やわらかみどりなそらのした

 5月の風は、匂いがするわ。

 目をつむって、両手を組んで。すぅっ、と息を吸い込むと、まずやってくるのは草の匂い。それから若葉と、あと‥‥

「ひかりの匂い‥‥」

「はい?」

 あら? すぐ近くから、びっくりした声?

 ぱっ、と声の方に向いて目を開けたら、目の前いっぱいに顔があった。飛び出しそうな目をした、三つ編みの女の子。

「え、えっと‥‥においますか?」

 お手伝い姿のひかりさんが、エプロン持ち上げてクンクンかいでる。――いっけない!

 思わず席から立ち上がろう‥‥としたのだけど、できなかった。

「だーいじょうぶ。ひかりのは、ソースとシロップの匂いだよ」

 テーブルの向こう側から、わたしの肩を押さえたなぎさが、わたしにむかってウィンクしてる。

「でしょ、ほのか?」

 わたしがうなずいたら、ひかりさんが息をついた。ふぅ、助かったわ。なぎさって、ほんとによく見てるのよね。

 わたしは、なぎさにちょっと目くばせした。なぎさも、わたしにだけ見えるようにちょっと手を上げて、目で返してくれる。

 『ごめん、ありがと』『いいって、気にしないの』‥‥うふふ。声を出すより、ことばが聞こえてくるみたい、ね。

 そんなこと考えてたら、ぴょこん、ってテーブルの上になにか飛び出してきた。

「ポルンもおなじポポ☆ ポルンもひかりと同じにおいポポ♪」

 思わずばっ、と立ち上がったら、とたんに目の前が暗くなった。なぎさも一緒に立ち上がって、テーブル隠してくれたのね。

「あんたは、ただベタベタ甘〜くて粉っぽいだーけ。まーたひかりのジャマしてたんでしょ?」

 あきれた。隠しただけじゃなくて、ぴょんぴょん跳ねてるポルンをあっという間に捕まえちゃってるわ。

 なぎさはそのまま、ぶすっ、とした顔でポルンをひかりさんに渡してる。はぁ、やっぱり、わたしより慣れてるな。

「あ、さっき、クレープ用の粉がかかっちゃったから‥‥ちょっと、きれいにしてあげてきます」

 ひょいっ、とポルン抱えてポシェットに入れながら、ひかりさんがバンのほうに戻ってく。そのうしろ姿を見ながら、わたしたちは同時にすとん、っと腰をおろした。

 となりでも、スカートが一緒にふわっ、と広がる感じ。‥‥なんだか不思議な気分ね。

 ひかりさんがバンに戻ってしばらく、テーブルは静かだった。

 風はゆっくり流れてて、みどりとひかりの匂いがまた、ふわっ、とやってきてる。

「ほのか、さっきなにぼ〜っとしてたのよ」

 風といっしょに、なぎさの声もふわっ、とやってきてて‥‥わたしの口から、自然に言葉がこぼれ出ちゃった。

「うん。ちょっと、旗のこと考えてて‥‥」

 そこまで言って、しまった! って思ったけど、遅かったわ。

 顔を上げたら、なぎさがむすっ、とした顔でわたしを見てるんだもの。

「え、あ、えっと‥‥」

 なんて言おうか迷ってる間、なぎさはわたしの顔をじーっと見てた。けど。

「‥‥はぁ。かなわないなぁ、ほのかにはさ」

 うつむいて、ため息ひとつ。そのまま、目だけでわたしの顔を見上げてる。

 ちぇっ、って声が聞こえてきそうな、なぎさの顔。それを見ながら、わたしは昨日の電話を思い出した。

 そうよ。ほんとだったら、今日は図書館に行くつもりだったのだもの。相談があるから、ってここに呼び出したのは、なぎさじゃない。それなのに、テーブルに座ったっきりな〜んにも言わないから、つい目をつむって、余計なこと考えちゃったのよ。

