おくすりのなる木

 ちり〜ん‥‥


「あぁ、カキ氷‥‥」

 ちりり〜ん‥‥


「アイスクリーム、シャーベット、チョコパにフラッペ、コーラフロート‥‥冷たいスイカも‥‥あぁ、いいなぁ‥‥」

 り〜ん‥‥


「で、なぎさはどれにするの?」

 へ?

 起き上がったら、ほのかのにこにこ顔。縁側の上に、淡いグリーンのワンピースが涼しそう‥‥あぁ、そうだ。ほのかの家に宿題教えてもらいに来て、縁側が涼しいからつい、ころん、って転がっちゃったんだっけ。

 ほのか、にこにこ笑いながら、ちらっと下を見てる。つられてちょっと目をおろしたら‥‥あたしとほのかの間、さっき言ってた食べものがいっぱい。

「ほ、ほのか? まさかこれ、全部用意したの!?」

 うっわぁ〜、なんかもう、よだれが‥‥

「まさか。これはね、喫茶店用のサンプルよ」

 そ、そうだよ。そりゃそうだよね。‥‥ああ、ほのかってば、吹き出すのがまんしてる、って顔だよ。まったく。このくらい、やってもおかしくないってのが、ほのかのコワいとこなんだけどなぁ。

 それにしても、このサンプルのすごいこと。フラッペだけで6種類もあるじゃない。

「こんないっぱい揃えて、お店でもひらく気?」

 大きなお盆にサンプル片付けながら、ほのかが首ふった。

「ううん。こんど化学部でツリーを作るから、その参考に、ね」

 ツリー??

「ええ。真夏のクリスマスツリー。『おくすりのなる木』よ

「それで、みんなはどうなの?」

 午後になってから、わたしはなぎさと別れて、学校の理科室までやって来た。

 昨日かかってきた電話で、だいたいのことは聞いてたけど‥‥理科室にはユリコひとりだけ。

「ん〜、まだ目とのどが痛いって。ほのか以外、全員お休みぃ〜」

 お休みぃ、じゃないわよ。

「ユリコもユリコよ。なんだってそんなガス出しちゃったの?」

 理科室で光化学スモッグ作っちゃって、みんなゲホゲホしてた、っていうんだもの。

「だってさ」

 ユリコ、乳鉢でなにかすりながら、ちょっと上目づかいでわたしを見てるわ。

「硫酸が甘い匂いしたら、面白そうだなぁ、って」

 あぁ、ユリコもこういうとこ、なぎさと同じなのよね。思いつくと突っ走っちゃうんだから。

「黒板に化学式まで書いてるのに‥‥」

 黒板には、大きく式が書いてある。左辺にショ糖+硫酸。右辺は‥‥

「化学変化しても、炭素と水だけだと思ったのよ」

 それじゃ、ひとつ足りないでしょ?

「Sはどこ行ったのよ。S‥‥イオウは!?」

「あぁ〜、ほのかがSだぁ〜」


 コツン!

「痛ったぁ! ガラス棒は叩き用じゃないって!」

 もう。なぎさとわたしはドツクゾーンで決死の闘いしてたっていうのに、なにやってたんだか。

 でも‥‥


 目が思わず自分のカバンに向いた。なにもついてないカバンに。

 そうね、これが普通の中学生よ。あぁ、終わったんだわ。本当に‥‥

 ほのかが学校に行ったあと、あたしはひとりでぶらぶらしてた。なぜか制服着て、なぜかカバン持って。

 でも、なんだか変。歩いてても、うまくバランスがとれない。っていうか‥‥ううん、理由はわかってるんだ。いつもカバンにぶら下がってる、ポシェットがないから。パック牛乳1本くらいがこんなに重かったなんて、ね。


 いつの間にか、あたしは校門をくぐってた。校舎をぼんやりながめながら、グラウンドに歩いてく。ラクロスのコートはならしたまんまで、足跡のひとつもありゃしない。

「ふぅ」

 ためいきつきながら、あたしはコートわきの芝生に腰をおろした。

(運動しないと、なぎさはすぐ太るメポ)

