さらさらのながれ

 チョコって言葉にうんざりしちゃう日が過ぎると、ほんのちょっとだけ、あったかくなった気がするな。

 そんなこと考えながら、わたしはエアコンのスイッチを入れた。

 エアコンの風に吹かれながら教壇まで戻って、黒板に背を向ける。がらん、とした理科室の中、みんな前の方に集まって、わたしを見てた。

 すぐ近くで、カツ、カツ、ってチョークの音。それがパン、パン、って粉を払う音に変わってから、

「ほのか、いいよ。進めて」

 ユリコの声に押されて、わたしは軽く息をはいた。

「それじゃ、はじめます。今日の活動は、毎年恒例の卒業生送別会について‥‥」

 化学部の卒業生送別会は、他の部みたいな、普通の飲み物とお菓子のパーティとはちょっと違う。1年はちょっと面食らっちゃうかもしれないな。わたしたちも去年はそうだったし。

 ひと通り説明はしたけど、それだけじゃわからないわよね。さぁ、それじゃ1年と2年でペア組んで、始めましょうか――

「ちわ〜。ほのかいる?」

 ――っていうときになると来るのよね。なぎさって。

 思わず教壇に突っ伏しちゃった顔を上げてみたら、みんなして苦笑い。化学部のみんな、なぎさのことすっかり慣れちゃったみたいね。

「はいはい。今日はどうしたの?」

 わたしがそう言いながら理科室のとびらに近づくと、目の前におっきな袋が出てきた。

「はい。差し入れだよ」

「差し入れ?」

 ぱんぱんに膨らんだ買い物袋がひとつ、ふたつ。その脇から志穂ちゃんが出てきて、全部でみっつ。ふたりで教壇の上にドンっ、と置いて。

 みんながあっけに取られて見てる中、なぎさが袋をひっくり返して‥‥あらら、すごいわ。あっという間にお菓子の山ができちゃった。

「どうしたの、これ?」

 教壇からこぼれそうになったお菓子を、山の上に積みなおしながらのユリコの声も、なんだかあきれてるわ。

 でも、なぎさは平気な顔で、

「さっきまで、ラクロス部で先輩の送別会やってたんだけどね」

 あら? なぎさの後ろで、志穂ちゃんがしのび笑いしてる?

「こら、笑わない。‥‥要はお菓子を買いすぎて、余っちゃったわけよ。でね、化学部からはドリンクとかよくもらってるから、たまには返そう、ってことになってさ」

 教壇の上をながめながら話を聞いてて、吹き出さないようにするのに苦労しちゃった。だって、半分くらいチョコなんだもの。余らせたのって、きっとなぎさのせいね。

「別に気にしてないけど‥‥うん。それじゃ、ありがたく頂きます
 みんな、お茶しながら進めましょ。なぎさも寄ってく?」

 言ったとたん、志穂ちゃんが耐え切れずに吹き出しちゃった。

「あ、あはははは、遠慮しとく。じゃね」

 あぁ、ふたりして逃げるみたいに行っちゃった。ちょっと、いじわるだったかしら?

 まぁ、いいわ。お茶菓子もたっぷり補給できたことだし、お茶にしましょ。

「だれか、ほのか(ぐら)から紅茶出してきて」

 ユリコが言うのと同時にひとり、理科準備室に走って行った。ほのか蔵――わたしの薬品置き場のあだ名も、ほんとに定着しちゃったな。このままだと、来年の新入生にもそう呼ばれるのかしら?

