くるりん♪くるりん

「ん‥‥んん」


 目が覚めたら、薄暗い部屋。もう朝は肌寒い季節だけれど、この暗さは季節のせいじゃないわ。

「早く、起きすぎちゃったんだ」

 声に出してから、ぱっと口を手でおさえて枕のとなりを見た。

 ふたつのコンパクトから、ちっちゃな寝息が聞こえてくる‥‥ふぅ、よかったわ。ポルンたち起こしちゃったら、かわいそうだものね。


 なんとなく光を感じて、窓の方に顔を向けてみた。薄明かりが少しづつ明るくなって、あかい雲が広がってゆく。私の好きな風景だわ。早く起きて、得しちゃったかな。

 もっとよく見よう、と起き上がろうとしたら、頭がちょっとおかしな感じ。別に、眠くはないのだけど‥‥?

 まぁ、いいわ。こんな時間に起きることってあまりないから、そのせいね、きっと。それじゃ、ポルンを起こさないように、そぉっとベッドを出て、と。

「あら?」

 スリッパを履いて窓に近づこうとしたとき、目の端になにかがひっかかった。いつもはない、なにかが。

「鏡?」

 でもそこにあったのは、いつもどおりの鏡だわ。なんで私、これが気になったのかし‥‥ん?

 中に、だれかいるわ。私じゃないだれか。でも、見たことのある姿‥‥えぇっ!!

「わ、私、変身してる!?」

「ひかりぃ、朝っぱらから、ど〜かしたぁ?」

 ドアの向こうから響いてきた声で、私ははっとした。あかねさんの声。もうそんな時間!? ど、どうしよ? 変身してるとこなんて見られたら‥‥あぁ、もうなにも思い浮かばないっ!

「だ、だいじょぶです。ただちょっと、目が覚めちゃっただけで‥‥」

「そぉ? んじゃ、あたし先に公園行ってっからね。サラダ残すンじゃないよ」

 いつもテーブルに用意してある朝食が、私の頭に浮かんだ。たまにサラダ残しちゃってるの、気づいてたんだ。

「は、は〜い」

 とびらを閉める音のあとで、ぱたぱた、って音が遠くなってく。それを聞きながら、私はまた、鏡に目を戻した。


 落ち着かなきゃ。落ち着くのよ、ひかり。


 とにかく、なぎささんたちに会わなくちゃいけないわ。何もないのに変身なんて、するわけないんだもの。ひょっとしたら、なぎささんたちも変身しちゃってるのかも!

「む〜‥‥うるさいポポ」

 ベッドの上に目をやったら、枕の上でポルンが目をこすってるわ。いけない、起こしちゃ‥‥あ、あら?

「ポルン、あなたはなんともないの?」

 ベッドに近づいた私に、ポン、っと変身したポルンが抱きついてきた。

「ポポ♪ ひかり、きょうお休みポポ? ずっとパジャマで遊ぶポポ♪」

 なにも感じてないみたい。ルルンなんてまだ眠ってるわ。じゃ、私だけなのかしら。ずっとパジャマで‥‥

「ええっ!?」

 下を向いて、おなかの布を持ち上げてみたら‥‥ほんとうだ。私、パジャマのままよ。ルミナスの服じゃないわ。

 それじゃ、それじゃ!

「変身してないのに、この髪なの!?」

 紅い雲がゆっくり白く変わってく。あたしは、それを見ながらバンのエンジンをあっためてた。

 『この雲、好きなんです』な〜んて言ってたっけ、ひかり。

 まったく、気づいてんだかいないんだか。

「それにしても‥‥」

 すぐ近くの信号に引っかかって、ちょっとひと呼吸したら、息と一緒に言葉がこぼれてきちゃったよ。ひとり言なんてガラじゃないのにさ。

 でも‥‥

「なんか、ヘンだったよねぇ」

 あの慌てっぷり。あたしにだってわかるよ。な〜んか隠してンなぁ、ってのがさ。

 ‥‥でも、怒れないんだよなぁ。なぎさたちの修学旅行に付いてっちゃったときだってそう。さっすがに帰ったらガツンと言ってやろうかって思ってたんだけどねぇ。

 でもそれも、しゅんとした感じで、頭下げながら玄関上がったときまで。

 ひかりったら、まるっきり片付いてない流し台見た途端、ごめんなさい、ごめんなさい、って泣き出しちゃうんだもんなぁ。あたしの2日分の思い、まるごとそっくり受け取っちゃうんだもん。あれじゃ怒れないよ、まったくさ‥‥ん?

