くつくつのそこに

「よっ、と」

 手首のスナップちょいっときかせると、丸いものがふわっ、と浮かんだ。

「せぇ、のぉ」

 ちょっとこげた、茶色いたま。冬の公園を背景に、ちょっとだけみどりの模様が、目の前でくるくる回ってる。

「はむっ!」

 ベンチからちょっと腰を浮かせて、口から迎えに行ってあげる。すぐにいつものいい香りが、口の中いっぱいに‥‥ん?

「‥‥っぐ!」

 ひゅっ、と吹いた風に乗って、たまが勢いよく入ってきた。口の中‥‥じゃなくて、奥に!?

「こぉら! まずそうな顔すんじゃないよ。お客さんが逃げちゃうじゃないか」

 いや、そんなこと言われたって‥‥ぐぇっ。

「はいはいはい! なぎさ、おみずっ!」

 胸を何度か叩きながら上向いたとこに、丸っこい顔が迫ってきた。いきなりあたしの口開け‥‥て!?

「ごぁ!? ぐ、ぐごがげがぁ‥‥ぶはぁっっ!!」

「うぁ! ちょっとちょっとちょっとぉ、飲まなきゃダメだよぉ!」

 はぁ、はぁ、はぁ。あ〜、苦しかった‥‥っにしてもっ!

「ちょっと志穂! あたしを殺すつもり!?」

 じろっ、と上を向いたあたしの目に、口とがらせた丸い顔が飛び込んできた。

「え〜? ちゃんとおみず飲ませてあげたじゃない?」

 うぁ。心底ふしぎそうな顔してるよ、こいつは。

「ピッチャーで水流し込んどいて、どこが『飲ませてあげた』ってのよっ!!」

 なんか、むーっとしてるけど、ちょっと許したげないよ。これは。

「ちょい待ったっっ!!」

 へ?

 志穂が振り向いたその先、屋台の中であかねさんが腕組んでる。

「ケンカなら、まずそこのを片付けてからにしなよ。それこそお客さん逃げちゃうからさ」

 あたしの足元には、水まみれの丸いものが転がってた。さっき口から出しちゃった、たこ焼き。
 はぁ、ってため息ついて、ベンチから立ち上がろうとしたあたしの前に、ひょい、っとペーパータオルが出てきた。

 見たらいつの間にかしゃがんでた莉奈が、たこ焼きくるんでゴミ箱に放り込んでる。

「志穂、あわてすぎだよ。右手と左手間違えてるじゃん」

 言われて見てみたら‥‥ありゃ、ホントだ。志穂ったらピッチャーとコップ両手に持ってるよ。

「あ、あはは。いやー、失敗しっぱ‥‥うひゃぁ!」

 あ〜あ、水入りコップ持ったまんまで頭かいちゃうんだもんなぁ。あたしは思わず吹き出しながら、バッグの中からタオル出した。ま、志穂がそんな意地悪するわけないか。

 志穂の頭とコートを拭いてると、横から莉奈のため息が聞こえた。心配させちゃったかな? あとでフォローしとかなくちゃね。

「それにしても。なぎさにしちゃ珍しいよね、失敗するなんてさ」

 あかねさんの声、なんだか妙に上機嫌で、ちょっとだけカチンときた。そりゃ、みんなの前で失敗したことなんて最近ないけどさ。‥‥あぁ、タオルの下で、志穂がくすくすやってる。こりゃ、名誉挽回しとかなきゃ。

「ちょっと風が強かっただけですよぉ。今だったら絶対だいじょぶ!」

 って言いながらタオルをバッグに入れてる前で、志穂がわくわくした目でコップ持って待ち構えてるよ。ったく、見てなよ!

 あたしはまたベンチに腰かけて、冷めちゃったたこ焼きひとつ、楊枝でつまんだ。風が吹いてないの確かめて‥‥よいっ、と

「あ〜‥‥」

 回ってるたこ焼きをじっと見ながら口あけて、狙いを定めて‥‥

「あむっ♪」

 ‥‥へ? いきなりあたしの上に出てきた口が、たこ焼きくわえちゃった??

「‥‥ん、おいし

 ふわっ、と顔に流れた長い髪をかき上げて、出てきたのはいつもの顔。

「ふふふ。どう?うまくなったでしょ」

 って、えぇっ!?

「ほのか? なんで!?」

「ちょっと、練習したのよ。あかねさんにも手伝ってもらって。ね?」

 屋台の中で、あかねさんが笑いながらたこ焼き作ってる。志穂たちも、なんだかにやにや。な、なによいったい?

「ね。どっちが早く食べられるか、試してみる?」

 自信たっぷりなほのかの後ろから、あかねさんが小さなたこ焼き出してきた。莉奈までコップ持ってスタンバっちゃってるし。
 うん、そういうことなら、よぉし!