  ‥‥やめましょ。ちょっと頭が痛くなってきたわ。

「それじゃわたし、お水汲んでくるわね」

 気を取り直して、大きなビーカー抱えながら理科室出て行こうとしたわたしに、背中から声がかかった。

「水? ここに()()()あるじゃない」

 ポリタンク指さして、きょとんとしてる目。わたし、急に肩が重くなったような気がするわ。

「‥‥純水で紅茶飲むのって、きっとあなただけよ。ユリコ」

 カチャ、カチャン‥‥


 静かな廊下で台車を押してると、からっぽのビーカーが軽い音をたてた。

 料理部にお水を分けてもらうつもりで持って行ったのに、ペットボトルで持たせてくれるなんて、なんだか悪いみたい。

 それにしても、料理部のみんなの目、ちょっと変だったわね。かわいそう、っていう感じの目‥‥やっぱり、台車はちょっと大げさすぎたかしら?


 あら? 理科室の方がにぎやかね。また、ユリコがなにかやってるのかな?

 そんなこと考えながらとびらを開けたら、化学部のみんなが一斉にわたしを見た。

「ほのか、ほのか。ちょっと見てよ、これ」

 真ん中の大きな実験机に集まったみんなの中から、ユリコが手を振ってるわ。

 台車をちょっと端によせて、ユリコが指さしてるもの見てみたら‥‥なんだ、さっきのお菓子じゃない。

「これが、どうかしたの?」

 そう言いながら顔を上げようとしたわたしの肩をユリコがぽんぽん、ってたたいて、

「まぁ、見てて。これと、これと‥‥ほら、これもそうじゃない?」

 そう言われて、よく見てみたら‥‥あ、メッセージカードが半分ついたままになってるわ。カードに書いてあるのは『‥‥ぎささま』。うん、間違いないわね。

 また顔を上げて、うなずいた。顔が勝手にほころんできちゃう。

 バレンタインは大変だったものね、なぎさ。さすがに下駄箱には入ってなかったけど‥‥机の上に、中に、部室のロッカーに、って。カバンひとつくらいじゃ収まらなくって、わたしの白衣入れまで使って持って帰ったんだから。

 なるほどね。だから志穂ちゃん、笑ってたんだ。
 ちょっとため息出ちゃうな。そんな言いわけしなくっても、みんな喜んで食べるのにね。

 机の方に目を移すと、みんながお菓子の山をより分けてた。カードがついてたらしいチョコと、それ以外のに。
 チョコの方は、なぜだかわたしの目の前に積まれてく。‥‥まさか、わたしに全部処理しろ、なんて言わないわよね?

 それにしても‥‥目の前のチョコの箱をひとつひとつ開けてたら、思わず笑い出しそうになっちゃった。みんな一個づつ足りないの。大きなチョコは端っこちょっとだけ欠けてる。ほんとになぎさらしいわ。

「あ、これなんか、手作りみたいだよ」

 お菓子の山の中からユリコの声がして、わたしの前にまたチョコが増えた。ほんと、ラッピングもちゃんとしてる。ちゃんと‥‥ん?ちゃんと、しすぎてる?

 そぉっと開けて、中を見た。やっぱり、これは欠けてないわ。それにしても、この包みって見覚えあるのよね。たしか、つい最近。えーっと‥‥

「!!」

 声が出そうになって、思わず口を押さえて周りを見た。だれも気づいてないのを確かめてから、また箱を開けてよく見てみる。ちょっとデコボコしたハート型のチョコに、ピンクのコンペイトウつき――

「あれ? ちょ、ちょっとどこ行くの、ほのか!?」

 理科室飛び出したわたしの背中を、ユリコたちの声が追いかけてきた。けど、構ってなんかいられないわ。


「‥‥やったわね、なぎさっ!!」

 ラクロス部の部室って、人がいないと広いんだなぁ‥‥

 すみっこのパイプいすに逆向きに座りながら、あたしはなんとな〜く部室見回しちゃった。

 理科室に大荷物置いて戻ってきたら、部室はもう空っぽ。テーブルの上に1枚、莉奈のメモがあっただけ。『あかね先輩んとこで2次会。はやくおいでー』だって。で、行こうと思ったら、なぎさはとっとと帰っちゃうんだもん。

 はぁ〜あ。なんだかなぁ。行く気が失せちゃったよ。ほんと‥‥

「ちょっと、なぎさっっ!!」

 ひぇっ! なに? いきなりドアがすごい勢いで開いて、でもって‥‥ほのかちゃん!?