 なんか目の端に、バタバタ動くものが引っかかってる。なんだろ、ってよく見たら、女の子が全力で走って来てるよ。

 あはは、昔のあたしみたいだねぇ。いっくらジーンズ姿だからって、あんな大股でバタバタッ、って感じでさ。見てるとなんだか恥ずかしくなって‥‥って、ちょっと待ってよ?

「あれって、まさか、なぎさ?」

 珍しいなぁ。休みの日だってのに、こんな朝早くから。でも、練習にしちゃクロス持ってないし、やけに慌ててるよねぇ?

「おーい、なぎ‥‥」


 ビーッッ!!


 っつ〜っ! なによぉ、いきなりクラクションなんて‥‥あ、信号変わってたんだ。んじゃ、しゃあないか。

 あたしは荷物くずさないように、ゆっくりアクセル入れた。後ろの車がまた軽く鳴らしてるけど、気にしない気にしない。こっちは商売なんだからね。

 さぁて、ゆっくりチャッチャと行きますか。前後左右をよく確認して、って、あれ?

 一瞬バックミラーに映ったなぎさ、あたしン家に入ってったような‥‥気のせいかな?

「う〜っ、寒い寒い寒いっ!」

 朝の冷たい空気の中、あたしは走ってた。

「うるさいメポ! そんなカッコで出てくるなぎさが悪いメポ!」

 腰に吊るしたポーチから、メップルがちょっと顔出して言ってる。片目こすって、眠そうな顔しちゃってさ。

 そんなの、言われなくてもわかってるよ。いいかげん、コートが欲しい季節だってのに、ボロなジーンズで出てきちゃったのはあたしなんだから。

「しょうがないじゃん。電話でたらいきなり『助けて!』だもん」

 ほんと、びっくりしたなぁ。練習のない日曜の朝、トイレ起きてまた寝ようと思ったとこに電話でさ、出たらひかりがいきなり‥‥だもんね。

「しょうがないなら、文句言わずに走るメポ。そのうち、体もあったまってくるメポ」

 あー、うっさい。答えるのにも疲れてきたんで、あたしはそのまま走り続けた。

 あかねさん家までは、バスで停留所みっつ分くらい。坂もあるけど、朝練があったと思えばたいしたことないかな。

 すこしあかく見えてる雲から、キラッと朝日がやってきた。朝のひかり‥‥そうだよ、問題はひかり。余計なこと考えてる場合じゃない。

 電話の向こうのひかり、すっごくあわててたもんね。あたしも何度も『落ち着いて』って言ったし‥‥これって、いつもはほのかの役なんだけどさ。それでも、あたしにまで電話が来たってことは、きっと本当に、1秒でも早く来て欲しいからに決まってるんだ。うん。

「メップル、振り落としちゃったらごめん!」

「メポ!?」

 足もあったまってきたところで、あたしはダッシュかけた。

 腰のポシェットがちょっとだけバタバタしたけど、すぐじっとしてくれる。あたしは心の中でサンキュ、って言いながら、またダッシュ!


 そのうち、いつものアパートが見えてきた。車通りを渡って、2段飛ばしで階段上がって、体当たり気味にチャイム鳴らすまで何秒もかからない。

 両方の太ももさすりながら息を整えてたら、目の前のドアが少しだけ開いた。かちゃっ、って、息の音で消えそうなくらいの小さな音たてて。

 けど、あたしが顔上げたとき、そこに人がいなかった。っていうか、もこもこした壁しか見えないよ。

 いっけない。部屋間違えたかな? ――でもそれにしたって、この黄色っぽいもこもこって‥‥?