「負けた方のおごり、でいいね? それじゃいくよっ!」

「‥‥まぁ、おごったげるからさぁ。ふた皿くらい」

 そばにいるはずの、あかねさんの言葉が、遠くの方から聞こえてくる気がする。

「でもでもでも。天才っているもんだよねぇ」

 志穂の言葉も、なんだかふわふわしてる。目のすみには、困った顔のほのかが映ってるだけ。

「ええと、その‥‥ごめん、って言っちゃいけない、わよ、ね?」

「は、は、はははは‥‥はぁ」

 ほのかの手の上、からっぽのお皿見ながら、あたしは無理して笑ってみた。

 あたしの皿には、まだまだたこ焼き残ってるんだよね‥‥

「なぎさー。おーい」

「だめだめだーめ。まるっきり、あっち行っちゃってるよ。なーむなーむ‥‥」

 あー、なんだかツッコむ気にもならないよ。

「なぎさ」

 志穂がケラケラ笑ってるのをぼーっとしながら聞いてるあたしの耳元に、息がかかった。

「あの子――ほのかちゃんね、ホント頑張ってたよ」

 こっそりの声の方に目だけ向けてみたら、いつの間にか、あかねさんが屈みこんでる。

「最初はそこらにこぼしちゃってね。あたしが怒ったら何度も頭下げて‥‥でも、どうしても出来るようになりたい、って聞かなくってねぇ。
 だからさ、ちょっと落ち込んじゃうのはわかるけど‥‥ほめてやんなよ。ね?」


 立ち上がって屋台に戻ってくあかねさんから、目をほのかに移してみた。志穂たちがきゃいきゃい言ってる中で、何度もちらちら、あたしの方見てるよ。まだ困った顔のまま‥‥うん、そうだね。

「でも、よくできるよねぇ。いつもは、たこ焼きなんて食べないんでしょ?」

 莉奈の言葉で、ほのかの顔がもっと困っちゃった。まったく、もう。

 あたしは立ち上がって、すぅ、っと息を吸い込んだ。

「こぉらっ、ほのかをそんな目で見ないの! お弁当だって、たまに一緒してるじゃん」

 ふたりの肩に手を置いて言ったら、ほのかがちょっとだけ、ほっとした顔になった。ふぅ、間に合ったか。

「あ、そっか」

「普通だったよね」

 あったりまえでしょうが、もう。まーた変なカベつくっちゃってんだから。

「ごめんごめん。でも‥‥」

「うんうんうん。なんかね、食べてるもの違うような気がしちゃってさ。冬だったら、カニとか‥‥」

 あー、なんとなくわかっちゃう自分がイヤだね。さぁて、ほのかがまた困っちゃう前にフォローを‥‥って、あれ?

「カニ? カニ、食べたいの?」

 困った顔じゃないな。ちょっと、喜んでるみたい?

「カニなら、これから‥‥あ、ねぇ、ユリコ?」

 ほのかにつられて顔を上げたら、見たことのあるメガネさんがこっち見てた。目をまんまるにして。

「ぁえ? ‥‥ほのか! なんでこんなとこで油売ってるのよっ!!」

 こんなとこで、わーるかったねぇ‥‥っていうかよく見たら、この子もほのかも制服のまんま。コートも着てなきゃカバンも持ってないじゃない。帰りがけじゃなかったの?

「ええ、ちょっと見つけたから」

「ちょっと、じゃないわよ。こっちは大変なんだから」

 びゅん、って音がしそうなくらいの勢いでこっち来たと思ったら、ほのかの前に仁王立ち。これ、ぜったいあたしたち目に入ってないな。

「大変って?」

「みーんな、帰っちゃったのよ。あのカニ見せたら」

 その瞬間、目の前が凍った気がした。少なくとも、ほのかとメガネの子――ユリコちゃん?――のまわり、ムチャクチャ寒いよ。

「‥‥ユリコ?」

「い、いや、ほら、カニなんて食べなれてないから、みんないらないって言ってさ」

 ユリコちゃんが、あわててる。寒い空気かきまぜるみたいに手を振って。でも、

「ユ、リ、コ?」

「だ、だからほのかにあげるから、食べてって‥‥」

 こ、怖い。背中が冷たくなってくのがわかるよ。こりゃ爆発まで、3、2、1‥‥

「ユリコっ!」

 ほらきたっ!

「わかってる、わかってるわよ。反省してますって」

 目ぇ開けたら、もうちょっとでメガネはずれちゃいそうなくらい首ふってた。両手広げて、ため息つきながら。それにしても、ほのかがこんな爆発するなんてねぇ
 ‥‥あれ、こっち向いた。にっこり、って音が聞こえそうなくらい、あたしに笑いかけてる?

「ねぇ、なぎ‥‥」

「パスっ!」

 考える前に声が出てた。

「あん。まだ何も言ってないじゃない」

 まだにっこりの、ほのかの顔。でも、あたしはだまされないからねっ!

「言ったも同じだよ。どうせ、カニ食べない?って言うんでしょ。パスパスっ!」

 化学部の子が、見せちゃいけないもの見せちゃって、で、それがカニってことはさぁ、つまり、そういうことでしょ?

「え〜? なんでなんでなんでぇ? いいじゃん。カニなべぇ♪」

 志穂、あんた死にたいの? ‥‥とはさすがに言えないけど。でもなぁ。

「あたしもいい? カニなべなんて、あんまり食べられないしね」

 あぁ、志穂だけじゃなくて、莉奈までその気になってるよぉ。怪しい雰囲気に気が付かないの??

