はるのおべんと

「授業はいいんだロプ‥‥っと!」

 俺は思わず手で口を塞いだ。目だけでまわりを見たけど、気づかれてないみたいだ。ふぅ。

「起立!」

 うっかり変身前の言葉が出るなんてな。もう慣れたはずなのに、やっぱこの部屋が慣れないせいか‥‥

「シローくん、き・り・つ!」

「え? うわっ!」

 まわりじゅう立ってるのに気づいて(あわ)てて立ち上がった俺の耳に、そこらからクスクス笑う声が聞こえてきた。目の前の、先生からも。

「礼!」

 俺の礼はうなだれ気味に見えるはずだと、自分でも思う。


 礼が終わって、先生が教室から出てったとたん、すごい音で耳が聞こえなくなった。

 黄色い声、だっけ。誰か言ったか知らねぇけど、うまいこと言うもんだよ。

 まぁ、ここじゃ毎度のことなんだけどさ、

「慣れないよなぁ、こりゃ」

 ココはよくこんなとこで仕事してられるぜ。

「あの‥‥シローくん?」

 ん?

 呼ばれたのに気づいたけど、俺はそのままにしていた。

 うららの声じゃねぇし、呼ばれるときなんてろくなことがねぇ。それは、ここ2週間で痛いくらいに覚えたからな。

「あのー、シロー、くん?」

 だから、このときも向き直ろうともしなかったんだ。

「聞こえてるよ。なんだよもう‥‥」

「聞こえてるなら、こっち向ぅ〜いて

 え?

 ぐるっと振り向こうとした俺の頭が、思いっきりつかまれた。

「そっち向いちゃダメぇっっ!!」

 うららの声だ。ああ、そっか、そうだった。

「次は体育だっけ。着替え、な。わーったよ。出てきゃいいんだろ」

 痛い首をおさえながら、後ろを見ないようにして、俺はクラスの入り口から外に出た。


「女子校に男ひとりってのは、妙なもんだよ。まったく」

「もう、更衣室じゃないのに着替えたりして! シロッ‥‥シローくんからかうの、やめてよ!!」

 思いっきり言ったわたしの声に、みんなが耳を押さえた。

 1日に何回怒鳴(どな)ってるんだろう、わたし。以前はこんなことなかったのに‥‥シロップがこのクラスに留学してきてから、性格変わっちゃったわ。

 留学するって聞いたときは、一緒のクラスになれたらいいなぁって思ってたのに‥‥


「そんなに怒らないでよぉ。それより、うらら!」

「なに!?」

 わたし、すごい目になってたみたい。声かけてきた子がちょっと引くくらい。でも、

「どーなってんの、彼?」

 別の子がそう()いてくるのと一緒に、まわりを囲んでたみんなが一歩近づいてきた。

「うららが言うから、みんな我慢してんのよ? うるさくされるの嫌いだ、って言うからさぁ」

「そうそう。クラブの勧誘もしなけりゃ、しつこく話を聞いたりもしてない、でしょ」

 だからって、色仕掛(いろじか)けするのもどうかなぁ、って思うんだけど‥‥

「でももう2週間よ、2週間! それだけの間‥‥体育の時間だけは自習してて一緒じゃないけど、それ以外はずーっと女の子に囲まれてるっていうのに、誰にも興味なーいって感じじゃない」