「なぎささぁ〜ん‥‥」

 そぉっと手を伸ばしたとたん、もこもこが、もこもこっと動いて、中から聞こえてきたの、とってもよく知ってる声。

 え? ちょ、ちょっと、これって‥‥

「ひ、ひかりぃっ!?」

 早朝の洗面所で、わたしは急いで歯磨きしてた。

 古い洗面台の鏡の中、泡だらけの口したわたしが、こっちを見てる。

 朝の食事の支度してから、って思ってたのが失敗だったわ。まさか、ひかりさんから電話が来るなんて思ってなかったもの。それも、こんな朝早くからだなんて。

 ひかりさんは心配だけど‥‥お休みだから、今日は朝ごはん作る、っておばあちゃまに言ったのはわたし。途中で放り投げるわけにいかないわ。

 こういうとき、なぎさだったら何て言うだろう?

「ひかりが呼んでんだもん、それどこじゃないよ! ‥‥かな?」

 ちょっとだけなぎさの言い方まねてみて、思わず笑っちゃった。いっけない。それこそ『それどころじゃない』のだったわ。

 顔を拭いて、鏡に映して‥‥よし、それじゃ、行きましょうか!

「あ、ほのか。ちょっと待ちなさいね」

 そのまま外に飛び出そうとしたところで、背中から声がやってきた。わたしがそっと振り向くといつも通り、にこにこ顔のおばあちゃまが、

「はい、これ。持って行きなさいね」

 

 って言いながら、ちいちゃな巾着(きんちゃく)を差し出しているわ。

「女の子は、身だしなみをちゃんとしないといけませんよ」

「ええ、おばあちゃま‥‥」

 とりあえず、そう言って受け取ってはみたけれど‥‥なんだろう、これ?

 身だしなみ、って言われても、洗顔と歯磨き以外は起きてすぐ済ませてあるわ。服だってよそ行きじゃないけど、ちゃんとしたセーターに厚手のロングスカート。友だちの家におじゃまするには十分のはず‥‥よね?

「じゃ、お二人によろしくね。ほのか」

 服をあれこれ確かめてるわたしにそう言うと、おばあちゃまは台所に歩いてく。わたしはちょっとだけ見送ってから玄関にカギをかけて、駅に向かって走りはじめた。

 おふたりによろしく、かぁ。いつものことだけど、おばあちゃまにはかなわないなぁ。でもそれじゃ、持たせてくれたのって、いったい‥‥

 わたしは走りながら、巾着をちょっとだけ開けてみた。見覚えのあるものと、メモがひとつ。メモにはただ、『ほのかが考えて、決めなさい』って‥‥

「なんに使うんだろう、これ‥‥??」

「よ‥‥っしょ、と。ふぅ」

 

 公園のいつもの場所にバン()めて、テーブル出し終わったところで、あたしはひと息ついた。

 いま出したテーブルにちょっとよっかかって周りを見わたすと、昇りはじめたお日さまが目に飛び込んでくるね。

 目をつむったら小鳥の声に、遠くでジョギングしてる音。小枝が揺れる音がしたと思うと、緑の香りが冷たい風に乗ってくる。ぱたたたっ、と鳥の飛び立つ音で目を開けて、思いっきり伸びしてると、なんだか不思議な気分になるよ。

「学生時代みたいだねぇ、なんだかさ」

 テーブルにパラソルさして、ちょっと顔上げて。あたしは思わず笑っちゃったよ。カラフルなパラソルの向こう側にバン。去年までの地味なたこ焼き屋が、ウソみたいなんだから。

「これも、ひかりのおかげかなぁ‥‥?」

 ひかりが来てから、みんな変わっちゃったからね。

 いろーんなとこ行ったなぁ。今まで行ってたお祭りだけじゃなくって、高原とかにもさ。冬休みにはスキー場にでも行ってみよっかなぁ‥‥

「ふふふっ」

 あぁ、いけないいけない。顔が緩んじゃってるよ。水汲みがてら、顔洗ってこよっか。

「ふふっ」

 水のみ場に歩いてる間じゅう、あたしの顔は戻んなかった。でも、しょうがないか。ひかりは、あたしにはよすぎるパートナーだもんねぇ。

「パートナー、か」

 そうだよ。ただの『預かってる親戚』なんかじゃない。もう、ひかりがいない日なんて考えられないよ。

 だけどね。

「もちょっと、相談してくんないかなぁ‥‥パートナーさんはさ」

「ひ、ひかり。これってどーいうこと??」

 おなかにぎゅっと抱きついちゃってる黄色っぽいもこもこ――ひかりの髪の毛かきわけながら、あたしは思わず叫んじゃった。

 はっとしてドア閉めて、ひかりの部屋に歩いてくけど、おなかはぎゅぅーっと締められたまんま。でも痛くなんかない、ちょっと震えてる腕の感じ‥‥なんだろ。まさか、またアイツらが‥‥!?