「なべがいいのね? いいわよ、ユリコとふたりじゃ食べきれないから。でも‥‥なぎさ?」

 ほのかが、じっとあたしを見つめてる。いつの間にか、志穂たちも、ユリコちゃんも、じぃっと。ああぁっ、もうっっ!!

「えーいっ、わかったわよもう! 煮るなり焼くなり好きにしなよっ!」

「「「いや、だからなべだってば」」」

 みんなのツッコミの向こうで、ほのかとあかねさんが笑ってた。

「ふぅ‥‥」

 ため息で一瞬、目の前が白くなった。まだ日は落ちてないのに、やっぱ寒いんだなぁ。


 たこ焼きの屋台からここまでとっとこ歩いてきたけど、ほのかたちが見えなくなると足が勝手に遅くなる。われながら、素直だよねぇ。

 それにしても、まいったなぁ〜。ほのか探し回って、やっと見つけたと思ったら美墨さんたちと一緒なんだもん。つい口がすべっちゃったよ。久保田さんたちが乗ってくれなかったら、今ごろどうなってたか‥‥

「ねぇねぇねぇ、ユリコちゃん。コートなしで寒くない?」

 横から声かけてきたのは、ラクロス部の久保田さん。あぁ、そうか。一緒に歩いてたんだっけ。
 で、寒くないかって? ‥‥そういえば、寒いはずなのにあんまり感じないな。ま、ほのかの爆発に比べたら、このくらい大したことないってことかもね。

「さぁ、ぼくの胸においでぇ♪ あっためて、あ、げ、る

 わたしが考えてたら、久保田さんの声がなんか芝居がかってきた。こっちに向かって、コートの前をぱっと開いてぱたぱたしてる。

「なにバカなこと言ってんのよ」

 ぱたぱたやってるコートをつかんでボタンをとめながら、ひとつため息。部外者だからしかたないんだけど、ねぇ。

「え〜? 乗らないとつまんないよぉ」

「久保田さんは平和でいいよねぇ‥‥」

 ついつい口に出ちゃうな。グチだとはわかってんだけどね。

「こらこらこ〜らっ! そんな堅くない、って知ってんだから。いまさら取りつくろってもだ〜め!」

 別に堅いってわけじゃ‥‥ほのかが料理の買い物済ましてるとばっかり思ってたから、この姿で買出しの追加だもん。ため息も出るよ。

 っていうか、久保田さんの方が一緒に買い物行こう、って言って引っ張ってかれたんだよねぇ。でも、よく考えると変だな。

「それはそうと‥‥なんで、わたしだけなの? 高清水さんと一緒じゃなくていいの?」

「莉奈はねー、なぎさの監視よぉ」

 監視??

「こないだ、ほのかちゃんとこ行ったときさ、なぎさがチョコ買いまくって困ったじゃん? ほのかちゃん、そういうとこ甘いからねー」

 ほのかが、ねぇ。なんとなくわかるような気もするけど。でも、だったらみんな一緒にいればいいのに‥‥?

「‥‥なんとなくさ、ほのかちゃんとは別になりたいんじゃないかなー、って思ったん。違ったらごめんねー」

 立ち止まってぼそっ、と言った言葉にびっくりした。まるで、わたしの心を読まれたみたい。意外って言ったら悪いけど、よく見てる子なんだなぁ。

「あ、ううん。それは‥‥ありがとう」

「ん。でさでさでさ、カニって、食べられるんだよね?」

 久保田さんが大きな目を開いて、わたしを見つめてきた。あぁ、やっぱ訊かれたか‥‥ふぅ、見たら化学部員でも逃げ出しちゃうくらいなんだから、説明したくなかったんだけど。

 わたしは大きく息を吸って‥‥よし、覚悟は決まった。逃げるなら、逃げなさいよ。

「食べられるのは保証するわよ。わたしも食べるし。で、何に使ったか、っていうとね‥‥」

「ストーップ!」

 え? 目の前に、手?

「それは言わなくてもいいよ。あたしはただユリコちゃんから、だいじょうぶ、って言葉が聞きたかっただ〜け」

 わたしの口をふさぐように出された両手が、すっ、と降りた。久保田さんの顔、なんだか照れたみたいに笑ってる。

「さぁて、莉奈にも口止めしとかなくっちゃぁ。なぎさは‥‥まぁ、しょーがないかもしれないけどさ」

「久保田さん‥‥」

 照れ笑いがちょっと苦笑いに変わって、わたしの言いかけた言葉はそのまま消えちゃった。

「なぎさ、ほのかちゃんと仲いいからねー。中の中までちゃんと知らないといられないかもね」

 苦笑いをごまかすみたいに、頬をコリコリかいてる久保田さん見てたら、

「知らない方がいいことだって、いっぱいあるんだけど‥‥」

 思わず、言葉がこぼれてきちゃった。

「そうそうそう。でも、なぎさは訊いちゃうんだよ。それで自分が傷つくことだってあるのに、やっぱり訊いちゃうの。そういうとこ、かなわないよねー」

 そこまで言って、久保田さんが大きく息吸った。吐いた息の白さが薄れたあとも、ちょっとだけ苦笑いが残ってた。


 わたしたちは、そのまま黙って駅前のスーパーまで歩いた。迎えてくれるのは特売のポスターと、店頭販売の野菜たち。
 その中にひとつ、目に付いたものがあった。いつもだったら気にもならないもの。こんな状況で気にする方がおかしいもの。でも‥‥

 久保田さんの顔をちらっと見て、わたしは決めた。どうせカニは目いっぱいあるんだよ。ちょっとくらいこんなことに使ったからって、悪い?