「それで? なぎさの相談って、やっぱり‥‥」

 机から上げた顔が、ほんのり赤い。いつもと違うなぎさだわ。

 そうよね。そもそも、着てる服からして、いつものなぎさじゃないんだもの。上はちょっとフリルっぽいブラウスに、薄い草色のカーディガン。下は‥‥

「そんなに見なくても、わかってるって」

 あぁ、またむくれちゃった。世話が焼けるわねぇ。

「だれも、なんにも言ってないでしょ?
 ‥‥言ってほしいのなら、ちゃんと言うわ。似合ってるわよ、ピンクのフレアスカート」

「言わないでって! 仕方ないでしょ、お母さんがみんな洗濯しちゃって、これしかないんだからっ!!」


 キーン‥‥


 あ、痛たたた。ちょっとは覚悟してたけど、きたわね、これは。

 もう、そんなに恥ずかしがるくらいなら、最初から用件だけ言えばいいのに。

「じゃ、もう言わないから。相談はなぁに?」

 耳を軽くたたきながら、にっこり笑って応えてあげる。なぎさの顔が真っ赤になるまで3秒。これって、ちょっとした記録ね

「いや‥‥だから‥‥ええい、もう! そうよ。旗だよ。旗っっ!!」

 はいはい。やっと言ってくれたわ。もう、どれだけかかってると思ってるのかしらね。

 旗。いま、わたしたちが『旗』って言ったら、ひとつしかないわ。もちろん、この前作ったあの旗のことよね。

「あ、藤村先輩の応援の旗、ですね?」

 ばっ、とふたりして顔を上げたところに、またひかりさんがいた。お水の入ったコップをおぼんにのせたまま、にっこり笑ってわたしたちを見つめてる。

 最悪のタイミングだわ。早く耳をふさがなきゃ‥‥

「だ〜っっ!! ひかり! そんな大きな声で言わないでよっ!!」

 ‥‥あぁ、間に合わなかった。頭がくらくらするぅ。

「ご、ごめんなさい‥‥」

 わたしは思わず、ひかりさんをにらんじゃいそうになったけど、なんとかおさえたわ。別に、彼女が悪いわけじゃないんだものね。

 それじゃ、ひとつ息すって‥‥よし。

「な・ぎ・さ?
 ん、もぉ。ひかりさんに当たらないで。なぎさの問題でしょ、これは?」

 あ〜あ、言ったとたんに、むくれちゃってる。困ったわねぇ。

「ん〜‥‥そう、なんだけど、さぁ」

 そんな訴えるような目で見ないでよ。となりで、ひかりさんも困った顔してるし。もぅ、子犬にかこまれてるみたいじゃない。

「とにかく、座って。ひかりさんも、忙しくなかったら座ってくれる?」

 ひかりさんのおぼんを手からはがしながら、わたしは素早くふたりに視線を送った。

 それだけで、ふたりともおとなしく座っちゃう。ちょっと複雑な気分だわ。わたしの目つきって、この1年でそんなに悪くなっちゃったのかしら‥‥?

「え、えーと‥‥ほのか?」

 あぁ、いけない。目の前でふたりとも、わたしの顔色うかがってる。それじゃ、またひとつ息すって、と。

「さ、なぎさ。相談をどうぞ? 旗が、どうかしたの?」

 できるだけ、にっこり笑ったつもりなんだけど。なぎさは目をそらして、わたし見てくれないわね。

「あ‥‥ん、とね、その‥‥ほのか、預かってくれないかなー、って‥‥」

 顔を両手でつかんで、無理でもこっち向かせようかしら? って思った瞬間、やっと消えそうな声が聞こえてきたわ。

「預かるって‥‥?」

「だから、旗‥‥を、さ」

 旗。藤村くんのサッカー試合を応援するために、なぎさが作った旗。たったひとりのために、誰の手も借りずに、ひとりで作った旗――はぁ。

 思わずため息ついちゃったじゃない。まったく、なぎさったら‥‥

「な、なんか、家に置いとくと、見つかっちゃいそうでさ」

 また真っ赤になった顔見てたら、もう苦笑いしか出てこないわ。

「見つかっちゃ、いけないんですか?」

 横からひかりさんも、けっこう追い詰めてる。彼女の場合、全然そのつもりがない、っていうのが怖いところよね。

「おかあさんに見つかったら、なに言われるかわかんないよぉ」

 ふぅ。

 もひとつため息ついてから、なぎさの顔見たら、ちょっとだけ口元が笑ってきちゃう。うん♪

「ん〜‥‥きっと、喜んでくれると思うけどな

「それがイヤなのっ!!」

 ひかりさんが、きょとんとした目でわたしたちを見てるのわかるわ。

 それじゃ、もうちょっとノっちゃいましょうか♪

「贅沢ねぇ。それじゃ‥‥
 あ、そうだ☆ 藤村くんにあげたらどう? おかあさんよりもっと喜‥‥むぐっ!?」

「ぶつよ。ほのか」

 口をぎゅっとふさがれて、せき込んじゃった。ちょっと、イタズラしすぎちゃったかしら?

