おかしはいかが?

 夏休みに入ったら、毎日お手伝い。あかねさんといっしょに、おしごと、おしごと。

 タコカフェに人気が出て、おしごとはいつもいっぱい。なのに‥‥

「私、どうしてここにいるのかしら?」

 目の前には大きな庭。座っているのは長ーい縁側。庭の脇ではポルンが犬―― 忠太郎に乗って遊んでる。

「ん? なんか言った?」

 声のする方に振り返ったら、なぎささんが障子から顔を出してるわ。その後ろには、ベッドに腰かけたほのかさん。机の上にはミップルとメップル。その周りにシークンがふわふわ浮いてる。

 いつもの、ほのかさんの部屋。いつもの‥‥よ、ね。

「いいえ、別に」

 笑って応えたつもりなんだけど、障子の向こうがなんだか変な雰囲気‥‥あら?

「そっち行っちゃだめポポ〜!?」

 びっくりしたようなポルンの声といっしょに、ひざの上が重くなった。

「わわわ〜っ!!」

 ポコン、ってなにかが頭に当たる感じ。ふわふわの耳の感じ‥‥ポルン?

 とっさに体の前へぱっ、と両手を出したら、ちょうどそこに、白いふわふわが収まった。ふぅ。

「ポルン、いったいどうし‥‥!?」

 後ろ向いてた頭を戻したところに、おっきな顔。まっ黒でまんまるな目が、私の前で見つめてた。もう、ほんとにキスしちゃいそうなくらいすぐそばで。

 息も感じないくらい、私の目をじっと見つめてる。え? えっ!? ええっっ!!?

「忠太郎? ダメよ、ひかりさんおどかしちゃ」

 背中からやさしい声がしたとたん、目の前がぱっ、と広くなって、次の瞬間には庭の隅にとことこ戻ってく忠太郎が見えた。ふぅ、なんだったのかな、いまの‥‥え!?

「痛いポポ! ひかり、痛いポポ!」

 手の中の声にはっとした。私、思わず抱きしめちゃってたんだわ。

「ごめんね、ポルン」

 そう言いながら、私はまた強く抱きしめないように我慢した。だって、庭の隅からこっちを見てる目、さっきと同じなんだもの‥‥

 ‥‥あっつい。


 庭のすみっこにのそのそ歩いてく忠太郎見ながら、あたしはぼーっとしてた。

 障子にからだ半分よっかかりながら、目が部屋の中をぼーっと回ってる。

 ほのかの部屋、あいかわらずエアコンかけないんだよね〜。学校じゃかけまくりなのに。よくもつよ、まったくさぁ‥‥


 とんっ!


 ん?

 強いけど軽い音。すぐそばだ。

 なんだろ? って見てみたら、ひかりが立ってた。なんだか、あせった目でこっち見てる。

「ん? どこいくの?」

「ちょ、ちょっとお手洗いお借りしますっ!」

 ‥‥

 目だけ反対の方向ちらっ、と向くと、ベッドに腰かけたほのかがじっ、とこっち見つめてた。

「‥‥逃げた?」

「逃げたわね」

 ほのかの目線が変わった。壁の向こうを透かして、ろうかの先を見つめてるんだ。

 あたしも同じとこ向いて、その向こうを見つめてみた。目の先で、ぱたぱた、って足音が遠くなって‥‥消えちゃった。

「ひかりってさ、忠太郎、苦手だったっけ?」

 壁の向こう見たまんまで思わずそう言ったら、とたんに後ろから、くすくす笑いが聞こえてきた。

 右手で口を押えて、ふき出すの我慢してるみたいな顔したほのか。あたし、なんかヘンなこと言ったっけ?