「ねぇ、久保田さん。なべの材料にも色々あるんだけどさ‥‥」

 わたしがそれを指さしたら、久保田さんが一瞬、ぎょっとした。けど、

「うんうんうん! ユリコちゃんって、やっぱ最っ高ぉ♪」

 わたしの背中をバシバシ叩いてる久保田さん、とびっきりの笑顔に戻ってた。

 ざっ、ざっ、ざっ


 寒い街を、ももをちょっと上げながら歩いてく。音だけ聞いてると、まるで行進でもしてるみたいだね。

「ねぇ、なぎさ?」

 すぐ横から、ほのかの声が聞こえてきた。あたしはそのまま歩きながら、

「なによ」

 言葉がむっとしちゃうのは、行進のじゃまされてる気分だからかも。

「なんで、こんな歩き方してるの?」

「決まってんでしょ。歩幅そろえないと、コート脱げちゃうじゃん」


 ざっ、ざっ、ざっ


 調子よく歩いてるはずなのに、商店街がちっとも近づかないな。さっさとなべの材料買って、学校行かなきゃならないのに。

 だいたい、志穂たちはどこ行ったのよ。みんなで一気に買出しした方が早いのに、いつの間にか、あの子と一緒にどっか行っちゃってさ。

「ねぇ、なぎさ?」

 またほのかの声。ほっ、ほっ、って息ついてるくせに、無理して声かけなくてもいいのに。

「だから、なによ?」

「コート、無理してふたりで着なくてもいいんじゃない?」

 ほのかが肩からコート外そうとしたんで、あたしはあわててその手をぎゅっとつかんだ。まったく、こういうとこ融通きかないんだから。

「こっの寒いのに、コートなしで歩かせらんないよ。 風邪ひきのほのかなんて、あたしはもう見たくないんだからね!」


 ざっ、ざっ、ざっ


 あぁ、やっと見えてきた。駅前の商店街、八百屋に肉屋に魚屋に‥‥

「ねぇ、なぎさ?」

 だーからぁっ! なんなのよ、さっきっから!?

 思わず立ち止まって、ほのかの顔を覗き込んだら、

「‥‥ちょっと、恥ずかしいんだけど」

「あ‥‥」

 よく見たら、あたしの腕がコートつかみながらほのかの腰に回ってた。うっかりして、ほのか抱きかかえちゃってたんだ。

「外では、ちょっと‥‥ね

 だあ〜っ! もう、なにが『ね』だよ、こいつはあぁぁっっ!! そのくせ、あたしがコートから手ぇ離すの待ってるし。もう、どうすりゃいいのよ、これっ!!

「もしも〜し、そこのバカップルぅ〜」

 なにぃっ!?

「だーれがよ!‥‥って、え?」

 振り向いたあたしたちの前に、心底あきれ顔の莉奈がいた。‥‥あ、そっか。忘れてた。

「一応言っとくけどさ。別に、隠れてつけてたわけじゃないから」

 なにも言わないで後ろ歩いてたらおんなじだぁ〜っっ!! って、あれれ?

 あたしとほのかの背中から、コートがなくなった。莉奈が片手で器用にまるめて、カバンに乗せて、それからあたしたちの前に、人さし指がひょい、っとのびてきた。

「そんだけ真っ赤な顔なら、コートなんて要らないでしょ? ほら、もう店に着いたんだから。買い物買い物っ!」

「春菊、しめじ、にんじん、豆腐、タラの切り身に鶏肉、と‥‥ねぇ、ほのか。あと、なにがいるんだっけ?」

 商店街についたとたんになぎさが消えたと思ったら、いつの間にかわたしの目の前。野菜を抱えながら、指折り数えて買うもの確かめてる。あっけに取られてみてたけど、

「ええと‥‥なぎさ?」

 とっさに言葉が続かなかった。いつもだったらすぐに出るのだけど‥‥

 考え込んでいたわたしの肩に、ぽん、っと手が乗ってきた。手の先では、莉奈ちゃんがやれやれ、っていう顔でわたしを見ている。

「言いにくいんでしょ? まかせて」

 そう言うと、すぅ、っと、音が出るくらい息吸って、

「なぎさ。それでなに作るの?『タラちり』?『水炊き』?まさか『カニなべ』って言うんじゃないでしょうね?」

「え?え?違うの??」

 なぎさの目が、わたしに助けを求めてるわ。でも、ちらっとわたしを見た莉奈ちゃんの目が『甘やかしちゃダメ』って言ってる。ここは、お願いするしかないわね。

「あたしだって食べ慣れてないけどさ、だったら、ちゃんと先生に教わんなきゃダメじゃん」

「そっか。あはは、まーたやっちゃったよ」

 なぎさが野菜を返しに行って、八百屋のおじさんに頭下げてる。頭をかきながら、困った笑い顔して。おじさんも笑いながら、野菜を元に戻してる。ほんと、なぎさって誰にでも好かれるのよね。

「さぁ、雪城先生? 教えて教えて♪」

 なぎさが戻ってくるのを待って、莉奈ちゃんがわたしに言った。からかうみたいな口調だなぁ、って思うのは、ちょっと考えすぎかしら?