 そう‥‥なのよ。ナッツハウスでたまにお店番してたときもそうだったけど、女の子いっぱいの中でも平気なんだよね、シロップは。

 だから、みんな安心して寄ってきてからかったり‥‥ああ、なんだかおなかの中が重くなってきちゃった。

「お昼や放課後は今まで通り学食のバイトで‥‥」

「休みの日は、別のバイトだ、って言うじゃない。誰とも遊んでないのよ。この歳の男の子がそんなことって、ある?」

「‥‥ひょっとして、女の子には興味ないとか?」

 まさか、ね。でも、

「ココ‥‥ 小々田(ここた)先生には、昔からかわいがられてたみたいだけど‥‥あっ!」

 自分の言葉の別の意味に途中で気づいたけれど、口を押さえた時にはもう遅かった。


「やっぱ、そういうこと?」

「え? えぇっ!? それいいの?いいの?」

「バカねぇ、ダメに決まってるでしょ。
 ‥‥だからいいのよぉ♪」

「そっかぁ、それでムクれてたのね〜。好きに()えないこの(つら)さ‥‥萌えるわ〜!」

「萌えるだけじゃないわ、先生と生徒だもの。不自由さが愛を燃えがららせるのよ!」

 みんながわたしの周囲から少し離れて、あっちこっちで一斉にしゃべり出しちゃってる‥‥

 あ、あ、‥‥あーあ。ごめん、シロップ。

「みんな、なにバカなこと言ってますの!」

 あ、学級委員長の小島さんだ。助かったわ。これ以上はとても聞いてられ‥‥

「小々田先生のお相手は、アクセサリーショップの店長さんに決まっているではありませんか!」

 え、えええぇっっ!?

「こ、小島さん?」

 目の前の委員長が、両手を組んで宙を見上げてる‥‥だめだわ。もう、限界。

 そう思った瞬間、わたしの手首に引っ張られる感じがした。

「うららさんもそう思うでしょう? もう2年もお付き合いされてるんですもの!」

「それじゃ、シローくんと合わせて三角関係‥‥うらら、ちょっとそれ本当!? ‥‥って、あ〜っ!逃げたっっ!!」

 友達のよしみちゃんに手を引っ張られながら、更衣室に駆けてくわたしたちに、黄色い声が追っかけて来てるし。


 あ〜、もう、だれか助けてよぉぉぉっ!!!

「‥‥行きましたね。もういいですわよ、みなさん」

 うららが教室を出て行く音が聞こえた後、最初に聞こえてきたのは小島くんの声だった。

 そのすぐ後に続いて、生徒たちが一斉についたため息の音。ひょい、っと窓枠に掴まって窓の中を覗くと、着替え中だった生徒も服を着て、更衣室へ行く準備をしている。

「あいかわらず、僕の生徒たちにはイタズラ好きが多いココ」

 小さい体を窓の外に隠して、僕はもう少し会話を聞くことにした。


「それにしても、うららさんは固いですわねぇ」

 また聞こえてきた委員長の声が(はず)んでいる。

「そりゃそうでしょ。お芝居っていっても、気になるクラスメイトをおかず(・・・)にしちゃったらさぁ」

「それにしては、ノリノリだったじゃない? お芝居には見えなかったけどなぁ」

「あーあー、聞こえなーい」

 応じる生徒たちの声も負けず劣らずで、おかず(・・・)になった一人としては、ため息もつきたくなるけれど、

「まったく‥‥ でも、そこまで信じてくださらないのも悲しいですわ」

 次に聞こえた声が優しげで、少しは我慢しようとも思う。僕も単純だなぁ。

「なんでこんなことしてるか、って。いつものうららなら気付きそうなモンだけどさ。やっぱそれとこれとは別、ってことじゃないかなぁ」

「どっちかって言うと、他の人とシローくんは別、って感じだけど」

「シロップぅだもんね♪」

 そうなんだ。うららがシロップって呼んでるのはみんな知ってるんだよなぁ‥‥それをクラスでは隠そうとするから、

「‥‥もうちょっと、素直になるまで続けましょっか」

 いじられ(・・・・)てるのに気が付かないんだろうなぁ。シロップが、じゃなくて、自分が。

「だいたいあたしたち、結構しゃべってるんだけどね。シローくんと」

「学食で、ねー」

「うららさん、うかつですわ。ふふ‥‥」

 背筋が少し寒くなったので、僕は別の窓から校舎に入った。更衣室へ向かう黄色い声を聞いていると、思わず言葉がこぼれてしまう。


「‥‥やっぱり、女の子は怖いココ」

 まったく。まったくまったくまったく、もう!