「どしたの、いった‥‥いぃっ??」

 うわっ、うわっ、うわわっ! ほのかちゃんの目、ジロッ、って音が聞こえてくるみたい。こわいよ、ちょっと!

「あ、ああ、志穂ちゃん。なぎさ、いないの?」

 ‥‥ふぅ。いつもの目に戻った。もう、どうなることかと。で、と。

「えと、なぎさ? なぎさ、帰っちゃったよぉ。二次会あるってのに、いっきなり‥‥」

 言ってる途中で、思わず息飲んじゃった。目は普通のままなのに、すっごいこわい雰囲気。

 なぎさ、理科室出たときからなんか変だと思ったけど‥‥こりゃ、逃げたんだな。もぉ、いったいなにやったのよぉ〜。

「ごめん志穂ちゃん、ユリコに伝えてくれる? 今日は帰るって!」

 ほの‥‥あ、あ〜あ。走ってっちゃった。しょうがないなぁ。理科室行ってこよっか。

「すみませ〜ん、うちのほのか来てませ――うわっ!」

 開きっぱなしの部室のドアをくぐろうとしたら、目の前いっぱいにユリコちゃんの顔。もう少しでキスしちゃうとこだよ。

「あ、ああ、久保田さん。ごめん!」

 あ〜もう、そろいもそろって、なーにやってんだろね。化学部は。

「はいはいはい。ほのかちゃんなら、いま出てったよ。『今日は帰る』って伝えて、ってさ」

 あきれ半分でそう言ったら、ユリコちゃん、その場に座り込んじゃった。

 ほんと、なにやっちゃったんかなー、なぎさ。ほのかちゃんが、あんなになるなんて‥‥
 そりゃ、バレンタインのあまり持ってったの、ちょっとはまずいかなー、とか思ったけどさ。そのくらいで、あーはならないよねぇ。

「‥‥ねぇ、久保田さん」

 考えてたら、下のほうから声がした。あたしを見上げてるユリコちゃん、なんだか口元が笑ってる?

「化学部の卒業生送別会の練習さ、ちょっと手伝って欲しいんだけどなー」

 立ち上がりながら、目元まで笑い始めちゃった。前に見たことあるよ、これ。ニヤニヤ、って感じの‥‥

「たしか、服作るの得意な子に知り合いいたよね? それで、なんだけど‥‥」

 だれもいないってのに、あたしの耳元に口寄せて、こそこそなんて‥‥ん? んん?? んんんっ!?

