はしれ!はしれ♪

 木曜日の放課後。クラブ活動のない日の家庭科室は、がらーんとしてとっても静か。――な、はずなのだけど。


 とびらのすき間から覗き込んだら、西日でうっすら赤くなってる家庭科室に、ひとつ動いてる影があった。

 わたしは、音がしないようにとびらを開けて、そぉっと、近づいてみる。

 気づかれないように、そぉっと、そぉっと‥‥

 近づくにつれて、影に色がついてきた。制服の背中で結んだエプロンのすそが、左右にひらひら動いてるわ。

 それといっしょにカチャカチャ、ってボールをかき混ぜる音。ふふ、全然まわり見えてないみたい。‥‥もうちょっと、いけるかしら?

 息をゆっくりにして、わたしはもちょっと近寄った。

 あと少しで、栗色の髪にふれるくらい。そろそろいいかな? じゃ、せぇ、のぉ‥‥

「なに作ってるの?」

「ひ、ひぃぃっっっ!!」

 あらら。ぴょん、っと飛び跳ねて、後ろの流しにはまっちゃったわ。

 やぁだ。そこまで驚くことないんじゃない?

「だ、だ、だっ、誰っっ!! ‥‥って、ほのかぁ!?」

 わたしが、ただにっこり笑っていたら、栗色の髪がぶんぶん振り回された。

「ちょ、ちょっと! なんでほのかが‥‥ってゆーか、どうしてわかったのよ!?」

 わたしは吹き出すの我慢しながら、一枚のコピーを目の前にかざした。はっきり書いてあったりするのよね。『使用時間3時〜5時 美墨なぎさ』って。

「家庭科室の利用届けは、生徒会にもコピーが回ってくるの。知らなかった?」

 ふふふ、頭かかえちゃってるわ。それじゃ、聞かせてもらいましょ

「みんなにないしょで、なに作ってるのかな? な・ぎ・さ?」

「クッキー?」

 誰にもないしょで作っていたもの。その正体を聞いて、わたしはつい声が裏返っちゃった。

 ただのクッキー焼くのに、わざわざ家庭科室使って? わたしや志穂ちゃんたちにもないしょで?

「いやぁ‥‥ほら、ここんとこあっち(・・・)が忙しかったじゃない?」

 あっちって‥‥うん。まぁね。

「それでさ、たまには普通に中学生しようかな、って思っただけなんだよ」

 話してる間、わたしの目は見てくれないのね。でも、その泳いだ目ではっきりわかったわ。


 なぁるほど。

 スポーツの秋。盛んなのは、なぎさのラクロスだけじゃない。もちろん、サッカーだって試合がいっぱい。他校と試合すれば、当然‥‥ね。

 わたしは、グラウンドの方に目をやった。男子部のグラウンドは、周りに人垣が出来てる。色も形もとりどりの制服を着た、女の子たち。

「負けてられないものね

「え? あ!」

 とたんに、なぎさの顔が真っ赤になってく。ふふ、図星でしょ?

「いや、そのね。ええと‥‥だあぁっ!」

 あ、ちょっと、意地悪だったかしら?

「それで、どんなクッキー作るの? やっぱり、ハート型?」

「えっと‥‥だから、そんな‥‥あたしはさ!」

 うふふ、なにあわててるの。そんなのじゃ、負けちゃうわよ?