 ガツッ、て足に当たった感じがして、気が付いたら少し離れた校舎に何かがあたる音が聞こえてきた。

「そ、そう怒らないで、うららちゃぁん‥‥」

 更衣室に行く途中の渡り廊下で、木の渡しを蹴り飛ばしちゃってたんだわ。顔を上げたら、よしみちゃんの顔がこわばってる‥‥失敗しちゃったな。

「わたしだって怒りたくないけど‥‥」

 聖ルミエールにシロップが留学するの、協力したのはわたしだもんね‥‥


 ――のぞみさんと、こまちさんがパルミエ王国で勉強したいから、ってことで、くるみさんとシロップのふたりと交換留学の形にしちゃったのよね。どうやったのかは知らないけど。

 シロップは当然嫌だって言って‥‥でも最後にOKしてくれたのは、うぬぼれじゃなくて、わたしが頼んだからだと思うんだ――


「お仕事でお休みすることになったら、どうなっちゃうんだろうなぁ」

 わたしがいじるの(おさ)えないと、シロップがいつかキレちゃいそう。そんなことになったら‥‥

「結構、そのほうがうまくいくんじゃないかな?」

「よしみちゃん!?」

 思わず体操服持ってない方の手を肩にかけたら、教科書とノートを持ったよしみちゃんが振り向いて言った。

「みんなだって、口で言ってるだけだよ。本人を目の前にしたら、きっと――」

 しゃべり続けるよしみちゃんは、わたしを安心させたいんだろうな。でも‥‥

「‥‥わたしだって、影で誰かのおかず(・・・)になってるかも、ってことくらい知ってるけど、ね」

 考えると寒気がするから、いつもはあまり考えないようにしてるんだけど。

 ‥‥あれ? 声が途切れたわ?

「だ、大丈夫。私はおかずじゃなくて、ちゃんと主食(ごはん)にするから!」

 開けた目の前、アップになったよしみちゃんの真っ赤な顔に、わたしはしばらく口を開けっぱなしだったけど、ひきつった顔のままで、なんとか答えたの。


「き、気持ちだけ受け取る‥‥ね?」

「‥‥もう少し、放っといて欲しいロプ」

 席が10個くらいしかない狭い自習室で、天井を見上げながら、俺は思わずつぶやいてた。

 どうせ今の時間、体育はうちのクラスだけ。ここに来るようなのは俺しかいないから、変身も解いて楽になってたんだけど。


「授業はいいんだロプ‥‥」

 ココが言ってた通り、俺は通うチャンスがなかっただけで、勉強が嫌いなわけじゃない。

 ナッツやこまちみたいな本好きにゃなれないけど、地図みたいな地理や、楽な飛び方のわかる理科は結構面白いし。数学だけは何に使うのかよくわからないけど‥‥誰にでも苦手なのもんはあるって言うから、まぁいいよな。