「うるっさ!‥‥はぁ」

 だめだなぁ。声まで聞こえてくるなんてさ。これじゃメップルに笑われちゃう。‥‥ちがうか。こんなとこ見られたら、心配かけちゃうな。

 なんだかんだ言ったって、メップルは自分でふるさとを救ったんだもん。そりゃ、あたしたちが死ぬほど‥‥ほんとに死ぬほど頑張ったおかげだけど。

 やっと平和になった世界で、楽しく暮らそうってのに、心配かけるわけにいかないよ――


 遠くで、男の子の声がする。そっか、サッカー部が練習してるんだ。藤村先輩の姿、豆粒みたい。

 メップル助けて闇にも勝ったっていうのに、あたし自身はまだ、こんな遠くで見てるだけ、か。


 体が勝手に後ろへ倒れこむと、刈ってない芝生が、ふわっと受け止めてくれる。だけど、

「あたしって、成長ないなぁ‥‥」

 柔らかい芝生、ぜんぜん気持ちよくなかった。

「ほのかぁ、こんなもん〜?」

 ユリコが見せてくれたのは、白い粉。これを水に溶かすと、きれいなピンクになるのよね。

「そうね‥‥もうちょっと、細かくしたほうがいいんじゃないかしら?」

 こりこりこり、って乳鉢で粉にする音だけが、エアコンの効いた理科室に響いてる。

 あたりには小さなフラスコと、アルコールランプ、そして‥‥もみの木。

 きっかけは、ユリコだったわ。赤い実がなった、私たちくらいの大きさのもみの木を、親戚からもらったのだって。家に置いておく場所もないからって、園芸部にゆずろうとしてたのだけど。

『もみの木っていうと、やっぱ飾り付けたくなるよね?』

 って一言。いいわね、って言ったわたしもわたしなのだけど。

『フラスコに入れたきれいな色のくすりを吊るして、夏のクリスマスツリーを作ろう!』

 なんて言ったのが、あのドタバタ合宿が終わったあと。わたしとなぎさがドツクゾーンでひどい目に遭ってた日に決まっちゃったみたい。

 名づけて、おくすりのなる木。化学部の夏祭り。‥‥なんだけど。

「なにも、お盆直前にやることはなかったと思うのよね」

「そう言わないでよ。先生がいられるのって、いまだけみたいなんだから」

 顧問の先生、お盆から里帰りしちゃうから、化学部が活動できるのはいまだけ。うん、それはわかってるわ。

「それはそうなんだけど‥‥」

 ただでさえ、みんな田舎に行くとかいろいろあって出られないのよね。ちょっとだけ残ってた子も、ユリコのスモッグで全滅しちゃったし。

 広い理科室にふたりっきり。ひとりのときも多いけど、なんだかよけいに寂しくなっちゃうわ。

「ユリコは、どこか出かけないの?」

「私は田舎もないし、イモ洗いの海やプールはうんざりだしね。快適な理科室を堪能しますよ」

 はぁ。なんだか、なぎさがわたしを外に連れ出したくなる気持ち、わかる気がするわ。


 さてと。おしゃべりしてる間に、ユリコのピンクと、わたしのパープルができたわ。あとはグリーンと‥‥あら?

「ユリコ、このシアンのおくすりって‥‥なにで作るの?」

 ツリーの完成図を見ながらチェックしてたけど、ひとつだけ、くすりの名前が書いてないわ。

「シアン? ええと‥‥あれれ? おかしいな。たしかに‥‥」

 シアンはあまりない色だものね。強い薬剤ならあるのだけど、それをつるすのはちょっと問題だわ。あの色で、ちょっとかかっても笑って済ませられるおくすり‥‥あ、そういえば。

「ユリコ、シアンのおくすり、わたしにまかせてくれる?」

 そうユリコの目を見て言ったら、いきなり二歩も後ろに下がっちゃった。

「ま、まぁ、ほのかだったらなんでもまかせちゃうけど‥‥なに?」

 なんだかジトっ、て目でわたし見てるわ。もう、信用ないのね。

「うふふ。いいおくすりあるのよ

 理科準備室のいちばん奥に、わたしの腰くらいしかない小さなロッカーがある。化学部用の実験器具置き場なのよね。

 みんなの分の棚があるのだけど、いま使ってるのはわたしとユリコくらい。わたしはふたり分くらい場所を分けてもらって、いろんなおくすり置かせてもらってる。

 むかし家のお蔵で遊んでいたとき、おばあちゃまから頂いたおくすり。古いラベルばかりだから、みんなは『ほのか蔵』なんて呼んでるみたいだけど。

 たしかここに‥‥あ、あったあった。コルク栓の古いガラスビンに入った薄青の粉。ラベルは読めないけれど、わたしがちょこっと描いた落書きで覚えてるわ。これを水に溶かすと、輝くようなシアン色になるの。ずっと昔、おばあちゃまに見せてもらったのよね。古くから伝わってるおくすり。