 あたしから離れたユリコちゃん、顔ぜーんぶニヤニヤになってる‥‥んーにゃ、あたしもきっと、おんなじ顔してるはずだね。

「おっけおっけおっけ! 志穂サマに、まっかせなさ〜い☆」


 ふっふっふ。な〜ぎさ、覚悟しなさいよぉ〜っ♪

「すぅ‥‥はぁ」


 『美墨』の表札のあるドアの前で、わたしは深呼吸した。

いつも見てるドアが、なんだか大きく見えるわ。

 カバンの中をもいちど見てみる。ラッピングしなおした、あのつつみ‥‥うん、よし。それじゃ、聞かせてもらうわよ。なぎさ。


 ピンポーン‥‥


 チャイムの音がゆっくり小さくなってくのといっしょに、パタパタ、って音が大きくなってきた。

「すみません、雪城ですけど、なぎささん‥‥」

「ほ、ほのかぁっ!?」

 顔を上げたら、ちょっとだけ開いたドアのすき間から、フリースにパンツ姿のなぎさが見えた。

「ちょっと、上がっていっていい?」

 笑顔のままでいるの、けっこう苦しいな。でも、がまんよ、ほのか。

 ほら、引きつった顔のなぎさが、ため息つきながらドア開けてくれたわ。とりあえず、わたしの勝ちね。

 それにしても、静かね。だれもいないみたい。

「お母さんは買い物、亮太は友だちと公園。いま、うちにいるのはあたしだけだよ」

 あら、読まれちゃったわ。なぎさの部屋に行く途中、キョロキョロしすぎちゃったかしら。

 部屋に入ったとたん、なぎさがおっきなため息つきながら、

「それで、ほのか。用事は?」

 ぽいっ、と飛んできたクッションと同じくらい、投げやりな言い方。ちょっと気になるけど‥‥でも、訊かないわけにはいかないわ。

 テーブルの前にクッション置いて座ってから、わたしはカバンの中から、あのつつみを取り出した。そっとラッピングをはずして、中身をだまってテーブルの上に置いて。向こう側に座ったなぎさの目をじっと見つめてながら、ひとことだけ。

「‥‥どうして?」

 そのまま、きゅっと口むすんだ。開いたら、爆発しちゃいそうだったから。

 もう一度、チョコを見てみる。このラッピング、このコンペイトウ。わたしが間違えるわけないわ。なぎさといっしょに選んだんだから。

 間違いない。これはなぎさが作った、この世に一つしかない手作りチョコよ。だから、

「‥‥どうして?」

 ただ渡せなかっただけなら、なにも言わないわ。でも、どうして? どうして、ほかのチョコにまぜたりするの?

 顔を上げて、またなぎさの目を見‥‥ようとして、はっとした。なぎさ、口をきゅっとむすんだまま、下を見てる。困った顔じゃなくて、わたしと同じ。爆発するの、おさえてるみたいな顔だわ。

 目の中を覗き込もうとしたら、なぎさがポケットに手を入れた。そこからゆっくり取り出したもの‥‥それを見たとたん、わたしは血が凍るかと思った。

 それは、なぎさのと色ちがいのラッピングの箱。貼ってある小さなラベルには『藤村くんへ』
 ――うそ。なんで、ここに‥‥!?

「掃除してるときさ、ほのかの机に足引っ掛けちゃって。そしたら、これがこぼれてきたんだ」

 なぎさの声が、すごく遠くに聞こえる。‥‥ああ、わたしってなんてバカなんだろう。教室に、置きっぱなしにしちゃうなんて!

「あげてないのは知ってたんだよ。バレンタインの朝、藤P先輩に聞いたから」

 え!?

「『ほのかは休みなの?』って訊いてきた先輩、寂しそうだった。
 『あいつも、もう本命にしかあげなくなっちゃったんだな』って言ってさ。『いつかそうなるとは思ってたけど、ちょっと残念かな』なんて言って‥‥なのに!」

 ドンッ! ってテーブル叩く音と一緒に、床がゆれた気がした。

「『どうして』? どうして、って訊きたいのは、あたしの方だよっ!!」

 目の前にカードのついたチョコが突き出されてきて、思わずわたしは目をつむった。なぎさ‥‥

「見たくない? だったら読んだげるよ、カードになんて書いてあるか」

 思わず、両手で耳をふさいだ。なぎさ、もうやめて‥‥

「『藤村くんへ』の下にある、この文字! なにさ、『今年はパス』って!?」

 おねがい、なぎさ‥‥っ!

「またどうせ、これがあたしのため、とか思ってんでしょ? ひとりで勝手にさ」

 ‥‥そう、またよ。また、わたしはひとりよがりなのよ。キリヤくんに言われて、気づいたはずなのに。なぎさと付き合っていて、わかったはずなのに。

「先輩がどんな気持ちになるか、なんて、わかってないんでしょ?」

 みんな、いなくなっちゃった。キリヤくんも、ミップルも、プリキュアだったわたしたちも。

 わたしが、変われないから? いつまでも、ひとりよがりだから?