 背中につめたい汗が流れてる。今まで走ってたからじゃなくて、もっとおっかないのが。なんかヤバい。とにかく急いで、ひかりの部屋に‥‥入ったとたん、目の前が見えなくなった。

「うわぁっっ!!」

 なに? なによこれっ!? なんかやわらかいのが顔にぺったり、って!!?

「ひかり、だいじょぶポポ? どっか痛いポポ?」

 ‥‥へ?

 空いてる手を顔に持ってったら、よく知ってる手ざわりがあった。ぎゅっと引きはがした手の中に、みどりの耳‥‥って、

「ポルン? あんた、なんともないの??」

 言ってる横でポン、っと音がして、ポルンのとなりにもひとつ出てきた。

「メップルもなにも感じないメポ。これは、闇とは関係ないメポ」

 メップルまでそう言うなら、アイツらじゃないんだよね。でも、それでこの髪?‥‥いや、いけないいけない。とにかく今は、ひかりを落ち着かせないと。

「じゃ、じゃあひかり、この髪の毛なんとかしようよ。とりあえずさ。ね、ね?」

 こくん、って頭が下向いて、もこもこがベッドの上に移動した。顔は隠れちゃってぜんっぜん見えないけど、なんとなく涙ぐんでる気がするなぁ。早く何とかしなくちゃ。えーっと、ブラシはドレッサーの上、っと。

 それにしても、この髪見てると気が遠くなるよ。長い髪の直し方なんてよくわかんないしなぁ。

 ‥‥あぁ、ほのか、早く来てっ!

「ありがとうございましたーっ!」

 ぺこっとおじぎした頭を上げた先で、ジョギング中の男の子がゴミ箱に紙コップ捨ててるのが見えた。

 さっきっから、タコカフェで一番安いジュースばっか売れてる。みんな、しょうがないから、って感じで買ってくんだもんなぁ。

 理由は、わかってンだよね。もう4人も同じこと訊いてきてんだから。『小さな店員さん、今日は来てないの?』ってさ。

 休みの日は朝からいるの、みんな知ってるんだよねぇ。

「あたしみたいなのより、若い子がいいに決まってる、か」

 口に出してみて、思わず笑っちゃった。そんなわけないって。ひかりだからみんな来るんだよね。若い男の子だけじゃなくって、散歩途中のおじいちゃんとか、犬連れたおばちゃんとかさ。みんな、ひかりの顔見て元気がほしいんだよ。

「‥‥ふぅ」

 目の隅に時計が入ってきて、自然とため息出ちゃったよ。客商売だってのに、これじゃまずいよね。

 でも、もう7時過ぎかぁ。そろそろ来てもいいころなんだけど――

「あのー、すみません。小さな店員さんは?」

 ‥‥あ〜あ、またお客さんだ。そいじゃ、ジュースもって、謝りに行こうかねぇ。

 それにしても、

「変なことになってなきゃいいけどなぁ、ひかり」

 いつもより早い電車に乗って、駅から走って10分ちょっと。やっとたどりついた玄関前で、わたしは思わず固まっちゃったわ。

「せぇ、のぉ‥‥よいしょーっ!」

「いたっ! 痛いです、なぎささぁんっ!!」

 ドアの向こうに聞こえる声は、とても普通じゃないみたい。ごくっ、とひとつ息のんで、しっかりうなずいてから、わたしはチャイム鳴らした。

 ‥‥けど、誰も出てこないわ。

「ちょっとガマンしてってば。ブラシがからんじゃって‥‥うわっ、暴れないでよぉ!」

「私じゃないです! 髪の毛が勝手にぃ‥‥」

 どうやら、こっちに構ってる場合じゃないみたいね。

 どうやって入ろうかしら‥‥あら? ノブに軽く手を添えたら、すぅっと開いちゃった。無用心‥‥っていうより、それどころじゃないのね。それじゃ!

