。

 ――‥‥他に、だれも()らぬな?

「つぼみはまだ部活動中よ。だいじょうぶ
 つぼみと言えば‥‥ずいぶん、あなたにちからを使わせてしまったわね」

 ん? ああ、なにかと思えば、キャッスルでの戦いのことか。

 ――友の孫娘たちのため、友に代わって闘ってくれる者たちのためとあらば、どうということもない。

「ふふ。これがつぼみに聞こえたらね。きっと、あなたのことがもっと好きになるわ」

 可笑(おか)しそうにクスクスと笑う友の姿に、吾輩はまたため息をつきたくなった。

 ゆり君が元気になってからというもの、いたずら好きが以前より増してきたようだな。

 ――吾輩の言葉は、あの人の子には届くまい。この先もな。

「私には聞こえているでしょう?」

 友の目が、覗き込むように吾輩を見つめてきた。答えは知っておるであろうに。

 ――それは、吾輩と友の間だけのことだ。今の吾輩は『偉大な妖精』故、もう友は増えぬ。

 吾輩がそう言うと、友は何故か下を向いてひとつ息をついて‥‥再び上げた顔には、笑みが浮かんでいた。

「そういえばあなた、つぼみには いつもと違う言葉遣いをしていたわね。空さんの言葉に、合わせてくれたのね?」

 ころころと話がよく変わるものだ。吾輩は少しあきれ気味に思ったが、ゆり君も似たようなものか。

 ――あの娘からは、好意を感じた。好意は無為にできぬ。‥‥吾輩の力及ばず正体を露呈してしまい、済まないことになったがな。

 その瞬間、まっすぐ見上げる友の笑みが満面に広がった。

「ね。あなたはもう十分してくれているじゃないの。あなたのやり方で、みんなを見守ればいいのよ。
 そうすれば、私の他にも聞こえるかもしれないわ。そのうちに、ね」

 ――彼等はすべて吾輩が庇護すべき者だ。今まで通り。何が変わるものでもあるまい?

 吾輩の言葉に、友は今度はふふ、と声を出して笑った。

「それじゃ、たまには私のことも見てちょうだい」

 立ち上がり、椅子を片付けてこちらにやってくる友の言葉は、吾輩にはやや不本意なものだった。

 ――吾輩はいつも見ているつもりなのだが?

「ええ。でもね、ちょっとは甘えたっていいじゃない」

 吾輩は透明な周囲を目で見回しながらしばし考えた。が、まぁよいか。友の頼みだ。

 ――どれ、では望みの姿になろうか‥‥

「いいのよ、そのままで。それじゃ、ちょっとおなかを借りるわね」

 うん? 吾輩の腹が‥‥ああ、そうか。

「手も少し借りるわ。‥‥それじゃ、おやすみなさい」

 ――うむ。


 普段は柔らかいこの腹。そこに体を預ける友の顔を眺め、吾輩はわが身に感謝した。

「おば〜あちゃん ‥‥あら?」

 陽光がかなり斜めに入り込む中、元気な声が我が城に響いた。

「寝ちゃってるわね、つぼみのおばあちゃん」

 ふたりの若きプリキュアたちが吾輩に近づいて、我が友を不思議そうな顔で見つめている。不躾(ぶしつけ)にも見えるが‥‥

「コッペ様の体って、そんなに寝やすいんでしょうか?」

「ん〜。よぉし、実験してみよー!」

 元気よく振り上げる手に反して、わが友を起こさぬよう無意識に小声になるあたり、(とが)める気は起きぬな。

「それってただ、えりかも寝たいだけなんじゃ‥‥」

「いいからいいから。細かいこと言わないで。仲間なんだもんね、コッペ様も。いいでしょ?」


 ――寝小便に気をつけてくれるならば、な。


「へ? ちょ、ちょっと、この歳であたしがするわけないでしょ! なにヘンなこと言ってンのよ、つぼみっ!!」

「ひゃあ! な、なんなのですか、いきなり!」

 ん?

「あれ? ‥‥いまの、つぼみじゃないの?」

「わたしは、なにも言ってませんけど‥‥なにが聞こえたんですか?」

 ふむ‥‥

 むっとした顔が吾輩をちらりと見上げて、すぐかぶりを振ると、

「なんでもないっ! おやすみっ!!」

「はぁ‥‥なんなのでしょう??」


 ――そのうちに、か。


 我が腹に寄りかかり、そのまま寝息を立てはじめる娘たちを見ながら、吾輩は知らず言葉を漏らした。

 存外、友が増える時が来る日は近いのかもしれん。


 ならばその時まで見つめよう。

 どうせ、閉じぬまなこだ。

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