「あたしがそれ聞いて、どんな気持ちになるか‥‥わかりもしないくせにぃっっ!!」

 あぁ、みんないなくなっちゃう。1年前に戻っちゃう。

 でもわたしは、なぎさに出会っちゃった。ミップルに出会っちゃった。キリヤくんに出会っちゃった。

 もう戻れない。わたしを、本当に見てくれるひとのいない場所には、もう‥‥

「ほのかなんて、ほのかなんて‥‥っ!!」

 開けた目の前で、なぎさの顔が、ゆらゆらゆれてる。ゆれながら、だんだん消えてゆくわ。いや‥‥ひとりは‥‥

「わたし‥‥ひとりに、しない、で‥‥」

 言葉がこぼれた瞬間、からだに痛みが走った。

腕が動かない。頭をふって涙を飛ばしたら、最初に見えたのは茶色の髪。


「できるわけないでしょ! ばかあっ!!」

 なぎさがわたしにしがみついてる。テーブルを乗り越えて、胸に頭を押しつけて、わたしの腕ごと、痛いくらいに。


 まわりの色が、ゆっくり、オレンジに変わってゆく。

 目の前にある髪の色も、ゆっくり、ゆっくり変わってゆく。


「な‥‥ぎさ?」

 呼びかけてみたら、頭がぴくっと動いた。

「ほのかのそういうとこ、あたしは嫌いだよ。大ッ嫌い!」

 体が勝手に逃げちゃいそうになる‥‥けど、1ミリも後ろに動けなかった。しがみついた腕に、力が入ったんだ。

「でもさ、それだってほのかの一部なんだから、しかたないじゃない。
 ‥‥1年前とは違うんだよ? ほのかを知らなかった頃には、もう戻れないんだから」


 もう、戻れない――


 なぎさの言葉といっしょに、ときが流れてゆく音が、聞こえてきた気がした。さらさら、って。

 そうよ。わたしもなぎさも、流れてきたんだわ。さらさら、さらさら。戻れないくらい、こんなに遠くにまで。

「だから、あたしは賭けてみたんだ」

 わたしはただ黙って、なぎさの声を聞いてた。からだはもう、勝手に逃げたりしない。

「もし、お菓子の山からあのチョコ見つけ出して、あたしンとこどなり込んできたら、思ってること全部ぶつけてやれ、って。
 もし、見つけられなかったら‥‥あたしはなにも見なかった、なんにも知らなかったことにしよう、って」

 わたしにしがみついたまま、なぎさが顔を上げた。

「びっくりしたけど、嬉しかったぁ。ほのかが来てくれて。
 夜に電話でくるかなー、とか思ってたのに、こんなに早く乗り込んでくるなんてね」

 くしゃくしゃになった笑顔が、すごくきれい。思わずドキドキしちゃうくらい。

 じっと顔を見つめながら、ちっちゃく『ごめんね』って言ったら、なぎさが頬をかきながら立ち上がった。わたしのカバンをちょっと開けて、

「ほ、ほぉら、やっぱり。お泊りセットしっかり持ってきちゃってさ。
 ‥‥どうする? 泊まってく?」

 わたしは、自由になった手でハンカチを取り出して、涙をぬぐった。

 目からハンカチが離れる瞬間、また、ときの流れる音が聞こえたような気がした。さらさら‥‥もう、戻れないんだよ、って声のような、音が。


 戻ったりしないよ。もう、絶対。


「うん。おばあちゃまには、ちゃんとことわってきたから」

 笑えたわ。自分でも不思議なくらい、にっこり。
 もう大丈夫。きっと忘れないから。戻れないこと、忘れないから。

「そっか。今夜は、帰さないよ‥‥な〜んて」

 なぎさがわたしの両手をとって、目をじっと覗き込んでる。ふふふ。これが()にもできたら、ね。


 カラン‥‥


 あら? なにか、ものが落ちた音?