「そうね。だしがちょっと弱いから、だし昆布は要るわ。それとお野菜、白めの長ねぎに白菜を少し。香りが強すぎるのはダメよ? きのこは、えのきか‥‥しいたけもいいわ」

 そう言いながら、わたしの目はなぎさを追っていた。なんだか、少ししょげちゃってるみたい。こんなの、ただ知っているかどうかだけのことなのに‥‥

 そこまで考えてたら、言葉がすっ、とこぼれてきた。

「‥‥普通は、ね」

「「普通は?」」

 ふたり一緒に反応ちゃってる。思わず、吹きだしそうになっちゃった。

「うん。普通のカニなべなら、あとはタレだけ考えればいいと思うけれど‥‥カニね、すっごくあるの。5人でも余るくらい。だから、ね?」

 そうよ。わたしの知ってるなべなんて、本を見れば作れるんだもの。

「好きなもの入れて、好きなタレ作って、みんなで食べっこしてみない?」

 ぱっと晴れたなぎさの顔の向こうで、莉奈ちゃんがまんまるな目でわたしを見てた。

 わたし、変なこと言ったかしら??

 学校が見えるころには、空がもうオレンジ色。3人並んで歩いてて、ちょっと横を見たら、ふたりの顔も少しオレンジに光ってた。
 ‥‥なんか、不思議だなぁ。ウンチクの女王とラクロス部のホープ、違う世界の子とちょっとした憧れ、だったんだよね、一年前は。なのに、今はふたりとも、すぐ隣にいるんだもん。

 あ、なぎさがあたしの顔、のぞきこんでる。あたしは買い物袋をぱっと開けて、中見てるふりしてごまかした。

 それにしても、結構買ったなぁ。3人別れて買い物したから、ふたりがなに買ったのかはわからないけど‥‥へへ、あたしは完璧なんだから。見てなさいよ、なぎさ。

 あとの心配は‥‥志穂かぁ。ユリコちゃん落ちつかせに、どこまで行ったかな? このなべやる前に話はしときたいんだけど、ふたり置いて探しに行くわけにも、ねぇ。

「おーい、り〜なぁ♪」

 あ、あれ? あたし呼んでる。だれ?‥‥って、よく見たら、校門のところで立ってる丸い顔、志穂じゃない。

 うぁ! なぎさが飛び出そうとしてるよ。押さえて、押さえてって。

「こぉら! 志穂、今までどこ行ってたのよ。こっちは買出ししてたってのに!」

「買い物よぉ。ユリコちゃんと一緒ぉ♪」

 そう言われて、なぎさがほのかちゃんと顔見合わせちゃった。そういえば、ふたりには言ってなかったっけ。ごめん、なぎさ。

「遅い遅い遅ぉ〜い。ユリコちゃんなんて、もう理科室で準備はじめちゃってるよ♪」

 あーあ。楽しそうだなぁ、志穂は。人の苦労も知らないで‥‥って、いまなに言った?たしか、

「理科室ぅ!?」

「ええ、そうよ」

 いきなり隣から答えが来たよ。ほのかちゃん??

「家庭科室の使用許可はとっていないし、それにちょっと‥‥問題になっちゃうから」

「「‥‥も、問題??」」

 思わずなぎさとハモっちゃったじゃない。いや、彼女もユリコちゃんも、悪い子のはずない、と思う、けどさぁ

「あぁーっっ!!」

 口を開こうとしたあたしの目の前に、いつの間にか志穂が来てた。両手をにぎって、思いっきり口あけて、

「それよりそれより! みんなが持ってるのって、なべの材料でしょ? ほぉら、さっさと運んじゃおうよ。ね?ね?」

 志穂の目が、あたしに向かってパチパチしてる。‥‥うん。わかったよ。

 あたしは軽く息すってから、なぎさの目を見た。

「まぁ、いいじゃない。さっさと運ばないと、なべの途中で帰ることになっちゃうよ。ほら、なぎさ!」

「え? あー、まぁ、莉奈がそう言うんならいいけどさ‥‥」


「莉奈、サンキュ」

 理科室に走ってくなぎさたちの後ろをついてったら、そぉっと近づいてきた志穂が、こそっ、と言った。

 あたしはその背中に手を回しながら、しばらく並んで歩いてった。なぎさたちが見えなくなるまでスピード落として、それからあたし、志穂の耳元に口を寄せた。

「あたしも混ぜないと、ひどいからね?」

 あたしがにやっ、と笑ったら、志穂はポンポン、って肩たたいてくれてる。

 やっぱり、志穂とが一番息が合うわ。あたし。

 志穂たち、遅いなぁ。どこで油売ってるんだろ?