「ひかりさーん、なぎさぁー、来たわよぉーっ! どこぉーっ?」

 玄関から中に向かって声かけたら、中のさわぎがピタッとおさまった。代わりにぱたぱた、っていう足の音がしたと思ったら、いつもの顔がしがみついてきて、

「ほのかぁ! 待ってたよ、ほのか!!」

 うわぁ、すごいわ。わたしの体が持ち上がっちゃうくらいに抱きついてきてる。よっぽどのことがあったのね。

「どうしたの、なぎさ? 外まで響いてたけど‥‥」

「あー、えーと‥‥いや、見たほうが早いよ。こっち」

 そう言って歩いてく先は、多分ひかりさんの部屋みたい。机の上に眠そうなルルン、ベッドの上に黄色いかたまり‥‥黄色いかたまり?

「ほのかさぁーん‥‥」

 これって、ひょっとして、

「ひかりさん!?」

 黄色のかたまりが、上に下に動いた。‥‥きっと、うなずいたのよね。これ。

「なぎさ、とかしてあげなかったの?」

「とかしたよ。そこのブラシでさ! ‥‥でも、とかすたんびに膨らんでくんだもん。どーすりゃいいのよ!?」

 はぁ。 そっか、そういえばなぎさってロングにしたことない、って言ってたっけ。

 それにしても、

「いいわ。わたしがやるから」

 わたしはそう言いながら、ポシェットから巾着を出した。おばあちゃま、よくここまでわかったわねぇ。びっくりだわ。

 巾着の中にあるものを手に握って、わたしはそのままこぶしをふたりに見せた。巾着から紙がこぼれたけど、いまは気にしない。あとで拾おうっと。

「さぁ、種も仕掛けもありません♪」

「な、なに、ほのか?」

 ひかりさんの頭の上にそっと手を乗せて、こすらないようにそぉっとなでてあげれば‥‥

「え? え? えぇっ!?」

「うそっ! もこもこが、まっすぐになったぁ!?」

「はい、このとおり♪」

 ほのかさんの、楽しそうな声といっしょに、私の左目の前が開いた。

 ついさっきまで、髪の毛で前が見えなかったのに。なぎささんが一所懸命にやってくれればくれるほど、どんどん見えなくなっていってたのに‥‥

 ちょっと顔を上げたら、びっくり顔のなぎささん。その向こうで、ほのかさんが笑って、

「ふふっ。はい、種はこれ。魔法の(くし)よ」

 そんなこと言いながら、私の前に出された手の中にあったのは、不思議な色をした薄くて小さなもの。

「魔法の?」

「クシぃ!?」

 思わずなぎささんと一緒に変な声出しちゃったら、ほのかさんが吹き出した。

 よく通る、軽い笑い声を聞いてると、いつのまにか私の顔まで笑ってる。いままで、もうおしまいみたいな気分だったのに。

「そんなすごい魔法じゃないのよ。 ほら、ひかりさんって、来たのが春でしょ? 冬を経験していなかったから、わからなかっただけ。
 こんなに長くてくるりん、ってした髪、冬に普通にブラシかけちゃったら‥‥」

 となりで、ポンって手をたたく音。それといっしょに『あ、静電気!』ってつぶやきが聞こえてきた。

 ほのかさんがにっこりして、また私の前髪をなでてくれる。手がどいたら、右目の向こうもはっきり見えてきたわ。口元で笑ってるほのかさんの横で、なぎささんがはぁっ、って息はいて‥‥あ、あら? しゃがみこんじゃった??

「よかったぁ‥‥でも、びっくりしたなぁ。あの電話はさ」

 あぁ、安心して力が抜けたんだわ。私、こんなに心配かけちゃったんだ‥‥

 ごめんなさいって、頭を下げようとしたけれど、ほのかさんがすい、っと持ち上げて、

「けど、連絡もらってよかったわ。うれしかった」

「そうそう。ひかりはね、それでいいんだって。うんうん♪」

 なぎささんたちが、私を見てしょうがないな、って顔してる。ちょっと恥ずかしいけど、私ってそういう立場みたい。
 そうね、知らないところで私が困ってる方が、なぎささんたちにはよっぽどイヤなことなんだわ。

 ――知らない、ところで‥‥?