「‥‥どんなのが、いいのかな?」

 ささやくくらいに小さな声。わたしはちょっとだけ吹いちゃった。こういうときってやっぱり、周りが見えなくなっちゃうものなのね。

「そんなの、簡単よ。なぎさはどう? 練習が終わって、ちょっと何か口に入れたいとき、目の前になにがあればうれしいの?」

 相手だって特別な人、ってわけじゃないんだもの。まずは、自分がほしい物を作るのが基本よね。

「あぁ、そっか‥‥そうだなぁ、」

 まして、同じ運動部なんだから。

「あんまり乾いたのは、ちょっとダメ‥‥」

 なぎさが言い終わる前に、わたしは、お菓子の本をぱっと見せた。開いてるのは、ソフトクッキーのページ。

「それじゃ、はじめましょ♪」

 30分後。わたしの目の前には、クッキーが並んでた。

 しっとりした、ソフトクッキー。ちょっとコゲちゃってるとこもあるけど、なぎさの力だけで作った、なぎさのクッキー。

 その前で、なぎさがじっとクッキー見つめてる。

「大丈夫よ。藤村くん、差し入れもらいなれてるから」

 フォローになってないような気がして、思わず口を手でふさいじゃったけど、なぎさは気が付かなかったみたい。まだ、じっとクッキー見てるわ。

「食べてくれるかな?」

「うん」

 わたしは思いっきりうなずいた。このクッキー見て、伝わらない人じゃないもの。

「喜んでくれる‥‥かな?」

 ちょっとだけ上目遣いで、なぎさがわたしを見た。

「それは、なぎさのがんばり次第よ」

 つい、うなずきそうになったけど、なんとか耐えたわ。これだけは、わたしが言っちゃいけないことだものね。

「よぉっし!」

 パン、って大きな音。なぎさが両手で頬を叩いたんだわ。うん、そうでなくちゃ♪

 エプロンをそっと脱いで‥‥あら、背中で引っかかってる?

「ん? あぁ。このエプロン、ひもが短くてさ。しょうがないから、安全ピンで留めといたんだけど‥‥よし、とれたとれた。
 それじゃ、ちょっと行ってこよっか」

「うん」

 言いながら、わたしはその姿を見守った。

 紙ナプキンで包んだクッキーとスポーツドリンク、小さなポシェットにまとめて入れて、手首にちょん、って下げて。

 持っていくのは、わたしの自慢の友だち。制服姿にピンク色のワンポイントがかわいい。グラウンドの、どの女の子にも負けてないよ、なぎさ

 ――え? ちょっと待って。『ピンク色』!?


 家庭科室のとびらを閉めようとしてるなぎさの後姿を見て、わたしは思わずくらっ、とした。あのまんまで男子部に、なんて‥‥!?

「痛っ!」

 思わずとびらにぶつかりながら開けようとしたら、指が取っ手にはじかれた。開かない?

「戻ったら開けるからさ、ごめん、ほのか」

 あぁっ! 外でつっかえ棒してるのね。‥‥もぉう、こんなときにぃっ!

「待って、なぎさっ!」

「待って、なぎさっ!」

 ほのかの大声が、背中から聞こえる。

 手近にあったホウキで、とびら閉めちゃったもんね。ちょっと、かわいそうだったかな?

 でも、今回だけは別。ほのか、ホントごめん。あとで埋め合わせはするから‥‥


 ガタン、ガタガタガタッ!


 な、なに、この音?

 家庭科室のとなりの教室から聞こえてきた音が、いきなり消えた。しん、とした廊下って、かえって怖いよ。まさか、ドツクゾーンの‥‥?

 じっと耳を澄ませてたら、教室のとびらがガラッと開いた。

「こら! なぎさっ!!」

 ほのかぁ!? なんで? 家庭科室はとなりなのに??

「窓からだって移動はできるわ――いや、それどころじゃないのよ。あ、なぎさ!?」

 ひえぇ! さっさと行かなきゃ!!

 だーっ、と走って校舎出た。やっぱり、あたしの方がほのかより足速いもんね。

 ほのかには悪いけど、今日はひとりで行きたいんだよ。せっかく作ったクッキーなんだから。ほのかの友だちじゃなしに受け取って欲し――

 あぁっ! だめだ、顔が熱くなっちゃうよ。もう、想像だけで恥ずかしくなってどうすんの、なぎさ! これからホントに渡しに行くっていうのに‥‥

「見つけたわ、なぎさっ!」

 わっ!‥‥って、渡り廊下の上か。よし、これなら逃げられ‥‥

「動かないでよ。せぇ、のっ!」

 ぱっ、と窓枠に足かけて、片手でスカート押さえて‥‥うわぁ、お、落ちてきたっ!?

「痛たた‥‥ちょっと、待ってなぎさっ」

 あ、ありえないっ! 変身してないほのかが、ここまでやるなんて。‥‥だめだ、まっすぐ下駄箱に行ったんじゃ捕まっちゃう!

「お〜い、なぎさぁ〜」

「なになになに? なんで走ってんの?」

 ほのか引き離そうと思って体育館の方回ってたら、志穂たちがのんびり歩いてた。

「しらないっ! 後ろのほのかに聞いてぇ〜っ!!」

 もう、構ってられないもんね。それに、ふたりにほのかの足止めしてもらえば‥‥って、なに?

「なぁぎさあぁぁっ! こらまてえぇっ!!」

 ひぇぁ!!志穂たちまで追いかけてきた!?