 そういえばあの時、おばあちゃまが何か言ってたわよね。ええと‥‥あ、そうそう。『私やほのかが飲んでも、なにも起こりませんよ。でも‥‥』

 ん?『でも』? 『でも』の後ってなんだったかしら??‥‥いいか。おばあちゃまやわたしが飲んでも平気なら、そんなに強い薬じゃないでしょ。


「ユリコ、お待たせ」

 理科準備室から戻ってきたときには、机の上のフラスコに、きれいなイエローとレッドの溶液がゆれていた。

「それがシアンの薬?」

 ユリコの手には、新しい乳鉢。集中し始めると早いのよねぇ。

「そうよ。水に溶かすと、とってもきれいなシアンに‥‥」

 そう言いながら差し出した手から、ガラスビンが消えた。

「ちょっと見せてね」

 こういうときの手も、ほんとに早いわ。思わずにっこりしちゃうくらい。

「それだけだから、あまり使っちゃダメよ?」

「わかってるわ。ちょっと匂いをね‥‥よいっ、と」

 キュポン、っていい音がして、コルクのふたが開いた。そのとたん、粉がふわっと舞って‥‥

「いっけな‥‥ックション!」

 ああ、むせちゃって。

 わたしはユリコの手からビン取って、ふた閉めた。手近にあった下敷きで舞った粉を吹き飛ばして‥‥うん、これでOK。

「ユリコ、大丈夫?」

 ユリコがふら〜っとこっちに歩いてくる。足元がゆらゆらしてるわ。これ、アルコールでも入ってたのかしら?

「ほのかぁ〜♪ うふ

 え?

「ほぉ〜のかぁ〜♪ うふふ

 ユリコが私の胸元に、頭もたれてきた。なに?なんなの??

「うふ♪ うふふふふふ

 そのまま、頬をこすり付けてる!?

「ちょ、ちょっとユリコ! なにやってるの!?」

「うふふふふふふふ

 まさか、このくすりのせい? ‥‥あぁ、もう!

「目をさましなさぁいっっ!!」

「うふふふ‥‥んきゃぁっっ!!」

 あ、倒れた。

 わたしは、ユリコがけがしてないこと確かめてから、手に持ったフラスコにきつく栓をした。‥‥高濃度アンモニア水にも、実用的な使い方ってあったのね。


 それにしても、このくすり‥‥

 あ、思い出したわ。『でも』の後。おばあちゃま、こう言ってたのよ。『ほのかが年頃になったら、使うかもしれませんね』って。それで、このユリコの反応、ってことは――

「結論は、ひとつよね」

 わたしは、倒れたユリコをいすで作った簡易ベッドに寝かせてから、くすりを溶かしてガラスビンに入れた。風で飛ばされたら大変なことになっちゃうものね。

 できたのは、確かに見たことのあるおくすり。輝くくらいにきれいなシアン色‥‥だけど。

「どうしたらいいかしら、これ?」

 考えながらふと窓の外を見たら、グラウンドの隅になぎさがいた。じぃっと見ているはるか先には、男子部のサッカーグラウンド?
 また、なぎさったら。近くで見ていればいいのに。