「あん☆ また下向いちゃって。ダメよ、ひかりさん。とかしにくいから‥‥」

 そっと差し出されたほのかさんの手を、私は思わずつかんじゃった。

 自分でもびっくりしたけれど、でも心の中の声が言ってる。これでいいんだ、って。

「ん? どしたの、ひかり?」

 いい、と、思う、んだけど‥‥どう言えばいいんだろう?

「あ、あの‥‥」

 助けて、って電話したのは私なのに。

「あの、私、あんまりうまくとかせないから‥‥」

 なぎささんは、すぐ応えてくれたのに。

「遠慮しないで。このくらい、どうってことないのよ?」

 ほのかさんも、こうやって言ってくれるのに。それなのに、こんなわがまま‥‥

 思わず下向いて目を閉じたら、私の前に顔が浮かんできた。はっきりと。

 その瞬間、胸が熱くなっちゃって。気がついたら私、ほのかさんの腕にしがみついてた。

「よく、あかねさんがとかしてくれて――とっても気持ちいいんですよ? けど、それじゃいけない、って思って、最近自分でとかすようにしてて‥‥
 でも、昨日あかねさんが言ったんです。ひかりも、自分でできるようになったんだねって。もう髪にさわれないんだよね、って。
 それが、すっごく寂しそうで、それで‥‥その、わた、私‥‥」

 だめだわ。自分でも、なに言ってるのかわからない。もっともっと、きちんと言わないといけないのに、私‥‥あら?

「え〜っと」

「ん〜」

 ふたりが変な顔で見つめあってる。よく見たらなぎささん、なんだかふるえてるみたい?

「? どうしたんですか?」

 ふたりとも、私の方をちらちら見てるわ。あ、あらら? ほのかさんの腕までふるえてる。思わず手を放しちゃったら、すぐに口元に手で持ってって‥‥

「ほ、ほのか、言いたいことある顔してるじゃない。答えなよっ」

「なぎさ、こそっ」

 ほのかさんが口元おさえながら、クシを巾着にしまった。なぎささんもやっぱり口元おさえながら、ドレッサー開けてなにか探してるわ。

 私はそれを、ぽけっ、と見てた。なに? いったいなんなの??

「って、っていうかさ、言いたいことって、同じじゃない‥‥っ?」

「ほ、ほかに、なんて言えばいいかわからない‥‥わっ!」

 頭がきゅっ、と痛くなって、目の前が開けた。なぎささんが、髪をゴムでとめてくれたんだわ。

 振り返ろうとした私の手が、そっとなにかに包まれた。目を落としてみたらほのかさんの手。手がどいたあとには巾着がひとつ。顔の前に持ち上げた巾着の先で、二つの笑顔がいっしょに口を開いて、

「「ごちそうさまっ!」」


 ??


「え? あの‥‥なにが、ですか? 私、食べ物なんてなんにも‥‥」

 頭の中が『?』でいっぱいになっちゃった私の前で、ほのかさんが吹きだした。なぎささんなんか、おなか抱えて大笑いしてる。

「‥‥っはははっ! い、いいからさ、さっさと着替えて行ってあげなよ!」

 ぽんっ、と放られた洋服に一枚づつ着替えながら、私は感じてた。私の想い、なぎささんたちに伝わったこと。

 ちょっと、ゆがんで伝わっちゃったかもしれないけど。でも、私は行っていいんだ。このわがままは、していいんだ‥‥


「機嫌悪かったら、思いっきり抱きついて、キスでもしちゃいなよ。一発でよくなるからさ♪」

 帽子をかぶって靴はいて、玄関のドアに手をかけた私に、なぎささんがキス投げながら言ってるの。うしろでは、くすくすしてるほのかさん。そのとき、わたしはなぜだか微笑んじゃった。

「おやすみのキスなら、毎晩してますけど?」

「「えぇっっ!!?」」


 バタンッ!って閉めたドアの向こうから、なぎささんの声がちっちゃく追いかけてくる。

 なんとなく、勝ったような気がするのは‥‥気のせいなのかな?