「ご、ごめんごめん。‥‥忠太郎はね、ときどきじぃっと人を見るのよ。だから相手のほうがヘンに考えちゃってね、取り乱しちゃうの」

「あたしは、そんなことなかったけどなぁ‥‥」

 ぷっ。ってふき出す音といっしょに、ほのかの笑い声が響いた。セミの声がちっちゃく思えるくらいの。

「なぎさは特別よぉ。だって、忠太郎と一緒のときって、なにも考えてないでしょ?」

 ようやく笑い終わったと思ったら、これだもんなぁ。‥‥まぁ、あたし相手じゃしょうがないか。

「ひっどいなぁ、もう。まぁ、そうかもしれないけどさ」

 口の中だけで、くすくす笑ってる顔見てたら、もう怒れないよね。はぁ。

「それだけじゃないけど、ね

 ん? いまこっそりなにか言ったような気がしたけど‥‥気のせい、かな?


 それにしても‥‥もう、限っ、界っ!

「あ〜つ〜い〜〜っっ!!」

 廊下の方に頭むけて、ごろん、っと転がった。木の廊下がちょっとだけ涼しくて気持ちいい。ああ、このままごろごろ転がってきたい気分‥‥

「だらしないわねぇ。『合宿の前に、宿題半分終わらせるんだ!』な〜んて言ってたの、だれだったかしら?」

 え〜、そーだよ。言ったのはあたしだよ。だけどさ、だけどさっっ!

「それは、さぁ、あんときは、もちょっと涼しかったから‥‥」

「へぇ〜、ちょっと暑くなると、約束やぶっちゃうんだ。なぎさは」

 顔が見えないけど、なんだか口元だけで笑ってるような声。ほのかってば、まったく!

「いじわる言わないでよぉ。ほ〜の〜かぁ〜」

 ん?

 言った瞬間に、すーっとする。風がベッドの方から吹いてきたんだ。

「でも、お疲れさま」

 起き上がった目の前で、ほのかがうちわ動かしてる。汗が、すーっと引いてくるな。

 でも‥‥そっか、お疲れさま、か。

「‥‥やっぱ、わかっちゃった?」

 ちょっとだけ顔が赤くなるな。暑いだけじゃなくて。

「どのくらい一緒にいると思ってるの?
 去年なんて、そこでカエルみたいになってたじゃない。よくがんばってるわ‥‥いい先輩よ。なぎさ」

 そうだよねぇ、ほのか相手にカッコつけても、そりゃバレるよ。でもさ、

「いい先輩だったらさぁ、もうちょっと頼りにされてもいいと思わない?」

 ひかりくらいには、ちょっとはカッコつけたいんだよね。まぁ、無理なもんは無理、かなぁ。

 ほのかンとこ宿題しにきたとき、タコカフェで見たひかりの様子、またおかしくなってるんだもんなぁ。今度はなに考えごとしてんだか‥‥

 ついつい、そのままここまで引っ張ってきちゃったけど、いつまでたっても話してくれないし。あ〜あ、先輩として、あたしの方が自信なくしちゃうよ。もう。

「う〜ん、そうねぇ‥‥あ、そうだ」

 え?

 な、なんだろ、ほのかの目が輝いてるよ。これって、なんかヤバそうな気が‥‥

「ねぇなぎさ、図書館行かない?」

 図書館? あ、ああ、そっか。涼しいとこで宿題しよう、ってことか。

 はぁ、びっくりした。ほのかがあんな目するときって、な〜んかたくらんでるときだもんね。あたしの見間違いか。そうだよね、うん。

「いいよ。‥‥あ、でも、ひかりどうしよ? つれてくにしてもさ」

 困ったなぁ。ここまで引っ張ってきといて、帰れってわけにもいかないし。

 ‥‥あれ? 風が、止まった?

「そうよね。じゃ、お願いしちゃいましょっか

 ほのかが、うちわをベッドの上において、立ち上がったんだ。あたしの顔、じぃっと見ながら、口元だけで笑ってる‥‥ちょっと、これ、見間違いじゃ、ないよね?

「お、お願いって‥‥だれに?」

 びくびくしながら見てたら、ほのかはそのまま、あたしの脇をすり抜けてった。両手でメガホン作って声をかけて、ゆっくり出てきたのは‥‥えぇっ!?