 あぁ、横になっちゃったわ。しょうがないわね

「そうだ。いいこと考えついちゃった

 わたしは実験道具を片付けて、気絶してるユリコを台車に乗せた。今日は保健室の先生いたはずだからお願いしましょ。それから‥‥うふふ

 ‥‥暑い。


 目を薄ぅく開けたら、太陽が痛いくらいに差し込んできた。寝てる間に校舎の影が動いちゃったんだ。

 遠くのグラウンドにはもう誰もいない。この暑さで、サッカー部も練習おしまいかな。そっか、半日無駄にしちゃったよね。

「熱っ!」

 髪の毛さわったとたん、やけどするんじゃないかと思った。ばさばさやって冷ましてみたけど、手ざわりがすっごく硬い。あ〜あ、また痛んじゃったなぁ。

「も、帰ろっか」

 思わず出てきた言葉に、ひとりでうなずいた。いるだけで、どんどん落ち込んでっちゃってるもんね。ん、帰ろ帰ろ。

「起きた?」

 体起こしてたとき背中から聞こえてきたのは、ほのかの声だ。振り返らなくたってわかる。あたしは、聞こえないようにそっと深呼吸した。

「あはは、バカだよねぇ。練習ないってのに、なんか来ちゃったよ。
 さぁて、帰って宿題でもしよっか!」

 わざと声おおきくして、明るくね。うん。やっぱあたしは、こうじゃなきゃいけないよ。

 もいちど深呼吸して、笑顔作って振り向いたら、ほのかがカバン持って立ってた。あれれ?

「ほのか、もう帰るの? まだ3時だよ?」

 お昼に別れるとき、今日は遅くなるかも、とか言ってたよね?

「作ってる途中で、ユリコが倒れちゃったの。体は大丈夫みたいだけど、今日はもうおしまい」

 そう言いながら、あたしに手を出してきた。つかまったあたしを立ち上がらせて、背中とスカートについた芝をぽんぽん、って払い落としてくれてる。

「ついでだから、朝の続き。勉強いっしょにやらない? なぎさの家、行きましょ

 あたしの腕つかんで、引っ張ってるし。そんな気になれないんだけどな‥‥ま、いっか。もう、無理に会うことないんだから。普通の付き合いって、こんなもんだよね、きっと。

 なぎさの部屋に入るのは何度目かしら? いつ来てもたくさんのぬいぐるみが、わたしを迎えてくれるわ。

「冷蔵庫に麦茶あったよ。他に誰もいないから、お菓子はそこにあるだけね」

 机の上には、スナック菓子が少しとチョコがいっぱい。これがなぎさの『あるだけ』なのね。

「なに笑ってるのよ‥‥でさ、何の宿題やる?」

 そんなこと言っちゃって。うふふ。ぜんぜんやる気ないのなんて、お見通しよ?

「その前に、ひとつ質問」

「な、なに?」

 わたしが人さし指立てて言ったら、なぎさが一歩下がった。

「美墨なぎささんは、学校に来て何をしていたのでしょう?」

 あ、顔がひきつってる。

「何って、わけじゃなくて‥‥だから、ね?」

 ふふ。往生際が悪いわよ?

「理科室ってね、ちょうどグラウンドが見えるとこにあるんだけど

 あぁ、目をぱちくりしたまま黙っちゃった。

 わたしは、ポケットの中からあのシアン色のおくすりを取り出して、ぱちくりしてるなぎさの目の前に出した。

「実はね、理科室で面白いおくすり見つけたのよ」

「き、きれいだけど。なに?」

 わたしの頭に、ユリコの姿が浮かんだ。笑いながら、わたしに頬すりつけてた姿。

「ええとね‥‥ホレ薬、かな?」

「ホレ薬ぃ!?」

「飲ませてみる?」

 なぎさ、また黙っちゃった。そのまま、くすりビンをじっとみつめてる。‥‥もちろんわたしも、なぎさがこれ使うなんて思ってないわ。ただ、そんなに悩んでると実力行使しちゃうわよ、って言ってるだけ。

 そんなのイヤでしょ? さ、悩んでないで、またがんばりましょ

「ふ〜ん‥‥あむ」

 え!?

「な、なぎさ?」

 い、いきなりわたしの手からビンとりあげて、ふた開けたと思ったらそのまま飲んじゃった。のどが、ごくって鳴ってるわ。
 ええと‥‥藤村くんに飲ませるんじゃなくて、自分に??

「ん〜‥‥ん?」

「ちょ、ちょっと、なぎさ!?」

 なぎさの目が、とろん、ってなってる。その目が、まっすぐわたしの瞳を覗き込んで、

「ほのか‥‥大好きよ

 ええっ!? ちょ、ちょっと。

 顔が真っ赤になっているのが、自分でわかるわ。お芝居なんかじゃない。普段のなぎさだったら、照れちゃって絶対言えないセリフだもの。


 あぁ、びっくりして固まってたら、いつのまにか腰に右手が巻き付いちゃってる。痛くはないけど、すごい力。全然動けないわ。

 なぎさ、どうするつもりだろ? くちびるにキスくらい、もうしょうがないって思うけど‥‥でも、いまのなぎさだと、それだけで済むかしら?