「よっ、と」

 調理台の下から取り出した袋をやぶると、新しいストローが出てくる。あたしはそれをまとめて、窓の外のストロー立てに放り込んだ。

 ストローは、ひと袋に30本――お客さん、もうそんなに来たんだよねぇ。

 なのに、ひかりったらまーだ来ない。

 電話しようかって何度も思ったけど、そのたびにお客さん来ちゃって行けないし‥‥やっぱ、携帯くらい持ってたほうがよかったかな? ベローネは持込禁止だから、あんま、ひかりの前で使いたくないんだけどねぇ。

 それにしても‥‥

「やっぱあれ、なぎさだったのかなぁ?」

 声に出ちゃったのに気づいて、思わず周り見回しちゃったよ。お客さん、だれもいないね。ふぅ。

 でも、やっぱ気になるよね。

 そりゃ、なぎさは信用できるよ? なんだかんだ言ったってキャプテンもきっちり勤めきったし。あたしよりも歳は近いし、同じベローネの学生だし、気持ちはきっと、ずっとよくわかるはず。そりゃそうなんだけどね。

「はぁ‥‥」

 ためいきといっしょに、肩が落ちちゃったよ。いけないいけいない、こちとら客商売なんだから。

 ‥‥あ、ほら、お客さん来たじゃない。しっかりなさい、藤田あかね!

「いらっしゃ‥‥あぇっ!?」

 顔上げた勢いで声出そうとしたけど、そこにあったの、人の顔じゃなかった。もこもこしたかたまりが、ひとつ。

「す、すみま、せんっ」

 でも、その中から響いてきたの、いつも聞いてる声‥‥っていうか、

「ひかりぃ!? どしたの、それぇ?」

 うっひゃあ。すっごいわ、これ。クセっ毛だとは思ってたけど、ここまでなるもんなんだねぇ‥‥

 ん? なに、この視線? なんか回りじゅうから、って‥‥あ、あっちゃぁ!

 あたしは、ひかりをバンに引っ張りあげて、おもてに準備中の札下げた。窓のカーテンひいて、ライトつけて‥‥カーテンちょっとだけめくってみたら、まだいるよ。公園来た人が何人か、遠巻きにしてる。

 さぁて、どうしようか? って考えてたところで、ひかりがもこもこの髪を両手でかきわけて、

「え、えと、えっと‥‥あの、はい」

 はい、って目の前に差し出してきたけど‥‥なにこれ? ずいぶん使い込んだ巾着‥‥って!?

 巾着の中から出てきたもの見た瞬間、あたしは思わず吹きだしちゃった。

 きょとんって顔してるひかりの頭の上には、髪とめてたゴムがくしゃくしゃに引っかかってる――なぎさだね。走ったら取れちゃうような結び方すんのはさ。

 でもって、このクシ、か。

「はいはい。ほら、そこ座って。いまとかしたげるからさ」

 いすに腰かけたもこもこにクシ入れると、すぅっとそこだけ真っすぐになる。くしゃくしゃに爆発した髪が、あきれるくらい簡単に。

「‥‥ちゃんとほのかに返すんだよ、このクシ」

 言ったとたんに、とかしてる頭が動いたね。

「え? どうしてわかったんですか!?」

 思わずまた笑っちゃったじゃない、もう。こんなクシ、なぎさに使えるわけないじゃないさ。

 ま、しょうがない。あたしは、クシを両手ではさんで、頭下げた。

 ありがとね、ほのか。今日だけ借りるよ。

「‥‥これはね、柘植(つげ)のクシっていうんだよ」

「ツゲ‥‥の、魔法?」

 あたしは上向いてるひかりの顔をまた前に向けた。

「ちがうちがう。柘植っていう木を彫っただけの、ただのクシ。でもねぇ、このクシは、育つんだよ」

 クシをまた頭のてっぺんに置いて、力を入れずに降ろすと、またそこだけ髪がまっすぐになる。うん。

「クシが、育つ‥‥?」

「そ。柘植のクシはねぇ、使ったらこまめに椿の油で洗うんだよ。丁寧に、使っちゃ洗い、使っちゃ洗い‥‥そのうち、椿油がしみ込んで、こんな色に育っていくのさ」

 もう一度、顔の前をとかしてみる。ちょっとだけ見えた顔が、考えごとしてるね。

「自分の髪とかすのに、そんなムダなことすることないじゃない。壊れるまで使って、壊れたら買い替えた方がずっと楽だもんね。
 これはただ自分の髪とかせりゃいい、ってクシじゃないよ。丁寧に育てて、いつか自分の子供に、孫に伝えてあげる‥‥そういうクシ。
 だからね、これはほのか専用。ひかりが持つものじゃないんだよ」