 問題は、だ。

「1年いっしょだね、って言って笑ってたの、自分じゃねぇかロプ‥‥」

 閉じた目の裏にふたつしばりの明るい髪が見えて、俺は思わず頭を振った。

「考えてもしょうがないロプ。‥‥『清水の舞台から飛び降りる』」

 国語の教科書を開いて出てきた慣用句を読んだ瞬間、笑っちまった。‥‥まるで今の俺だよ。女ばっかの教室に飛び込んで、これからどうなるんだろうなぁ。

「墜落しないで、飛んでいければいいんだけどロプ‥‥っと、まずいロプ!」

 自習室の扉に影が見えた瞬間、俺はいつもの姿に変身した。


 少し出た煙が開けた扉の下から流れて行って、代わりに入ってきたのは女の子だった。うちのクラスの、たしか、うららの‥‥

「どうした、カレー屋?」

 俺がそう呼ぶと、

「カレー屋って呼ばないでくださいぃ〜」

 情けない声が返ってきた。ああ、いけね。

「悪ぃ。名前で呼ばなきゃうららに怒鳴られるな。よしみ、だったか」

 ‥‥ん?返事がないぞ。顔も赤っぽいし‥‥まぁ、いいや。あまり気を回しすぎるなって、うららが言ってたっけな。

「よしみも自習なのか? 頭よさそうなのに」

「えっと‥‥ちょっと、おなか痛くて」

 あ、そっか。俺はまた、うららの言葉を思い出していた。女の子が腹を痛そうにしてても、倒れそうでなけりゃ手を出すな、だったか。

 それじゃヘタなことは言わずに、勉強続けるか。

「シローくん、がんばる、ね」

 慣用句の自習テキストを一段落させたころ、となりから声がかかった。時計を見たら、結構時間が経ってるな。

「まぁな。変なことになっちまったけど、留学を推薦したのが理‥‥学食の店長らしくてさ」

 ‥‥いけね。店長が理事長なのは生徒には秘密、だったよな。そこは守んないと。

「へぇ‥‥」

「店長の期待じゃあ、裏切れないから。迷惑かけてるとは思うけど、1年頼むな」

 言いながら、普通に返事してるのに自分で驚いた。呼ばれるときはあんまいいことないけど‥‥さわったら折れそうなこいつを見てると、邪魔にもできないな。

 考えてみりゃこいつだって、俺みたいなのがクラスメイトになるなんて思ってもみなかったろうし。そういう意味じゃ被害者なんだから、せめて気分よく過ごさせてやらないと‥‥

「ねぇ、シローくん」

 そんなこと思ってる途中で、こいつが俺に声をかけてきた。それも椅子ごと向き変えて、真っ直ぐ前から俺を見て、

「うららちゃんって、ごはん?おかず?」

 はぁ!?

「なんだそりゃ? いくら俺でも、人間食べたりしないぞ」

 い、いきなりなに言い出すんだ、こいつ?

「そうじゃなくて‥‥食事にたとえたら、ってことなんだけど‥‥」

 たとえ、ねぇ。うららの友達なら変わっててもおかしくないけど‥‥目がわりと真剣(マジ)だな。しょうがねぇ、まじめに考えるか。

 食事、食事かぁ。そうだな、うららなら――


 考えて、言ってしばらくたってから、俺は答えたのを後悔した。

「シロップ!よしみちゃん倒れたって、ほんと!?」

 保健室の扉を開けながらわたしが言ったら、中でシロップが耳をおさえて、

「シーッ! 病人だぞ。静にしろよな」

 いけない。また思いっきり声出しちゃったみたい。

「シロップが保健室に運んだから、様子見てきて、って先生に言われたのよ‥‥それで、どうしたの?」

 近づいて少し小さな声で訊いたら、シロップがほっぺた(ふく)らませて頭を振って、

「俺にもわかんねェよ。いきなり顔まっ赤にして机に突っ伏しちまったんだから。腹が痛いとは言ってたけど、にしたってなぁ‥‥」

 え? 真っ赤に?

 言われてなんとなく見てみたら、よしみちゃんの顔に鼻血の跡があるわ。これって‥‥

「シロップ、よしみちゃんに何か言った?」

「何かって‥‥ お前を食事に例えたら、ごはんかおかずかって訊かれたから、答えただけなんだけどさ」

 ちょっと待って!? なに訊いてるのよ、よしみちゃん〜っ!

「‥‥で、なんて答えたの?」


「べんとうだ、って言っただけだぞ。俺」


 お、おべんとう!?

「だってお前、外にいるときの方がいい顔してんじゃんか。外で食べるものじゃないと合わないと思ってさ。
 そしたらなんか『外で食べる』がどうこうってブツブツ言い始めて、そのままパッタリ‥‥」

 あ、ああ、あああああ。

 思わず両手で抱えた顔が、赤くなってきちゃう。よしみちゃんが何考えてたかもわかるし、シロップがいつもわたし見てくれてたのもわかるし‥‥

「なぁ、うらら。俺、こいつになんか悪いこと言ったのかなぁ?」

 ああ、もう訊かないでよぉ。そんな心配そうな顔されたら、怒ったらいいのか喜んだらいいのかわかんないじゃないっっ!!

「もう、シロップはごはん(・・・)でもおかず(・・・)でもなくシロップ(・・・・)だから、何も気にしないでっっ!!」


 春の風でほっぺたが冷えるまで、そのあとの授業ひとつ分かかった。クラスの子たちのにやにや笑い(・・・・・・)つきで。

 ‥‥あーあ。

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