 そう思いながら、なぎさの方を見て‥‥思わず、息が止まった。さっきの声にこの目。なぎさ、本気だわ。


 でも、ほんとよ、なぎさ。きっと、ほかの誰よりずっと喜んでくれるわ。

 あの旗とあなたが、あのときの力のみなもとだったんだもの‥‥


「‥‥やっぱり、イヤ」

「あ〜、やっぱダメかぁ」

 なぎさの声が、ちょっと遠くに聞こえる。

 そう、きっともうすぐ。なぎさが、もうほんのちょっとだけ勇気を出せば‥‥

「ダメじゃなくて、イヤ‥‥」

「ほのか?」


 バシャッ!


「ちょ、ちょっとほのか!? なにやってんのよ。いきなり水ぶちまけたりして」

「だ、大丈夫ですか、ほのかさん? いま、タオルを‥‥」

 ふたりの言葉ではっとした。自分に向かって倒しちゃったコップ、わたしはじっと見つめ続けてるわ。

 それに‥‥それにわたし、いま口に出しちゃったかも。言葉にしちゃったかも――!?

「え、ええ、へいきよ、平気! 驚かしちゃって、ごめんなさい。ちょっと、水のみ場で顔洗ってくるわ」

 思いっきり早口でしゃべって、そのままわたしは駆け出した。小さくなってくパラソルをチラチラ見ながら、公園の端まで。


 コップ持ったままなのに気づいたのは、水のみ場についてからだった。

 ほのかがコップ持ったまま走っていっちゃって、ひかりも雑巾取りに車にもどっちゃって。気がついたらあたし、テーブルにひとりになってた。

 風で、すそがパタパタしてる。チョーシくるうんだよねぇ、やっぱ、このひらひらスカートってのがさ。

 そりゃ、あたしだって女の子だし。絶対イヤってわけじゃないけど‥‥


 イヤ、か‥‥


 あたしの目が、勝手に公園の隅に行っちゃってる。水のみ場のあるとこ。ほのかが走ってった場所。

 今朝会ったときから、ちょっとヘンだったんだよね。てっきり、あたしの服見て顔ひきつらせてるんだと思ってたんだけど。


 イヤ、ねぇ‥‥


 喜んで預かってくれる、なんて思ってなかったし、怒るかな〜、とかも考えてはいたんだけど。それなら『ダメ』だよね‥‥

「あ、そこも拭きますね」

 声におもわずビクッとして振り返っちゃったよ。その先で、雑巾もったひかりが、きょとん、としてる。

 いつの間に来たんだろ。全然気づかなかった。

「あの‥‥」

 しまった、驚かせちゃったか‥‥と思ったら、違う。ちょっと曇った顔で、あたしの目、じっと覗き込んでる?

「行かなくて、いいんですか?」

 あ、そっか。

「あぁ。うん、いいんじゃない?」

 手を振って答えたら、ひかり、手を口元に持ってきながら、少しだけおでこにシワ作って、

「なんか、意外です」

「そぉ?」

 自分じゃ気がついてないみたい。手になに持ってるのか。‥‥しばらく、黙ってよ。

「ええ。きょうのなぎささん、ちょっと意外‥‥旗のことも。
 私も、ほのかさんに賛成なんです。応援してくれた旗をもらえるなんて、とても嬉しいことじゃ‥‥うぷっ!」

 ひかりの腕をコツン、ってつついたら、雑巾に顔が埋まった。‥‥やっぱり、持ってるもの忘れてたな、ひかり。

 あ、あはは。腕で顔ふいたあとの目が、なんかジトっとしてるよ。‥‥ふぅ、しかたないか。

「このままでいい、なんて思ってないよ。けどさ」

 顔が熱くなってるの、自分でもわかるなぁ。けど、相手がひかりだと、なんか言ってもいいような気がするんだよね。

「怖いんだよねぇ。あたし、臆病だからさ」

 なんか、安心なんだなぁ。ひかりは怒るかもしれないけど‥‥言っても、わからないんじゃないかな、なんて思えちゃうから。ほのか相手じゃ、うっかりひと言こぼしただけで、全部ばれちゃうんだもん。

 ‥‥ほのかも、実はそうなのかも。あたしには言えないこと、やっぱあるのかもね。

「たったひとこと言えばいいだけなんだけどね。それで変わっちゃうから。それが怖‥‥」

 そこまで言って、あっ、と思った。

 ほのかがあたしに言えないこと、言ったら変わっちゃうこと。


 ‥‥()()、か!!