 とかした髪が、くるん、って少し戻っちゃった。けど、顔なんか見なくたってわかる。この子なら、あたしの想いはわかってくれるよ。

「そのかわり、ひかりにはあたしのをあげるから」

「え?」

 あげた顔が、ちょっと泣き顔になってる。あたしは胸の隠しからちいさなクシ取り出して、その手に乗せた。

「はい。ほのかのと違って、ちょっと欠けちゃってるけどね」

 泣き顔がいきなり、びっくりした顔に変わった。いやいやしながら、クシをあたしに押し付けようとしてる。

 ‥‥やれやれ、言わなきゃだめか。

「宝物だから、宝物にあげるの!」

 一息で言い切った勢いで、あたしはひかりの髪、またちゃっちゃととかしはじめた。

 すぐに、くるんっ、と戻ろうとする髪の毛。ピンをとめる手の中で、くるりん、くるりん。その向こうから、ちっちゃな笑い声が聞こえてくる。

 くすくす笑ってるひかり。きっとあたしのこと『困った人だなぁ』なんて思ってんでしょ。

 でもね。このクシなら、だれだってきれいにとかせるんだよ。なのに、わざわざここまで、ねぇ‥‥

「‥‥困った人は、おたがいさまだよ」

 ぼそっ、と言った手の中で、また髪の毛が気持ちよくはねた。


 くるりん、くるりん、ってね♪

「いらっしゃ‥‥あ、なぎささん、ほのかさん☆」

 夕方の公園。タコカフェには、ひかりがいた。ほのかはあいさつしてたけど、あたしは手をちょっと上げただけ。

 疲れたなぁ‥‥結局、さっきまでずーっとひかりの部屋にいたんだよね。ったく、明日までの宿題持って来てるなんて、ほのかってば用意よすぎだよ。

 まぁ、もう終わったことか。さぁて、あいてる席は、っと。

「あ、そうだ‥‥はい、ほのかさん。ありがとうございました」

 席を探してたら、ひかりが前に回りこんで、ほのかの手に巾着のせた。

「え、と‥‥ひかりさん? とかしにくいなら、ずっと使ってても‥‥」

 ほのかがあわてて返そうとしてるの見て、あたしはちょっと笑っちゃったよ。

 へへへ、さっすがあかねさん。ちゃんとわかったんだ。

「ほーのか、観念しなさいって。ほら」

 あたしはちょこっと巾着に手を入れて、取り出したものを目の前に突き出した。

 あのメモ。ひかりに渡すちょっと前に気がついて、あたしが巾着に突っ込んだんだよね。ほのかは気がつかなかったみたいだけどさ。

「あたしにやったら、承知しないからね」

 あ、ちっちゃく舌だして肩すくめてるよ。こいつはっ。

「ま、そのへんにしときなって。ありがとね、ほのか」

 ああ、あかねさんまで出てきちゃった。席についたあたしたちの前に、ジュースふたつ置いて、ほのかの手をぽんぽん、って軽く叩いてる。

 これなら、ほのかも受け取るしかないよね。

「あ、きれいなあかい雲‥‥」

 ジュースに手を伸ばそうとしたところに、ひかりのうれしそうな声が響いた。

 朝の『助けて!』がうそみたいだよ。どれどれ、どの雲‥‥って、えっと‥‥

「ひかりさん、あの雲が好きなの?」

 巾着をポケットにしまい込みながらほのかが言ったとたん、ひかりの目が輝いたよ。

「はい。いろんな雲のなかで一番! できれば早起きして、朝も見ていたいくらいなんです。ほんとに、ほんとに大好きです

 とっさに、あたしとほのかは同じとこを見た。夕日を浴びて赤くなったあかねさんが、バンに向かって走ってくとこ。

「ど、どうしたんでしょう?」

 ‥‥夕日浴びて赤い? いーや、そうじゃないよね。

「ひかりさん、あれはね‥‥」

 ほのかが息すったタイミングで、あたしも声合わせて、


「「()()()雲、っていうの♪」」


 ハモった声の向こうに、もっと赤い夕日を浴びたひかりがいた。

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