ゆ〜うつ♭ねむりひめ

 目の前が、なんだかふわふわしてる。

 花の植わった植木ばちに、作りかけのアクセサリ、フットサルのボールに‥‥ありゃ、髪の毛のたば?

 よく知ってるものからよくわからないものまで、あっちにふわふわ、こっちにふわふわ。なんだろね、これ? たしか、のぞみが今日も補習だから、って言うんでひとりで‥‥またひとりで‥‥

『ただいまー』

 あれ? 遠くから声が聞こえるよ。だれか来たのかな?

『お茶はもう‥‥上がってきてくださいミル‥‥』

 う〜ん‥‥ま〜だ、目の前ふわふわだなぁ。なんだかピンクっぽいのがふわふわ‥‥そんな疲れてたっけ、わたし。

『ん? これ、りん‥‥』

 あれ、声が近づいた。だれか来たのかな?

 ピンクっぽいのは遠くに行っちゃって、近づいてきたのは‥‥うわぁ、クリーム大福だ。食べていいのかな? いいんだよね、目の前に出されてるんだし。


 それじゃ、いっただきま〜す

「ただいまー」

 ナッツハウスのドアが開く音といっしょに、いつもの声がやってきた。

 入ってきたのは、いつものシャツに袖なしジャケット姿。年末の寒い中じゃ非常識だと、何度言ったらわかるんだろうな。

「お帰り、ココ。早かったな‥‥のぞみは?」

 冬休みに入ってから、ほとんど毎日補習だとか言っていたはずだ。教師はつらいだのブツブツ言いながら出かけて行ってたよな‥‥えらく、楽しそうに。

「あぁ、購買で休んでから来るそうだよ。店をおまえに任せっぱなし、ってわけにもいかないから、僕だけ先に帰ってきた」

 やれやれ。俺は少しだけ、のぞみに同情した。他人のことは言えない、っていうのはよく理解しているつもりだが‥‥

「俺は別に構わないが‥‥まぁいい。とりあえず、ココも一休みしろ。
 ミルク、お茶を‥‥」

「お茶はもう入ってるミル。ココさま、上がってきてくださいミル!」

 2階から聞こえてきた声に、思わずココと見合わせた顔がほころぶ。こいつもずいぶん成長したものだ。

 さて、それじゃ変身を解いて2階に上がって‥‥あん?

「これ、りんココ?」

 ひと足さきに登っていたココが、ソファーを指差して言っている。

 ああ、そうか。そういえばさっき、ひとりでやってきて、そのまま階段上がってったんだ。

「フットサル同好会の練習が今日までだそうナツ。疲れてるようだから、寝かしといてやって‥‥」


「‥‥クリーム、だいふく」


 階段を登ってる俺の耳に、ぼぉっとした声が届いた。だがなんだ、このイヤな感覚?

「いただきまぁ〜‥‥あむ」

「クォ!?コ、コココ〜ッッ!!」

 ココの悲鳴だと!?

「ココ!どうしたナツ‥‥ッ!?」

 二段飛ばしで階段駆け登って、そのままテーブルに飛び乗った俺は、一瞬、自分の目が信じられなかった。

「か、か、かじってるココ! ココのしっぽ、りんがかじってるココッ!!」

 とっさにココの手をつかんで思い切り引っ張ると、すぐ腕が軽くなった。どうやらまだ、完全にはかじられてなかったらしい。勢い余ってココがテーブルから吹っ飛んだけど、まぁよしとしよう。

「おかしいミル。ミルクは、なんにも感じなかったミル!?」

 思わず、俺はうなずいていた。たしかにおかしい。ナイトメアの気配がしてたら、ココだって避けられたはずなのに‥‥


「あ


 ん? な、なんだ、また、イヤな感覚が?

「あはは チョコまんに、いちご大福ぅ〜ふかふかぁ〜‥‥」

 あいかわらず、ナイトメアの気配がしない。ってことは‥‥な、なんてヤツだ。寝ぼけたりんには、俺たちが食い物に見えるってのか!?

「ココ! お前の生徒だろうナツ。なんとかし‥‥うわっ!?」

 細い右腕が、素早く動き回ってる。とっさに避けたけれど、まだ手がぱたぱたと‥‥うぉっ!

「ナッツさま、あぶないミル!」

 俺はミルクを抱えて、テーブルから飛び降りた。さっき吹っ飛ばしたココが頭をさすりながら起き上がってきてる。

「ミルクもあぶないナツ! ココと一緒に上の階に逃げるナツッ!!」

 言いながら俺はふたりの後ろに回った。万が一、ってこともある。

 だが、

「‥‥あ〜あ。ま〜たひと‥‥」

 ひとこと耳に入ってきた瞬間、俺の足が勝手に止まった。

「どうしたココ?」

 階段の途中でココが振り向いているのがわかる。けれど俺の目は、ソファーから離れなかった。

「‥‥俺は、残るナツ」

「ココ?」

「ミルクを頼むナツ。‥‥なぁに、」


 ぽんっ!