「それかぁ! ‥‥ったくっ!!」

 こぶしを握った瞬間、びくっとした空気が流れてきた。顔を上げたら、おびえてるみたいな、ひかりのまんまるな目。

 ‥‥あっちゃぁ、ついやっちゃったよ。ひかりも結構ためこむ方だし、気をつけてやんなきゃ、って思ってたのになぁ。あたしたちの方が、いろんな意味で先輩なんだから。一年前の気持ちを思い出して、と。

 ん? ちょっと待ってよ? 一年前のあたしたちと同じ、ってことは‥‥

「ちょっと来て、ひかり」

 ぱっとひかりの手をつかんで、あたしは車の方に走った。

 ずるずる引きずってる感じが、手に伝わって来てる。ちらっ、と遠くの水のみ場を見てみたけど、ほのかはまだ動いてないな。‥‥うん。


 よぉし。全部まとめて、片付けてみよっか☆

「それじゃ、ひかり借りますね!」

 私の肩をがっちりかかえて、なぎささんが言った。バンの中では、あかねさんがにこにこしながら手を振ってるわ。

 なんで、こんなことになっちゃったんだろう? 今日は変なことばっかり。いつもしっかりてるはずのほのかさんは、コップ倒しちゃうし。なぎささんは、怖いなんて言ってたかと思ったら、いきなり私をバンに引っ張ってくし‥‥

 やっぱり、ふたりとも疲れてるのかしら。大事な応援のときも、旅行先でさえ戦わなきゃいけないし。

 この前、なぎささんは私に、『自分のことだけ考えて』って言ってくれたけど、それでふたりが疲れちゃったんじゃ‥‥

「‥‥ぁり、ひかり!?」

 声にびっくりして顔を上げたら、すぐそばに大きななにかがあった。

「ちょっと、大丈夫? ぼーっとし‥‥ぶっ!」

 あ、いっけない! 思わず、両手で押し返したの、なぎささんの顔だわ!?

「くへっ! ぺっ、ぺっ!‥‥」

 ああ、どうしよう。なぎささん、顔を手でこすりながら、せきこんでる!

「‥‥ふぅ。ごぉめん、ひかり。いきなりだもんね。おどかしちゃった?」

 あああ、またやっちゃったわ。とにかく頭を下げ‥‥ようとしたら、両方の肩がぐい、っと持ち上がって、

「あやまんないの。ぼーっとすることくらい、誰にだってあんだから。‥‥ちょっと、ほのか呼んでくるからさ、ここで待っててよ。ね?」

 走ってくなぎささんの後姿を見ながら、やっぱり私は思っちゃった。


 私ってやっぱり、ふたりのお荷物なんだなぁ、って。

 水のみ場の蛇口から、水が流れてく。

 わたしは、それをじっと見てた。

 上に向けた蛇口から、ちょっとだけ盛り上がった水が、きらきら輝きながら落ちてゆく。まるで透明なガラス細工みたい‥‥

 でも、ちょっと風が吹くと、形が変わっちゃう。

 ほんのちょっとのことで、変わっちゃう‥‥

「ほのか?」

 ふりむいたとこに、きょとん、とした顔が立ってた。

「あ‥‥なぎさ」

「あ‥‥じゃないわよ。いつまでたっても戻ってこないんだもん。そんなに顔洗ってたら、肌はげちゃうよ」

 ちょっとだけ目をつむって、ふぅ、ってひとつ息はいて。それからわたしは、にっこり笑ってみた。

「十代前半の皮膚はね、洗ったくらいじゃ‥‥」

「はいはいはい! もう、そういうこと言えるようなら、だいじょぶだよね?」

 言いかけたとたん、目の前になぎさの手。もう、しょうがないわね。

「‥‥うん」

 あきらめて、ちょっとだけうなずいたら、今度はなぎさが、音立てて息をすった。

 今はそれだけで、びくっ、としちゃうわ。

「ところでさ、ほのか‥‥あれ、どう思う?」

 身構えてるわたしとは全然違う場所を、なぎさが指さした。その先には、パラソルの下にこしかけた女の子。

「あれ、って‥‥ ひかりさん?」

 わたしのことじゃない、って思ったら、ちょっと気が抜けちゃった。

 でもその分、変なのがよくわかるわ。土曜のお昼前で、バンの方にはひとが集まりはじめてるのに、なんであんなところで‥‥あら? それだけじゃないわ。遠くからでもわかる。なんだか表情が、雰囲気が、違う?

「ね?」

 わたしはなぎさの目を見て、大きくうなずいた。

 そう、ひかりさん、確かに変よ。

 牧場で新メニュー作って、元気に働いてたときの雰囲気じゃないわ。それに、さっきわたし達と一緒にいたときとも違う雰囲気。それってつまり‥‥!

「だもんでさ。あたし、ちょっとあかね先輩んとこ行って、ひかり借りてきたんだけど」

 借りてきたぁ!?

 目の前で、音がするぐらいうなずいてる。自信たっぷりのなぎさの表情、かえって不安だわ。

「で、なんて言ってきたの?」

「ん? だから、ひかり貸して、って」

 ほぉら、これだもの!