 ヤバ! あのふたり、絶対どこ行くのか問い詰めてくる―― あーっ!だめじゃん! これじゃほのかよりたち(・・)悪いよぉっ!!

「あたしがいったい、何やったっていうのっ!!!」

「校舎戻っちゃったねぇ」

 志穂ちゃんが息ととのえながら言った。

「学校の中だと、足の速さだけじゃ追いつけないもんね。う〜ん‥‥ね、どこ行ったかって、わかんない?」

 莉奈ちゃんに言われて、わたしはちょっと考えた。

 普通の方法じゃ、なぎさの居場所なんてわかるわけないわ。せめてメップルを連れていれば、ミップルがわかるのだけど‥‥ん? あ、そうだわ!


「なに、これ?」

 わたしが取り出したものを見て、ふたりともきょとん、としてた。

「なぎさ検知器♪」

「へ?」

 それはそうよね。普通考えられないもの。でもね、

「性能は保証つきよ

 実験なら、いままで何度もやってきているものね。

「へぇ‥‥どういう原理なの?」

「ん〜‥‥わたしの、カン、かな?」

「「ふ〜ん」」

 ‥‥これで納得されちゃうっていうのも、ちょっと悲しいわ。わたしって、そんなにマッドに見えるのかしら?

「はぁ、はぁ‥‥ふぅ」

 三階の空き教室は、内側からカギがかかる。たまーにだけど遊びに使うから知ってるんだ。

 あたしは、とびらにカギをかけて、壁によりかかった。ここまで逃げれば、もう大丈夫だよね。あとは、ほのかたちが諦めるのを待って、そぉっと下駄箱に向かえば‥‥


『ホントに、ここ?』

『ええ。それじゃ‥‥』


 あれ? 足元で聞いたような声がするよ。そういえばここって、理科室の上だったような‥‥でも、まさかね。あたしがここにいるなんて、わかるわけない――


 バタンッ!


「なぎさっ!!」

 大きな音と一緒に、床が持ち上がった。そこから出てきたのは、ほのかの頭。

 て、天井突き破ったってのぉ!?

「待ちなさいってば、ちょっと!」

 冗談!待ってられないよ。先輩が帰っちゃう前に、あたしは男子部に行くんだからっっ!!

「止まれ止まれ止まれぇ〜っ!?」

 うわっ、ほのかに続いて、志穂も上がってきてる。

「止まったら捕まえるんじゃないの?」

「あたり前よ!!」

 ひゃぁ、莉奈も?

 なに?なに?何があったっていうのよぉ〜っ!

「ちぇ〜。また捕まえそこねちゃった」

 あたしがそう言ったら、ほのかちゃんが肩をぽん、ってたたいてくれた。

「大丈夫よ、志穂ちゃん。これがあれば、どこにいたって絶対見つけられるわ♪」

 おぉ。ほのかちゃんが燃えている。珍しいなぁ。

「でもさ、見つけてどうするんだっけ?」

 莉奈の言葉を聞いて、ほのかちゃんが両手のこぶし握った。

「取り押さえるのよ! あのまま外に出たりしたら、大変じゃない」

 莉奈、あ、そっか、って顔してる。でもでも、なんか変だよね。うん。そりゃ今のままで男子に見つかったりしたら大変だけど‥‥

「でもでもでも! 走ってたら、そのうち気が付かない?」

 言ったとたん、ふたりの顔がくるっとこっち向いた。

「「なぎさは絶対気が付かないっ!!」」

 ありゃ。ふたりしてハモっちゃってるよ。まったく、なぎさも信用があるんだかないんだか‥‥

「ふぅっ」

 図書室の中はしん、としてた。人はいるけど、おしゃべりするようなのはいないもんね。‥‥ちょっと、一息つこっか。

 テーブルは目立つといけないから、奥の書棚にもたれて。あたしはまたため息ついた。

「それにしても、ほのかってば」

 こんなに怒るなんて思ってなかったなぁ。藤P先輩にあげるのはバレちゃってるだろうし、いっしょに行きたいのだってわからないわけじゃないけどさ‥‥


 キシ、キシ‥‥


 恋愛関係になると、ほのかでもヤジ馬になっちゃうのかぁ。しかたないのかもしれないけど、ちょっと悲しいな‥‥


 キシ、キシキシ‥‥


 それとも、まさかほのかも藤P先輩のこと?どうしよう。もしそうなら、あたしに勝ち目なんか‥‥


 キシキシキシ‥‥


 って、なによ、さっきからこの音‥‥うぁっ!