 わたしは? ほのか、覚悟はできてるの?

 ――うん。わたしのせいだものね。いいわ。なぎさの、すきにして‥‥


 両手がわたしの腰にしっかり回されてる。やわらかい、けど力強い、筋肉の感じ。

 なぎさの部屋はクッションでいっぱいだから、倒れこんでもだいじょうぶみたい‥‥ふふ、いざとなると、こんなに冷静になれるものかしら。さっきから心臓は跳びはねてるっていうのに、ね。


 そのまま、なぎさの顔がわたしに近づいて‥‥甘い息がかかってくる。飴でもなめてたのかしら?

 それにしても。もう、目くらい閉じてくれないかな? ‥‥しかたないか。おくすり効いちゃってるんだものね。

 わたしだけ、そのまま目をつむって、やわらかい衝撃を待った‥‥


 ゴチッ!

 ‥‥っっ! 痛ぁいっ!! 衝撃が、おでこに来た!?

「やっぱほのか、おでこ硬いよ」

 目を開けたら、なぎさがおでこさすってる‥‥ええっ!? そんな、まさか!

「なぎさ‥‥なんで平気なの!?」

「あたりまえよ。だってね」

 なぎさは黙ったまま、わたしの腰から両手をはずして、ポケットのなかをごそごそ‥‥取り出したくすりビンの中では、きれいなシアンが揺れてた。

「飲んでなかったの!?」

「飲むふりして、のど鳴らしただけ」

 それじゃ効いてたのって、最初の『大好き』だけだったの? あぁ、もう!

「たしかにすごい薬だよね。ふた開けて匂いしてからちょっとの間、記憶ないもん‥‥でもさ」

 なぎさ、私の手にくすりビンを押し付けて、背中向けちゃった。

「ねぇ、ほのか。メップルたち、一所懸命だったよね」

 とっても静かで、低い声。そういえば、さっきから、声に感情がないわ‥‥

「なのに、あたしたちがこんなズルしちゃ、いけないと思うんだ。‥‥もう会えないけど、会わせる顔ないじゃん」

 ‥‥つっ!!

「ご、ごめんなさいっ!!」

 くすりビンを握りしめながら頭を下げた。あぁ、匂いが関係ないなら、こんなもの、このまま投げ捨てられるのにっっ!!

「いいよ。ほのかのことだからさ、これもあたしのため、なんでしょ?
 でもさ‥‥でも今日は、帰ってくれる?」

 なぎさ、そのままだまって窓の外を見てる。わたしの方、気にしてる気配もないわ。

 わたし、なんでこんなこと‥‥! こんなのだったら、どなってもらったほうがまだましだわ!!

 家に帰るまでのこと、まるっきり覚えてない。


 気がついたら部屋の前にいたけど、わたしはそのまま縁側に座り込んだ。

 朝はすぐそこで、なぎさが寝転んでたっていうのに‥‥いまは、とっても遠く感じるわ。


 虫の声が、静かに鳴いてる。まわりが少しづつ、オレンジ色になってく。

 ひざを立てようと思ったら、おしりに硬いものが当たった。ポケットの中、おくすりのビンがふたつ。


 わたしは、空のくすりビンを見ながら、考えてた。

 古いラベル。読めない文字。好きになってくれるおくすり‥‥おばあちゃまは、どうしてこんなもの、わたしにくれたのかしら? これさえなかったら‥‥

「だめ、逃げたりしちゃ!」

 わたしは思い切り首を振って、思いをはらった。開けた目の先に、シアン色のおくすりが揺れてる。


 なぜだろう? なぎさならきっと、藤村くんに告白される自分を想像して、あたふたしちゃうはず、なんて、なぜ思ったんだろう?

「わたしが、なぎさのこと、知らないから‥‥」

 口に出してみて、はっきりわかった。

 わかったつもりになってたのよ。いっしょにしゃべって、いっしょに闘って‥‥みんなわかってる、なんて。嫌われて、当然じゃない。

「また、むかしに戻っちゃうのかな」

 いっしょにいる理由がなくなっちゃうと‥‥

 わたしはビンを脇に置いて、立てたひざに顔をうずめた。

 もう、何も考えたくなかった。

 あったかい。夏なのに、あったかいのが、気持ちいい。

 この感じ、たしか昨日‥‥?