 思わず目だけで空を仰いじゃった。いっしょに、ため息まで出てきちゃう。けど、まぁ言っちゃったことはしかたないわね。

「それで、どうするつもり?」

 目をなぎさに戻して、できるだけゆっくり訊いてみたら、なぎさの声がちょっと小さくなった。

「ん。それなんだけど‥‥
 ほのか。ちょっとさ、散歩に行かない?」

 え?

「ほら、去年の夏に行ったじゃん。あの坂の上。そこでさ‥‥」

 なぎさの計画を聞いて、わたしは心の中でうなずいたわ。

 きっと、それでわかってくれる、ってわたしも思う。でも‥‥

「でもなぎさ、せっかくのフレアスカートが‥‥」

 一瞬あたしは、ぽかーんとしちゃった。変なこと気にするなぁ、って。

「いいから、いいから」

 だから、手をとってそのまま引っ張ってこうとしたんだけど、

「いいから、じゃないわ。きれいなスカート、汚れちゃったらもったいないわよ?」

 両手をにぎって、あたしに抗議してる。‥‥はいはい。どーせあたしはほのかみたいに、服にこだわりませんよーだ。

「いいって。どうせこんなの、あたしになんか似合うモンじゃない‥‥」

「そんなことないっ!!」

 び、びっくりしたぁ。いきなりすごい大声出すんだもん。

 見たらほのかの目がマジだよ。両手をぎゅっと握りしめて、上目づかいでじろっとにらみつけてきてる。な、なんで??

「ちょっとこっち!」

 ぱっ、とあたしの後ろに回ったかと思ったら、背中ぐいぐい押してきた。

 力はたいしたことないんだけど、なんか逆らえない感じでそのまま押されて真っ直ぐ‥‥って、池?

 水のみ場のすぐ近くにある池。その周りの柵にあたし押し付けたかとおもったら、そのままぐいって上半身曲げさせられちゃった。

「さぁ、見て。池に映ってるのは、だぁれ?」

 真下から、ほのかと一緒に見上げてる人。そりゃもちろん、

「あ、あたし‥‥だよ。うん」

「そう! 美墨なぎささん。私が自慢できる、いちばん魅力的な友だちよ

 う、うわぁ‥‥そうだよ、今日はこのモードなんだった、ほのかは。

「だから、その姿で‥‥」

 あたしのからだを起き上がらせて、真っ直ぐ見つめてきた瞬間、ヤバい! って思った。このモードで次に来る言葉なんて、決まってるよ!

「ストーップ! まーた、そっちに話もってくんだから! それ以上言ったら、しばらく口きいたげないよ?」

 あ〜あ、口とがらせちゃって。あたしのこと、しょうがないな、って目で見てるよ。‥‥わざと、ね。

 そのちょっと前にどんな表情してたか、なんて、自分じゃ気付いてないんだろうなぁ。

「なにか言った?」

「べ〜つに?
 それより、さっきの打ち合わせどおり、ちゃんとやってよ?」

 疑ってる顔のまま、ほのかがうなずいた。うん。そっちの心配なんか、あたしはしてないよ。


 ったく‥‥みてなよ、ほのか。

 ダテに1年半もつきあってないんだからね!

「ここ、ですか?」

「うん。遊歩道」

 右どなりをチラッと見ながら言ったら、なぎささんが腰に手をあててうなずいてた。

 森の中にある細い道。先のほうは、森に隠れちゃって、よくわからないくらい。


 なぎささん、水のみ場からほのかさん連れて戻ってきたと思ったら、そのまま私を引っ張って、トコトコ歩いて行っちゃうんだもの。それで、どこに行くのかなぁ、って思いながらついて行ったら、ただ公園をまわっただけ。