 あたしが廊下の向こうを覗き込んでたら、となりでほのかが理科室のとびら開けた。

 ふわっ、とあったかい空気がやってきて、思わずほっと息ついちゃった。もうなべでお湯沸かしてたんだね。実験用のガスバーナーの上で、一人用の小さななべが、カタカタ揺れてるよ。

「みんな遅いよー。もう5人分、なべ用意しちゃったからね」

 いつものメガネのユリコちゃんが、腰に手を当てて、あたしたちに言った。

「あ、メインの大なべはこのあとね。まずはみんなのオリジナルなべ、いってみよ」

 へぇ、ほのかと同じこと言ってるよ。やっぱ、長くつきあってるだけあるなぁ。

 さて、と。あたしはどのなべにしようかな? もちろん、みんな同じなんだけどね。なべの周りに、紙のお皿に乗っかったカニの足があるから。いいの選ばなきゃ♪

「あら? ユリコ、ちょっとカニ少なくない?」

 え? ああ、言われてみれば。ひとつのなべに5本づつくらいだもんね。ほのか、さっき5人じゃ食べきれない、なんて言ってたはずだっけ??

 そう思ったら、ユリコちゃんのメガネが光った。

「久保田さんならともかく、ほのかがそれ言う?」

 な、なんか迫力あるなぁ。いったいなにが‥‥ありゃ。ほのかが、しまった、って顔で口に手を当ててるよ。まさか、またなんかやったんじゃないでしょうね?

「わかったら、メイン用のカニ足5人分、あとで持ってきて」

 にっこり笑ってるけど、メガネまだ光ってるように見える。ほのかの方も苦笑いしてるし‥‥はぁ、しょうがないな。

「あたしも手伝うよ。さっさと終わらせ‥‥」

 その先が言えなかった。ふたり揃って、ちろっ、とあたしの目を見てる!?

「「‥‥見ないほうが、いいわよ?」」

 ハモった声がすっごく低くて、あたしは思わず息を飲んじゃった。

「さ、さぁー、なべ作ろっか。どのテーブルにしよっかなー」

 われながら白々しいけど、あのふたりが組んだらなにはじめるかわかんないもんね。ええと、奥のテーブル行こうかな。

 それにしても、いつもは5人くらいで実験してるテーブルに、小さななべひとつづつ。広いなぁ。

「なんだか、無駄遣いしてるみたい」

 あたしがテーブル見回してたら、となりでほのかがぼそっ、と言った。まぁ、そうなんだけどね。

「出来上がったら集まればいいじゃん。広いほうが、失敗したとき被害が少ないしね」

 ほのかが、あたしの方を上目づかいでまたちろっ、っと見てる。あ、あれ? いつの間にかユリコちゃんに、あとから来た志穂たちまであたしのまわりに集まって、って‥‥え!?

「みんなであたし見てうなずかないでよっ!!」

 両手振り上げたら、一気に逃げてっちゃった。はぁ。

 ま、いっか。とにかく広いほうが、仕掛けがやりやすいんだから。


 なべの中のお湯をすこし捨ててから、あたしはみんなに隠れて、買ってきた材料を入れはじめた。さぁ、見てなよ!

「美墨さん、いい?」

 隣のテーブルにいたユリコちゃんから声がかったとき、あたしはちょうど火を止めたとこだった。

 顔を上げたら、前に並んだテーブルで3人がじっとあたし見てる。あたしがビリかぁ。いやー、こんなに難しいなんて思わなかったよ。実験用のガスバーナって、弱火にしようとすると消えちゃうんだもんなぁ。

「それじゃ、せぇの、で全員いっしょにおひろめ、いっくよ!」

 元気だなぁ。ああ、ほのかやユリコちゃんは慣れてるからか。‥‥ん、疲れててもしょうがないや。気を取り直して、なべのフタに手をかけて、よし!

「せぇ、のぉ‥‥」

「せっ!!」

 みんなで一斉にフタをとった。一面まっしろになってから、ぷぅんといい匂い。へへへ、あたしのは、ちょっと違うでしょ‥‥って、あれれ?

「ほらほらほ〜ら、なぎさ」

「なぎさ、こっちこっち」

「なぎさ〜♪ ‥‥あ、あら?」

 あっちこっちから、あたしを呼ぶ声がした。それといっしょに、どっちの方からも同じ匂いが‥‥っていうか、これってまさか、

「チョ、チョコなべぇっ!?」

「え、え、えぇっ!? 莉奈もぉ??」

「志穂に‥‥ほ、ほのかちゃんまで!?」

 あたしの正面で、3人が顔見合わせちゃってるよ。あ〜あ、なんだか笑っちゃうなぁ。

「まったく、みんなして同じこと考えるなんて、ねぇ。ほら、わたしは牛乳なべよ」

 隣からの声で、あたしは固まっちゃった。‥‥いや、その、だってさ。

「ええと‥‥あたしもそうなんだけど‥‥」

「えぇぇっっ!?」

 メガネから飛び出るくらい開いた目を見て、あたしは吹き出しちゃった。あはははは。こりゃ、同じこと考えてたな、きっと。

 あぁ、ユリコちゃんも苦笑いしてるよ。ちらっとほのか見てさ。

 ‥‥って、あれ?

「あ、う、うくっ‥‥」

 え? なに? ほのかが口に手をあてて、ふるえてる?