 いつもの軽い音といっしょに、風景が高くなる。目の高さに階段のココとミルク。ソファーからはまだテーブルを探ってる手がひとつ。

「りんだって、人間までは食わないだろ」

 ココと目を合わせたまま、俺はソファーの前の椅子に向かった。

「‥‥わかったココ」

 階段からふたりの姿が消えるまで目で追ったあと、俺はまた、ソファーを眺めてみた。

 手を伸ばしたままの姿で、寝てやがる。額にしわよせながら。

 俺は、椅子の上に置きっぱなしにしておいた本を手に取って場所を作ると、そこに腰かけた。隅にある掛け時計は、2時を少し過ぎたところだ。


「まぁ、読みかけが3冊もあれば足りるか‥‥」

「こんにちは」

 とびらを開けた私を迎えてくれたのは、しんとした空気だった。

 私がナッツハウスに着いたのは、3時を回ったころ。毎日補習で疲れてるだろうと思って、シュークリームの差し入れ持って来たのだけど‥‥あら? 誰も、いない?

 私は外へ顔だけ出して、ドアの表側を確かめた。

「お休みじゃないわよね‥‥?」

 しんとしてるけど、なんとなくわかる。気配っていうのか、匂いっていうのか。

 確かにいる。そう確信したとき、声が聞こえてきた。

「かれんか? 悪いが、休みの札をかけて上がってきてくれ」

 よく通る、男の人の声。ナッツだわ。

「いいけど‥‥」

 私は手早く作業を済ませた。でも、おかしいわ。ナッツがお店を放ってしまうなんて。

 それに、なんだか言い方が引っかかる‥‥


 階段を上がった先、2階の広い踊り場のような場所。私たちのたまり場に、ナッツがいた。

 いつものように、椅子に腰かけて本を読みながら。

「今日、休みだったの? 」

 ヘンね。本当にいつもどおりだわ。

 と、思ったら、いきなり立ち上がって、

「予定はないが‥‥休みにする。シュークリーム、ココとミルクの分もらうぞ」

「え?」

 私の手からお菓子の紙箱が消えたと思ったら、中身がみっつ、ナッツの手に移ってるわ。

 あっけに取られてる私の前に、指がすっ、と伸びてきた。

「俺たちより、そっちを頼む」

 そっち、って指さされた先はソファー。なんだか難しい顔で、ショートヘアが眠っていた。


「かれんの方がいいだろ、りんも」

 さっき食べ物が出てきてから、どれくらい経ったんだろう?

 目の前のふわふわは、まだふわふわしてるな。

「あ〜あ。おいしそうな大福だったんだけどなぁ」

 ()()()()()はできたんだけど、いきなり消えちゃうんだもんなぁ。その向こうに誰かいたみたいなんだけど、気配までなくなっちゃうし。な〜んか、よくないなぁ‥‥


「なくなっちゃう、か‥‥」


 フットサル同好会も、今日で今年はおしまい。遊んでもいいんだけど‥‥わたしは、ひとりで帰ったんだっけ。

「いつもだったら、のぞみが一緒なんだけどねぇ‥‥ん?」

 あれれ? 言ったそばからのぞみだよ。なんかもや〜っとしてるけど、遠くに間違いなく見えてる。

「お〜い、のぞみ〜!」

 あれれ、聞こえてないのかな?

「のぞみってば〜っ!」

 やっぱり、聞こえてないみたいだ。となりに向かって、楽しそうに話しかけてる。‥‥となり?

「だれ、あれ?」

 言った瞬間に、ぼんやり見えてきた。のぞみのとなり、明るい髪の小さな子。

「うらら?」

 口に出したとたん、ぼんやりが消えていった。

「なに、いまの? ‥‥あ、また」

 ぼんやり見えてきた、のぞみのとなり。楽しそうに耳をかたむけてる、しっぽ髪のひと。

「こまちさん?」

 また消えたとおもったら、またまたぼんやり見えてきた。のぞみのとなり、背筋を伸ばして静かに、でもゆっくり微笑みながら聞いている長い髪。

「かれん‥‥さん」

 みんな、のぞみの方しか見てない。わたしには、気づいてないみたいだ。

 あ、また消えて‥‥また見えてきた。

 のぞみのとなり、包み込むようにからだを沿わせながら、しっかりとうなずいて聞いているひと

「ココ‥‥」

 今度は、ふたりの姿がはっきりしてきた。

 楽しそうに話してるのぞみがいる。ココといっしょに、笑ったり、勉強したり、ちょっとむくれたり、イタズラしそうな顔したり‥‥いろんな表情ののぞみが、となりのココに話しかけてる姿。それが、ゆっくり遠くなっていく。

 ゆっくり、ゆっくり。

「待っ‥‥!」

 思わず口に出しちゃった、けど‥‥でも、わたしには最後まで言えなかった。

 だって、いろんな表情に、イヤなものがひとつもないんだもん。むくれてたって、底の方に笑顔があるんだもん。


「わたしのもんじゃ、ないもんね‥‥」

「のぞみ‥‥」

 静かな中に、ぽつん、と言葉が聞こえてきた。

 ナッツが部屋に入ってから20分。なにもすることがなくて本を読んでいたのだけど‥‥小さな声ひとつで、目が勝手にソファーへ向かってしまうわ。

「わたしのもんじゃ‥‥ないもんね‥‥」

 え!?