 いつものポシェットは、タコカフェのそばで、ミップルたちといっしょ。おなかが軽すぎて、ヘンな感じ。でも‥‥

「うわぁ‥‥」

 私は、ちょっと言葉にならなかった。遊歩道なんて思えないくらい、急な坂道。ちょっと先を見るだけで、輝いてたお日さまが、隠れちゃってるわ。

 いつもの公園に、こんなところがあったなんて‥‥

「古い道を、そのまま舗装しちゃったみたいね。ずっと昔は、ただの山道だったのよ」

 ほのかさんが、私の左どなりにやってきて、肩をちょっとたたいた。

 ふしぎ。それだけなのに、急な坂へ向かってすぅっ、と足が出て行くわ。

「って、ほのかのおばあちゃんの受け売りなんだけどね。‥‥っととっ!?」

 なぎささんが、私の前に出ようとしてつんのめっちゃった。なんとか、転ばないで済んだみたいだけれど。

「あぁっ、もう! なんでこう足にまとわりつくんだろね、これ!!」

 なぎささん、足をバタバタさせてるわ。でもふわふわしたスカートが、足に合わせてひらひら絡まっちゃってる。なんだか、とっても歩きにくそう。

「なぎさの歩き方がいけないのよ。もうちょっと、太ももから動くようにしなくちゃ」

 ほのかさんの声が、私の頭を越えていった。とたんに、なぎささんがむーっとしちゃって、

「‥‥めんどいよぉ。これ。 やっぱ、あたしになんか向いて‥‥」

「な・ぎ・さ?」

 怖い声に、思わず足が止まりそうになっちゃったけど、背中を押されてわたしはまた歩き出した。左どなりからは寒気がして、そっちに向けないくらい。

「はいはい。わかったよ、もう。なんでも練習、でしょ?」

 右どなりから、やれやれ、って声。

「そうよ。いつか、デートのとき、足が引っかかったらみっともないでしょ?」

「そんなんで嫌いになるひとなら、あたしのほうから願い下げだよ!」

 左からくすくす、って笑い声が聞こえてきた。でも、なんだかいつもと違うわ。まさか‥‥

「そうねぇ。たしかに()()()は、そんなことじゃ嫌いにならないわ。よかったわね♪」

 やっぱり。ほのかさん、からかいすぎだわ。もう、今は私にだってわかるもの。この話になると、なぎささんがどう反応するか、って。

「こ‥‥んのぉっ!」

 ああ、なんか変な雰囲気。

 いけない。私が、なんとかなごませなくちゃ。

「こ、ここの坂って、先になにかあるんですか?」

 ふたりして、こっち向いてくれた。うん。これだったら‥‥

「あかねさんから、なにも聞いてないの?」

「先輩だったら、止めるだけだよ。でしょ?」

 あわわ。またなんだか‥‥いいえ、私ががんばれば!

「あ、えっと‥‥いえ。あぶないから、あまり奥に行っちゃだめだ、って言ってました」

 右と左に首を振りながら、できるだけ笑顔にして。

 ‥‥でも、ふたりの視線が、私に来てないわ。頭の上を通っちゃってるみたい。

「ほぉら、みなよ。あたしの勝っちぃ〜♪」

「そんなの、ただのカンでしょ?」

 あああ‥‥また、また!?

「ちがうって。ほのかだけが何でもわかる、なんてうぬぼれれちゃだ〜め」

「なんですってぇっ!?」

 ふたりしてけんかしながら、急になってる坂を、走るみたいに登ってくわ。私は真ん中にはさまれて、一緒に走らされて‥‥もう、息が、続かない‥‥っ!


 ぱら‥‥ぱらぱらぱら‥‥


 はぁ‥‥雨ま、で降り始め、ちゃって、っ!

「ほぉら。 ほのかがぶつぶつ言うから、天気だっておかしくなっちゃった♪」

「関係ないでしょ? それにこれ、『狐の嫁入り』よ。すぐやむわ」

 ああ、もう、目も開けていられないわ。

 ふたりがこんなになっても、なにもできないわ。やっぱりだめなんだ、私じゃ。やっぱりお荷物なんだ、私は。

 なら、それならいったい、どうしたらいいの!? 私は、私は、ふたりに一緒にいて欲しい‥‥っ!

「「ほらっ!!」」

 いきなり背中をぐぃっ、と押されて、転びそうになるのを踏みとどまりながら、私はぱっと目を開けた。


 ‥‥え?


 目の前は、空。

 ちょっと下の方に、街がちっちゃく見えてる。

「うわぁ‥‥」

 それに、それに‥‥

「虹‥‥?」

 すごいわ。まるで、街に取っ手をつけたみたい。こんなに大きな虹なんて、初めて‥‥


「いまがどんなに苦しくても‥‥」

 ‥‥なに?

 背中から声。ほのかさん??