「ちょっと、ほのか? 調子、悪い?」

 ほのかのいるテーブルまで行って、背中をさすった瞬間、イヤな予感がした。

「くっ‥‥あっははははははっ!」

「ほ、ほのか?」

 近寄ったなぎさが、目をまんまるにしてる。

「ちょっちょっちょっと! どうしたの、ほのかちゃん!?」

 あたしも、声が上ずっちゃった。ほのかちゃん、おなか押さえながら大笑いしてるんだもん。

「しょ、しょうがないなぁ。ほら、つかまって」

「なぎさ?」

 一瞬、なぎさが驚いたような顔したんだ。はっとした、って感じ。

「ごめん、志穂。ほのかといっしょに、カニ取ってくるよ。先食べてて」

 そう言って、ほのかちゃん半分背負いながら、とびらの向こうに消えてった。けど、笑い声はまだまだ響いてる。
 な〜んか、あやしいぞぉ。

「さっすが、美墨さん。よくわかってるわ」

 あれ? ユリコちゃんなにか知ってるの?

「ねぇねぇねぇ、大丈夫なの、あれ?」

「ん? ええ、大丈夫。さーさ、今のうちに食べちゃおっか」

 あたしは、ちょっとだけぽかん、っとしてた。だってそのまま、自分のなべの前に戻って、おたま手に取ろうとしてるんだもん。なにもなかったみたいに。

「ってゆーか、ってゆーか、ユリコちゃん? いいの、ついてかなくて??」

「いーのいーの。あらかた見当ついてるから」

 おたま上げて、軽く振ってるよ。ほんとに、どうでもいい‥‥わけないよね?

「ユリコちゃんは見たことあるの? あんなに大笑いしてるほのかちゃんって」

 莉奈があたしの隣から声かけた。あ、そっか。化学部じゃちょっと違う、とかかな?

「ないけど、だいたい理由の見当はつくから。
 ‥‥わからない、かな?」

 あれ? ユリコちゃんがあたしと莉奈じっと見つめて‥‥あぁ、ため息ついちゃった。なんだろ?

「それだけ自然だ、ってことかもね。わたしはまだまだ、か‥‥」

 なんか、落ち込んじゃってるのかな、って思ってたら、いきなりがばっと起き上がって、

「さぁ、それじゃ用意しとこっか」

 ほんとにいきなりだったから、あたしも莉奈も

「へ?」

「なにを?」

 ってな感じ。それ見たユリコちゃん、おたまで頭かきながら、

「ん? 久保田さん、さっき買ってたじゃない。まさか、見てないとでも思ってた?」

 軽くウィンクまでしてるユリコちゃんに、いっぱいハテナマーク浮かべてる莉奈見ながら、あたしはひとりで冷や汗かいてた。
 あ、あは、あはははは‥‥いやー、やっぱすごいわ。ユリコちゃんって♪

 パタン


 夕方の理科準備室は、とびらを閉じると薄暗くってよくわからないな。電気、電気、っと。

 ほのかはまだ大笑い。ただ笑ってるだけなら、別にいいんだけどね。あぁ、それより、

「ほのか、ここの電気って、どこだっけ?」

 笑っちゃってるから返事ないかな? って思ったけど、一応訊いてみた。そしたら、笑いがふっ、と止まって、

「つけて、いいのね?」

 え?

「つ、つけちゃ、まずい‥‥の?」

「ううん、ただ、わたしは警告しましたからね。それじゃ、つけるわよ」

 ちょっと待てぇっ! って言う前に明かりがぱっとついた。一瞬、まぶしさに目をつむっちゃったけど、がさがさって音がしたんで目を開けてみたら‥‥げげっ!!

「な、な、な!?」

 一面、一面に‥‥

「なぁに、なぎさ?」

 灰色っぽい、ぐちゃぐちゃが動いて‥‥

「なにこれっっ!!」

「カニ」

 へ?

「だから、カニよ。カニ。正確に言うとズワイガニね」

 カニ? カニ、っていっても‥‥灰色で、ぐにゃぐにゃしたのがいっぱい、がさがさ動いて‥‥うぇっ。

「おばあちゃまが、いっぱい取ってきてくれたのよ。それで、キトサンの分離実験をやったの。薬液につけると食べられなくなっちゃうから、甲羅だけ外して‥‥それで、のこりを集めたらそんな風になっちゃって」

 ぐ、グロいなぁ。カニって、一皮むくとこんなんなんだ。って、違う。そういう問題じゃないって!

「なんで動いてんのよ!!」

 言ったとたんに、動きがぴたっ、と止まった。
 え?あたしの声で?

「ついでに、カニの足でロボット作ろうと思ったのだけど‥‥失敗しちゃった。うふ

 カニの中から出てるコード切って、ぶらぶらさせながら、ほのかがにっこりしてるよ。も〜ぉ!『うふ』じゃないっての、まったくさ。

 はぁ、もうなんだか、力が抜けるぅ‥‥


 その場にへたり込んだあたしの前に、カニの足がどんどん積みあがってく。
 そのうち、カニ足が布で包まれて、あたしの手に乗っかってきた。はいはい、運べばいいんでしょ、運べばさ。‥‥って、あれ? カニ足が動かない?