 音の方を見たら、びっくり顔の亮太くんが固まってた。

「ほ、ほのかさんが、ほのかさんがお姉ちゃんと‥‥そんなっ!!?」

 なぎさが大あわてで飛び出していった。いままであんな顔してたのに‥‥なんだか、おかしい☆

「ちょ、ちょっと待った亮太! 勘違いするんじゃないのっっ!!
 ほら、ほのかも笑ってないで、なんか言ってやってよ!」

 お姉ちゃんな顔のなぎさ見てたら、ちょっとイタズラしたくなっちゃうわ。

「ふふふ。亮太くん、わたし、いいお姉さんになれると思う?」

 わたしが言ったら、手足ばたばたしてる。なんか、かわいい。

「でも、なぎさもわたしも女の子どうしだから‥‥残念。お姉さんにはなれないかなー」

 あ、目が飛び出すくらいおっきくなってる。なぎさが肩つかんでゆすってるわ。‥‥ちょっと、やりすぎちゃったかな?

「もぅ、ほのかっ!これ以上誤解ふやしてどーすんのよっっ!!」

「電気、消すよぉ」

 パジャマに着替えたわたしが、なぎさのベットの奥に入るのといっしょに、ぱっと照明が消えた。

 窓の方から、街の明かりがぼんやり入ってくる。

 その中に、ふぅ、ってなぎさの疲れた声。あのあと、なぎさのお母さんに絞られちゃったものね。わたしも一緒に、だけど。

「よいっ、せ、と」

 クッションをすこしよけて空いた場所に、冷たいからだがもぐりこんできた。

「さむいね。でも、ま、ふたりだから」

 ふたりだから。‥‥なんだか、顔がゆるんじゃうわ。ふたりだから、ひとりじゃないから、すぐにあったかくなるのよね。

「そういや、ほのか。あんなに早くうち来ちゃって、化学部はだいじょぶなの?」

 いきなり言われて、思わず、あっ、って声が出ちゃった。

「なぎさのチョコ見たら、頭に血がのぼっちゃって‥‥まぁ、ユリコがいるし、練習くらい、まかせても大丈夫だと思うわ」

「ふ〜ん。でもさ、送別会の打ち合わせでしょ? 練習って、なにすんの?」

 あら、本当に不思議そうな声。‥‥そうね、これは、説明しないとわからないわよね。

「化学部の卒業生はね、みんな、なにかの衣装を着なくちゃいけない決まりなの。その上から黒い布を羽織ってね」

 わたしは、去年の送別会を思い出してた。びっくりしたものね。

「でね、卒業生どうしが手をつないだ瞬間に、在校生が布を取るの。卒業生は、下に着ている衣装のとおりに振舞いながら、理科室を出てゆくのよ」

「へ、変なきまりだねぇ?」

 わたしは思わず、くすくす笑っちゃったわ。そう、去年わたしも、おんなじこと言ったわ。でも、

「部員をお薬に見立ててるのよ。入部したひとは、みんなと触れ合って――化学反応を起こして、新しい姿で巣立ってゆくの」

「へぇ‥‥そっか」

 なぎさの声が、すこし、甘くなってる。うん。これも、流れだものね。元に戻れない‥‥戻らない、流れ。

「けど、みんな面白がる方が先よ。どんな組み合わせでも、その通りに振舞わないといけないから‥‥看護師さんと吸血鬼とか、すごかったんだから」

 となりで、くくくっ、って、がまんしきれない笑い声。まぁ、気持ちはわかるけど。

「そんなに笑わないでよ。なぎさの方こそ、今日は二次会サボっちゃったんでしょ? 平気?」

「気にしてなかったなぁ。志穂も一緒だったし‥‥」

 うん、わかるわ。なぎさも、わたしのことでいっぱいいっぱいだったのよね。でもね。

「志穂ちゃんとはラクロス部の部室で会ったけど、なんだかぼーっとしてたわよ。やっぱり、なぎさが心配だったんじゃない?」

 あらら、なぎさがちょっと口とがらせちゃった。

「そんなこと言ったら、化学部のあの子だってそうじゃない。ほのかがいきなり理科室抜け出して、心配しないわけ‥‥」