「希望さえ失わなければ‥‥」

 こんどは、なぎささんの声。

 いままでけんかしてた人の声じゃないわ。とっても澄んでる、ふたつの声。

「「明日はきっと、いい日になる!!」」

 そのふたつが、重なった。

 とたんに目の前の虹が、私のなかに飛び込んだ気がしたわ。

 希望さえ、失わなければ‥‥


「希望、あった?」

 いままであんなに苦しかったのに、声だけでこんなに、心が澄んでゆく‥‥

 ふらふらしながら振り向いた私を、ふたつの笑顔が迎えてくれた。

 そっか。けんかなんか、最初からしてなかったんだわ。

 私を、ここへ連れてくるために。このすごい虹を、苦しさの先に見せてくれるために。

 なぎささんと、ほのかさん。ふたりを改めて見つめてから、私はしっかりうなずいた。

「ええ、ありました。希望」

 そうよ。私の希望。絶対に信じていいもの。それは、私の目の前にあるんだもの。

「あんたはもうちょっと、言いたいこと言いなよ?
 あたしたちなんて、ぜ〜んぜん完璧なんかじゃないんだから、ね?」

 そう言いながら、コツン、っと叩かれた頭が、なんだかとてもきれいな音で鳴った気がした。


 そう、虹と同じくらい、きれいな音‥‥

「ひかり、ずっと見てるね」

 なぎさの声に、ちょっと顔を上げてみた。

 丘の上、けやきの木の下で一緒に腰かけてるなぎさは、崖の方をじっと見つめてる。

 わたしも、今まで読んでいた本をスカートのポケットに入れて、同じものを見た。

 その先には、虹をまっすぐ見つめた女の子。ときどき軽く吹いてくる風に、長いみつあみがゆらゆら揺れてるわ。

「もうちょっと待ちましょ。きっと、すぐに元気になるわ」

 わたしがそう言って、目をちらっ、と見たら、なぎさはニカっと笑い返して、

「当然! タコカフェ特製の0円スマイルだもんね。これで復活してくんなきゃ、先輩に怒られちゃうよ」

 ですって。やっぱり、あかねさんに頼まれてたのね。

 それじゃ、持ってきた飲み物で、作戦成功の乾杯でもしようかな。なぎさの腰につるしてある、あかねさんに持たせてもらった水筒を取って‥‥と。

「‥‥つっ! いたたたたっ!」

 え?えっ? 水筒引っ張っただけなのにに、いきなり、なぎさが痛がりだした!? ‥‥スカート持ち上げて、バサバサやってる。いったい、なに??

「ああ、ごめんごめん。平気‥‥じゃないけどね。スカート絡まったまま走ったから、ももがスれちゃってさぁ」

 あ、あぁ、そっか。びっくりした。それにしても‥‥ふふ。これも、なぎさらしい、っていうのかな。

「なにごとも、経験よ。一度経験すれば、そのうち慣れるでしょ?」

 うふふ。なんだか渋い顔してるわ。でも、これはほんとよ。

「‥‥それにしても、ひかりは運がいいよねぇ。ここにきたとたんに虹が出てくるんだもん。
 あ〜あ、あたしもだれかと一緒に来たいなぁ」

 ころん、って、けやきの木に寄っかかっちゃって。ほんとに、しかたないわねぇ。

 気づいてよ。一歩、足を踏み出しさえすればいいだけだ、って。それだけで、なぎさはなんでもできるんだから‥‥

「ねぇ、なぎさ。やっぱりわたし‥‥旗はなぎさが持っているべきだと思うな」

 考えながらなぎさの顔を見ていたら、自然と言葉が流れていった。一瞬、自分が言ったなんて気づかなかったくらい。

 だからなのかな。なぎさも自然にうなずいてくれたわ。

「うん。どんなに恥ずかしくても、なにからかわれても‥‥それが、なぎさの気持ちなんだから」

 そう、それがなぎさのきもち。これだけは、絶対だれにもかえられないもの。

 わたしにだって。絶対。

 そんななぎさを見てると、なんだかまた、未来が見えてくるみたい。

 そう、きっとやってくる、未来。

 もし‥‥もしも、なぎさが藤村くんとつきあい始めたら、どうなるのかしら?

 やっぱり、いまと同じじゃいられないわよね? また、ひとり‥‥

 って、なに考えてるのよ、ほのか。あたりまえのことじゃない。


「‥‥ちゃえばいいのに」


 え?

 えぇっ!?

 なに、いまの?

「ん? なに?」

 わたし、いまなにを言ったの?

「ちょっと、ほのか?」

 なぎさが、なぎさが‥‥ちゃえば、ですって!?

 まさか、そんな‥‥やだ‥‥そんなの、わたし、なんてこと‥‥なんてことを!!

「どしたの? 顔、青いよ。ほの‥‥」

 目の前に、ぱっと出てきた手。なぎさの手‥‥なぎさ!

「いやあぁぁっっ!!」

 いや。いや!いやっ!!

「なに!? ほのか、どうしたの!?」

 お願い、なぎさ! わたしを見ないで!!

「ほ、ほのか、ほのか!ほのかっっ!!」


 ばふっ!