 顔を上げたら、カニ足の上に手を乗せたほのかが、じぃっとあたしを見つめてた。

「これ見て逃げなかったの、なぎさだけだよ

 ちいさな、ささやくみたいな声。ちょっと困ったような笑顔‥‥あたしは空いてる手で、ほのかの広いおでこをコツン、っとやった。

「い、いまさらなにがあったって、逃げるわけないでしょ? どんだけ付き合ってると思ってんのよ!」

 言いながらぱっと立ち上がって、準備室のとびらに手をかけたまま、あたしはしばらく動けなかった。

 だから、背中にくっつくなってば、ほのか!
 もう、顔の熱いのが()めないじゃないのよぉ‥‥

「1年」

 いきなり、ぽつん、って感じの声が、背中から聞こえた。

 あれっ、と思って振り向いたあたしの顔を、ほのかが、じぃっと見つめてる。

「ううん、まだ1年たってないわ。たってないのよ」

 あ、さっきの目だ。なべの前で大笑いしちゃってたときの目。
 だから、あたしはここに連れてきたんじゃない。もう、笑ってるくせに、目だけは今にも泣き出しちゃいそうなんだから!

「もうじき1年だな、って思ったらね、わたし、なにかしたくなったのよ。投げたたこ焼きをキャッチできるように練習したり、ね」

 あ!

 あたしは、思わず声出しそうになった。

「でも、でもね、早食い競争のなぎさの顔見て、なにか違うな、って思ったの。わたしのしたかったこと‥‥わたしが欲しかったのは、こんなのじゃない、って」

 やっぱり。あかねさんのあの言葉‥‥きっと気付いてたんだ。あぁ、あたしって、なんでこんなニブいのよっ!

「いや、ほのか。あたしはバカだからさ、あんまそういうこと考えて‥‥」

 あたしの口が、ほのかの手でふさがれた。横にゆっくり首をふったほのかの目から、涙がぽろぽろこぼれてる。

「違うの。バカなのはわたしだったのよ。欲しかったのは、そんな形なんかじゃなかったんだわ。
 自然に、なぎさを思い浮かべられること。わたし、いつのまにかできるようになってた。志穂ちゃんたちと同じくらいに。‥‥こんなに嬉しいこと、ほかにある?」

 自然にあたしをって、チョコなべのこと?‥‥って!?

 あたしは、いきなり顔が熱くなった。さっきよりずっと熱い。そうだった。あたしだって、ユリコちゃんと同じことしてたんだっけ。ヘンに考えなくても、自然に‥‥

 熱を冷まそうと下向いてたら、首に軽く手が回ってきた。耳元に小さな声で、

「きっと、なべのそこには、みんなの思いが沈んでるのよ。すくってあげよ。ね、なぎさ

 あったかい息が消えるのといっしょに、準備室のとびらの開く音がした。

「ごめん、遅くなっちゃった!」

 ほのかのあとから準備室を出たら、みんながあたしをじっと見てた。

「遅い遅いおっそ〜い! もう食べ始めてるよ」

 ま、そりゃ当然か。

「とりあえず、わたしたちのから試食してくれる? はい、ほのか」

「なぎさは、あたしのからねー」

 志穂のお椀を受け取って、あたしはじっと中を見つめた。ほのかも、ユリコちゃんのを受け取って、同じようにしてるみたい。このそこに、思いが沈んでる、ねぇ‥‥あれ、ほんとに、なにかある?

 箸で中をつついてみたら、黒っぽいかたまりがあった。これって、もしかして?

「うわぁ♪ チョコが沈んでるよ。食べていいの?」

 にこにこしながら、志穂と莉奈がうなずいてる。へぇ、これってふたりの合作なのかな? まいっか。とりあえず、このチョコ!

「いっただき! あむ♪」

 なべはココアのいい香り。へぇ、四角いチョコは、煮てもいいようにアメかけてあるんだ。じゃ、アメの端っこちょっとかじって‥‥えぇっ!?

「ん‥‥む?‥‥むぐっ、ぐぐぐ!?」

 な、なにこれ!? 甘くない、っていうかっ!

「くぇっ! ぺっ!ぺっっ!」

 お椀の中にかたまりを吐き出して、あたしは水をがぶ飲みした。

 かたまりは、すっごくいい香りを出してる‥‥けど、チョコじゃないよ、これ!

「志ぃ〜穂ぉ〜〜! これ、カレーのもとじゃない、これ! なんてもの食わせんのよっっ!!」

 じろっとにらみつけたとこには誰もいなかった。どぉこ逃げた? って目で追おうとしたら、目の前にほのかが立ってる。

「見たでしょ、ほのか。あんたは買いかぶりすぎ! こいつらの友情なんて、こんなもんよ!!」

 八つ当たり気味にどなっちゃったけど、ほのかはくすくす笑いながら、あたしの方に手をすっ、っと差し出してきた。

「ええ、友情って、こんなものよね

 手にもってたお椀に牛乳なべ。そこからツンとしたワサビのにおい。

 あぁ、ほのかの向こうで、にやっと笑ったメガネが光ってるよ。

「さぁ、わたしのも、食べてみて?」

 あたしに差し出したお椀からは、チョコのいい香り。すっごくおいしそうで、すぐでも食べたいんだけど‥‥
 だけど、底のほう、なんか、動いてるっ‥‥!!


「もう、勘弁してよぉ〜っ!!」

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