 顔を上げた目の前に、虹があった。庭の真ん中に向かって、まっすぐ降りてくる、虹。

「ほのか、ただいまミポ」

 この声‥‥

「ミップル!?」

 まさか‥‥ わたしは目をつむって頭を振った。だって、都合がよすぎるもの。

 でも、何度目を開けても、いた。ピンクのぬいぐるみ姿の、ミップル!

「ポルンもいっしょミポ‥‥来るまでに疲れて眠っちゃったから、このままにしておくミポ」

 グリーンのコンパクトになったポルンを抱きながら、ミップルがわたしのそばにやってくる。

「どうしたの?こんなに早く」

 あぁ、ほんとなら飛び出して抱き上げたいのに、足が動かないわ。

 わたし、いまとっても恥ずかしいこと考えてるんだもの。これで、なぎさとまた仲良くできる、なんて‥‥!!

「それは‥‥あれ? ほのか、ひょっとして取り込み中ミポ?」

「え? どうして?」

 両手広げて、ミップルを迎えてたのに、わたしのちょっと手前で止まっちゃったわ。なに見てるのかしら? わたしの脇‥‥くすりビン?

「そのビン、レチシアのくすりミポ。男の子に告白しに行くミポ?」

「レチシアって、これ?」

 手に持っていたくすりビンを持ち上げると、ミップルが大きくうなずいた。

「そうミポ。ちゃんとラベルにレチシアって‥‥あれ? そういえば、なんで光の園のくすりがこんなとこにあるミポ??」

 光の園のおくすりだったの。それじゃ、

「これ、媚薬じゃないの?」

「媚薬? それ、なにミポ?」

「ミップルはぁ、な〜んにも知らないポポぉ‥‥媚薬っていうのはぁ、嫌いな人のこともぉ、好きにさせちゃうおくすりのことポポぉ‥‥」

 グリーンのコンパクトから、寝ぼけた声が聞こえた。とたんにミップルが、両手でぎゅっと押さえつけてる。

「そ、それなら違うミポ。これは、『好き』な気持ちを、何倍にもしてくれるおくすりミポ」

 媚薬じゃなくて‥‥ もとからある『好き』を増やすおくすり‥‥

「普通は告白するために、自信のない自分に使うミポ‥‥ほのか、どうしたのミポ?」

 あら? ほんとだわ、なんだろう。わたし、笑ってるわ。

 さっきまで、あんなに落ち込んでたのに。なんだか、うれしい気持ちしかなくなっちゃったみたい。

「なんでもないわ。さ、行きましょ」

 ポルンごとミップルを抱き上げても、まだ不思議そうな顔してるわ。うん、こんどこそ、わかってる、わよ。

「メップルも来てるんでしょ? なぎさのとこに」

 なぎさの家のすぐ下で、わたしは大きく深呼吸した。

 まちがってたら、大変なことになる。けど‥‥

「ほのか、何やってるミポ? はやくなぎさの部屋に行くミポ」

 わたしはミップルにちょっと笑いかけてから、残ってるおくすり、一気にあおった。

「ほ、ほのか?」

 ほわん、っていう感じ。世界が、あったかく見える。

 いろんな気持ちが、いっぱい膨らんでいく。

 あぁ、やっぱりそうよ。どんなにイヤな気持ちでいても、こころの中の『好き』があふれてくるわ。あのひとことは、本当の気持ちなのよ‥‥

 わたしは思いっきり深呼吸した。

「なぎさ〜っ!」

 マンションの窓から、なぎさの顔が見える。開けた窓から、メップルの姿も。ふたりとも、ちょっと泣きそうな顔してるわ。

「なぎさ〜っっ!」

 ミップルとポルンを空にかかげたら、窓のふたりが笑っていた。

 また、ほわん、って感じ。でも大丈夫。

 わたしの気持ちはわかってる。『好き』が増えても、変わらない。

 わたしは声を出さずに、口の形だけで叫んだ。


「なぎさぁ〜っ! だいすきぃ〜っ

『小説?小噺?』へ戻る