「むーっ!?」

 いきなり、目の前が暗くなった。

「むーっ!むーっ!!」

 頭がぎゅっと締めつけられて、やわらかいなにかに顔が埋まって‥‥

「むむむ! むーっっ!!」

 だんだん‥‥息が、苦しくなって‥‥

「‥‥」

「うわぁ!いけない、やりすぎたっ!
 ほ、ほのか、だいじょぶ!?」

 息がらくになったと思ったら、わたしの背中に手が回ってきた。

「ちょっとは、落ち着いた?」

 すこし固いなぎさの手が、背中をそっとなでてくれてる。

 目の前は、まだ暗い。暗くて、音がする。とくん、とくん、って‥‥なぎさの、胸だったんだわ。

「さっき、ほのか言ったよね。あたしがさ、振られればいい、って」

 ひっ!

 ばっ、と離れようとしたら、なぎさの手がわたしの頭を胸に押し付けた。

「逃げなくたっていいって。わかってたよ。どっちかっていうと、ひかりに教えられちゃったけどね」

 なんとか逃げようとして、頭を動かしてたところで、わたしははっとした。

「どっちかっていうと、安心したよ。変わることって、やっぱり、ほのかでも怖いんだなぁ、ってさ」

 ウソじゃない。わたしを安心させるためじゃないわ、なぎさの言葉。だって、やわらかい胸からの音‥‥さっきと変わってないんだもの。

「でも、あたしは信じてる。自分も、ほのかも信じてるよ。

 いまと同じじゃなくなったって、どんなに変わったって、あたしたちは友だちだって」

 じっと聞いてたら、だんだん胸の音が早くなってきた。

 ふふ。なんだか不思議。わたし、笑えるんだわ。さっきは、みんなおしまいみたいに思えたのに。

「ほ、ほら、見てみなよ。けやきの葉っぱにつゆがついてきれいだから。え〜っと‥‥やわらかみどり色!」

 わたしの肩を持ち上げてくれたから、わたしはそのまま、けやきにもたれかかった。やわらかみどり、ですって。なぎさらしい、けど。

「それを言うなら、ソフトグリーンよ」

 これが、わたしらしさよね。でしょ?

 そう思いながら見上げたら、木漏れ日が目に入った。ああ、でもこのひかり、緑色で、やわらかくって‥‥

「やわらか‥‥みどり‥‥」

「でしょ? ソフトグリーンなんて気取ったんじゃないよ。やわらかみどり。うん♪」

 ん。いっつもそうだね。なぎさは、わたしが気がつかない、ほんとの名前を知ってるんだわ。

 やわらかみどり。それを眺めていたら、なんだか眠くなって‥‥

 虹が、ゆっくりと薄くなってきたわ。もう、町の取っ手じゃなくて、薄いリボンみたい。

 うん。なんだか、やってみたいことが色々わいてきてる。ふたりにお礼言って、早く帰らなくちゃ。

「なぎささん、お待たせ‥‥」

 って言いながら振り向いたら、なぎささんが口に指あててた。

「しーっ‥‥こういうこと、あんまないんだから、ね」

 そう言うなぎささんの肩に、ほのかさんがもたれてるわ。

 なぎささんの言う通りね。ほのかさんのこんな寝顔、始めて見る。ほんとに、安心、って寝顔。

 きっと、私のそばじゃこんな顔できないんだわ。

「なぎさ‥‥」

 うふふ。ほのかさんったら、寝言でもなぎささん呼んでる。

 なんだか、かわいい☆

「なぎさ、藤村くんと‥‥ああ、そんなことっ‥‥」

 ほのかさん、頭をゆらしながら、ちっちゃな声で言ってる。けど、そんなこと‥‥って??

「ちょ、ちょっとほのか! なんの夢見てんの‥‥むぐぐっ!?」

「しーっ!
 静かに、って言ったの、なぎささんじゃないですか」

 とっさになぎささんの口を押さえたら、しまった、っていう目でわたしを見てる。あわてんぼうなんだな。

「あー、いや、そりゃそうなんだけどさ‥‥あぁっ、もうっ! ひかり、ほのかとツルんでんじゃないでしょうね!?」

 ツルむ??‥‥って、なにかしら?

 首をかしげていたら、なぎささん、片手で頭をかかえはじめちゃった。

「わかってるよ。えぇ、えぇ、そりゃあんたたちがツルんでいたずらなんて思わないけど‥‥あーっ! よけいに始末が悪いっっ!!」

 小さな声でぶつぶつ言ってるなぎささんを見てたら、思わずくすくす笑いがこぼれてきちゃった。

 あぁ、なんて簡単で、すてきな希望なんだろう。

 こんなに手足動かしてるなぎささんなのに、ほのかさんがいる肩だけは全然動かないだなんて――


 私もいつかきっと、できるようになるわ。

 ね、先輩がた

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