 その瞬間、なぎさもわたしも起き上がって顔を見合わせちゃった。ユリコに、志穂ちゃん? この、組み合わせって‥‥

「‥‥な、なんか、今日は寒いね」

「そ、そうね。背中がちょっとね」

 なぎさと向かい合わせになって、ふとんいっぱいかけて、暑いくらいなのに‥‥なんだかまだ、背中が寒かった。

 次の朝。わたしたちは、いつもより早めに学校に向かった。

 なぎさのお母さんが、なんだか感激してたみたい。雪城さんがいつも泊まっていれば楽なのに‥‥って。

 それを聞いて、わたしは影で手を合わせちゃった。ごめんなさい、別にわたしだから早いわけじゃないんです。

 気のせいだとは思うのだけど、なんか、いやな予感がしたから。それも、ふたりそろって。



「おっはよぉっ!」

 教室のとびらを開けた瞬間、わたしはそのまま帰りたくなったわ。

 だって、クラスの全員がこっち見てるんだもの。いつもより30分は早いのに!

「ど、どうかしたの?」

 周りに声をかけようとすると、すっ、と逃げちゃう。やっぱり、変だわ。

 いちど体制を整えよう、と思ってとびらの方に振り向いたら、

「ど〜こ行くのかな? ほのか?」

 顔を上げると、いつものメガネがあった。――ユリコ?

「どうしたの、クラス間違えてるわよ?」

にっこり笑うユリコの顔をじっと見てたら、

「ど、どしたの、志穂?」

 あら、後ろの方で、なぎさも同じような声出してるわ。

 パチン、と指を鳴らす音でまたユリコの方に向き直ったところに、脇から京子ちゃんが出てきた。

 両手に、タキシードの上下をかかえて‥‥

「送別会の練習さぁ、やっぱ見本がいるのよね〜。ちょぉっと、やってみて♪」

 にこにこしてるけど、わたしにはわかる。ユリコ、本気だわ。

「な、夏子、それ、って!?」

 なぎさの声がふるえてる。また振り返って見てみたら、その先には純白の‥‥ドレス!?

「なに言ってんの。タキシードの相手ったら、ウェディングに決まってるっしょ?」

「うそだ〜っ! そんな()フリフリな‥‥着るだけで恥ずかしいウェディングドレスなんてあるもんかっっ!!」

 こっちも、志穂ちゃんの目が本気だ。えっと、味方は‥‥

「は〜い、それじゃ、みんな協力よろしく〜っ♪」

 ユリコの声に、こそこそっ、って、普段おとなしい真由ちゃんまで近くに寄ってきてるわ。ユリコの顔がにや〜って‥‥これってまさか、桜組全員!?

「みんなみんなみんな〜っ、ふたりとも、()いちゃえ〜っ

 ちらっ、と見た先、なぎさが机に手をかけて、ちっちゃくうなずいてる。‥‥うん。

「せぇ、」

 小さな声を出したら、

「のぉ、」

 なぎさが応えてくれる。

「「せっ!!」」


 ゴロガタタンッ!!


 すっごい音たてながら倒れた机の周り、みんなが声上げて避けてるわ。よぉし!

「それっ!」

 ユリコの脇に飛び込んで、わたしはそのまま教室からころげ出た。

 振り向かないで走り出す。後ろなんか、見なくたってわかるわ。息の音だけで、十分。

「それで、どうするの? もうすぐ先生来ちゃうわよ?」

「逃げれるとこまで逃げる。つかまったらそのときよ。
 なんだったら、いっしょに先生のまえ横切ったっていーよ?」

 言いながらわたしの前に回ってきた栗色の髪が、くるっと振り向いた。

「ね、ほのか。ひとりになんてなれないでしょ?」

「そうね」

 後ろをちらっと見たら、一斉に追いかけて来てるわ。桜組のみんなも、ユリコも。

 そして‥‥目の前には、なぎさ。


「当分は、ね

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