 いきなり、もたれてた本棚がなくなった。なんとかバランスとったけど、見たらぽっかり穴が開いてる。

「いたいた、いたよぉっ!」

 志穂の声? ヤバっ!

 あたしはこぼれた本をよけながら、なんとかとびらまでたどり着いた。振り返ったら、図書室中パニック状態。さっき開いた穴から、ほのかたちがせり上がってきてるし‥‥ありえない〜っ!

「ほのか! 化学部は学校を秘密基地にでもするつもりっ!?」

「だいじょうぶ! これは、わたしの趣味っ!」

 それじゃなお悪いって! ‥‥あ、でも、これだって、あたしの場所がわかんなきゃどうしようもないのよね。 さっきっから、いったいどうやって、あたしの場所を?

 そう思いながら、校舎うらのほうへ曲がろうとしたら、後ろから声が聞こえた。

「ポポ‥‥なぎさ、右曲がるポポ」

 ポルンの声? ‥‥あぁっ、ポルンの予知能力!?

 え〜い、だったらもう靴なんていい! 上履きのまんまで男子部行ってやるっ!!

「なぎさだめっ! そっち行っちゃだめえっっ!!」

 なんなのよ、いったい‥‥

 ほのかの声を無視して校舎うらから表に出ようとしたら、柵の向こう、男子部に誰か立ってた。

「あれ? 美墨さん、ランニング?」

 え?こ、この声!?

「制服でランニングかぁ。さては、ユニフォーム忘れたな? はは、俺もむかし、やったことあるよ」

 足を止めて顔を上げたら、知ってる顔があった。ふ、藤P先輩っ!

「え‥‥あ、その‥‥」

 ひぃ〜。いざとなると、声が出ないよ。どうしよ、グラウンドに行く前に会うなんて思ってないから、こ、心の準備が‥‥

 あれ? 藤P先輩、なんだか顔が赤い? あたしから目をそらして横向いちゃってるし‥‥あ、あたしの差し入れ、気付いちゃったとか?

 なんだか、余裕が出てきちゃった。うん、いいや。あたしのはあたしのなんだから。

「藤P先輩、あの、これ‥‥」

「なぎさぁ〜っ!」

 あっちゃぁ、ほのかの声だ。追いつかれちゃった。

「あ、藤村くん‥‥あ!!」

 ほのか、あたしの後ろにぴったり貼りついた。

「見てないわね?」

 え?なにが?

 振り向こうとしたら、ほのかの手があたしの顔を前に向けた。あたしに言ったんじゃ、ないの?

「え?」

 藤P先輩、困った顔してる。

「いいから! 見てない、でしょ?」

「え!?あ、あぁ。そう、そうだね。俺は、なにも見てないよ。うん」

 なに?なに?なんなの??

「差し入れはもう渡したのね。じゃちょっと、なぎさ、こっち‥‥」

 藤P先輩から離れた瞬間、腰にほのかの手が回った。ぱさっ、って音といっしょに、なんか腰が暖かくなって‥‥??

「いい、落ち着いて聞いてね」

 ものすごっく真剣な顔だよ。なに言われるんだろ。

「なぎさ、スカートめくれてたの。思いっきり」

 え? ええっ!?

「エプロンのひもが短いからって、安全ピンで留めてたでしょ? 外したときに、間違ってスカート留めちゃってたのよ。気付かなかった?」

 あ、そういえば、そんな気も‥‥っていうか、っていうかっっ!!

「なんで言わないのよっ!」

「なぎさが逃げるからでしょ!? 遠くから叫ぶわけにいかないじゃない。『スカートめくれてるーっ!』なんて」

 あ、それじゃ、藤P先輩が赤くなってたの‥‥!

「うわ、うわーっ、うわぁ〜っっ!!」

 ど、どど、どーしよ! あぁ、もう顔なんか会わせられない。クッキーだってもう‥‥っ!

「落ち着いてよく見て。藤村くん、なにしてる?」

 見て、ったって‥‥あれ? あたしのクッキー、食べてる。おいしそうに、食べてる!

「藤村くんが、見てない、って言えば、見てないの。安心した?」

 そっか。だから藤P先輩に食ってかかったんだ。ありがと、ほのか。親友でよかったよ。

「わたしはずっと見てたけど、ね


 ‥‥いまの言葉、聞かなかったことにしよ。親友でいるために。うん。

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