 私はびっくりして、思わず本を落としてしまった。テーブルの向こう側には、おでこにしわを刻んだりんが眠っている。

「りん?」

 私の問いかけに応えるみたいに、寝息が返ってきた。

 そういえば、忙しいクリスマスのあとでほっとして、気にしてなかったけど‥‥ここ何日か、りんとのぞみが一緒にいるところ、見てない気がする。

「かれんさん‥‥」

 えっ!?

「私、が、どうかしたの?」

 私はテーブルをから身を乗り出した。りんの顔がゆっくり大きくなっていって‥‥

 そのとき、私の肩に、なにかがさわった。

「なに? ‥‥きゃぁぁっ!?」

 背中にがぐいっ、と引っ張られて、気がついたら目の前がりんの顔で埋まってた。

 一瞬、私はなにが起こったのかわからなかった。けれど、

「かれんさんは、いるんだ‥‥」


 少しの間、息ができなかった。りんの顔、今にも泣き出しそうだったから‥‥

『りん?』

 のぞみたちがいなくなって、白いふわふわだけになったところに、声が響いてきた。

 あ、あれ? ぼんやりだけど、長い髪が見える。

 さっき、みんな消えちゃったと思ったのに‥‥

 わたしはとっさに手を伸ばした。きっと、またすぐに消えちゃうんだろう。そう思ってた。けど、ぐいっと引っ張ったら、きれいな顔が近づいてきた!

「かれんさんは、いるんだ‥‥」

 ああ、これ、夢だ。のぞみも、みんなも消えたのに、かれんさんだけ残るなんて、ありえないもん。

 そっか、夢か。

「わたしね、思ったんですよ」

 夢だね。だったら、何言ってもかまわないや。

「かれんさん、ばかなんだ、って」

 夢だよね、ホントに夢だ。こんなこと普通に言えないし、聞いてくれるわけないもん。

「こないだの約束、とっても嬉しかったんですよ? なのに、そのあとはち〜っともじゃないですか。

 やっぱりひとりで抱えちゃって、わたしんとこには、悩みの『な』の字も持って来やしないんだから。
 わたしに心配させなさいよ、ばかぁっ!」

 まんまるな目をしたかれんさんが、なんだかおかしかった。

 ‥‥えいっ。

「痛っ!」

 私の人さし指が、目の前のりんのおでこに当たった。

 これで起きないんだもの、りんも相当よね。

「ばかはあなたもでしょ。どこに行っても、だれといても、いっつも無理して。口うるさいくせに、弱音だけは絶対言わなくて‥‥マラソンのとき、みんながどれだけ心配したか、わかってる?」

 あ〜、って、りんが口を開けたわ。目はとろんとしてるけど、聞こえてはいるみたい。けど、夢の中なのかしらね‥‥でなかったら、こんなにはっきり言ってくれないもの。

 私は大きく息を吸った。

「私だって‥‥その‥‥怖かったわよ。りんの体がふらぁっ、と揺れてから、しばらく記憶がないもの」

 ひと息で言ったあと、やっぱり顔が熱くなっちゃう‥‥夢の中。これは、りんの夢の中よ、かれん。

「もう。ちょっとは、頼りなさいよ。まったく‥‥」

 目の前の口が、ゆっくり動いてるわ。私の、よく知った形に。

『かれんさん』

 たった一言。知り合った当時、私には『生徒会長』って聞こえていたもの。

『かれんさん』

 でも、いまは違う。りんが呼ぶのは私の名前。私の中に語りかけてきてる。たとえ、皮肉まじりのときにでも。

「かれん‥‥さん」

 ちょっと、ほんのちょっとだけ、うぬぼれても、いい‥‥のかしら?


「のぞみに頼って欲しいんでしょ。だったら‥‥私たち、頼り合えると思わない?」

 りんのおでこから、しわが消えた。

 小さなえくぼが、口もとにできてるわ。今までと違って、ちゃんと笑ってるのよ。

 なんだか、日のひかりを浴びたみたい。暖かくて、ほっとするわ‥‥


「でも‥‥」

 顔を上げたら、現実がそこにある。

 テーブルの上に寝転がってる私と、私をしっかり抱きかかえながらソファーで寝てるりん‥‥はぁ。


「早く起きてくれないかしら‥‥できれば、気持ちよく

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