「ちょ、ちょっとほのか、それって、マジ!?」

「私、どうしてこんなことしてるんだろう?」

 口からこぼれてきた言葉に、思わず自分でうなずいちゃった。ほんとに私、なんでこんなこと‥‥

 もうちょっとで夕方。タコカフェは、まだ営業中。なのに、私がいるのは、ほのかさんの家からちょっと離れた高い場所。

 右手には河原、左手には家の屋根。土手の上には遠くまでまっすぐ続いてる、細長い道。

 ほのかさんも、なぎささんもいなくて、私ひとりだけで。

 こんなところで、私なにしてるんだろう‥‥

「ワフ!」

「ひっっ!」

 声にびっくりして足元を見たら、黒くて大きな目がじっと私を見つめてた。

「ひかり、なに驚いてるポポ?」

 胸のポシェットから顔出したポルンも、じっと私をみつめてる。‥‥そうよ、心配かけちゃダメよ、ひかり。

「なんでもないのよ。――それじゃ‥‥い、行きましょ、忠太郎?」

 言ったとたんに、手に持った紐が少し重くなった。

 ああ、涼しい。

 白いついたてをぼんやり見ながら、あたしは冷たい風を感じてた。

 汗は、とっくに引いてる。だけど‥‥


 カリカリカリカリ‥‥


 耳に入るのは、すぐそばで書いてる音。それだけ。

 ‥‥静か過ぎンのよ、ここってっ!

「あ〜‥‥」

「しっ!」

 口を大きく開けた瞬間、ほのかの鋭い目線が飛んできた。

「図書館で宿題するの、なぎさも賛成したでしょ? ほらほら、まだ1ページも進んでないじゃない」

 ちぇ。ンなこと言ってもさぁ‥‥

「ふふ。暑くても、おしゃべりしながらの方がよかった?」

 ちろっ、ってこっち見上げながら、口元だけでくすくす笑い。そりゃまぁ、ほのかの部屋にいたってそんな、ぺちゃくちゃしゃべってるわけじゃないし、同じなんだけどさ。

「それとも、やっぱり心配?」

 ‥‥うん。それは、あるんだ。

 あたしたちじゃ話してくれないからって、忠太郎にまかせっきりなんてさ。それでも、あたしは先輩なのかな、って思っちゃうよ。

「大丈夫よ。きっとね」

 あたしが黙ってると、ほのかが目も上げずにサラっ、と言った。ほんと、あっさり言うなぁ。あ、そっか。

「ほのかには、やっぱわかるの? ひかりの心配なことってさ」

 まっすぐ見つめながら訊いてみたら、ほのかがちょっとだけ顔上げた。

「ぜ〜んぜん。見当もつかないわ」

 ぺろっ、って舌出して‥‥

「なぁにぃ〜!?」

 ‥‥あ。いっけない。思わず立ち上がっちゃった。

 まわり中からは一斉に、『しーっ!』って声。しまったぁ。

「はい、イエローカード」

 笑うのこらえてる声の方見たら、あたしのノートに黄色いポストイットが1枚。

「3枚で退場よ。さ、がんば

 しょうがないなぁ‥‥

 あたしは、しぶしぶまた口を閉じて、宿題のテキスト開いた。けど、

「忠太郎は、ひかり好きなのかなぁ‥‥?」

(忠太郎にまかせておけば、大丈夫だから――)


 まっすぐな道をてくてく歩いてく忠太郎に引っ張られていたら、私の頭の中に声が聞こえた。

 ほのかさんの言った通りだわ。忠太郎は、ひとりでも、ちゃんとお散歩できるのよね‥‥

「まかせれば、大丈夫。かぁ‥‥」

 なんだか、いつも聞いてる気がするわ。

 なぎささんにまかせれば、大丈夫。ほのかさんににまかせれば、大丈夫。いま私がいなくたって、大丈夫‥‥え?

「あ、あら?」

 気がついたら、腕が軽くなってた。ひっぱられていたはずの紐が、ぴたっと止まってるわ。

「忠太郎?」

 紐の先に声をかけてみたら、道から河原に向かって土手をゆっくり降りようとしてる‥‥あ、これって、ほのかさんの言ってた、あれね。

「忠太郎、トイレね?」

 河原の砂利のところまで降りていってするんだ、って言ってたものね。ん‥‥と。お箸で、つまんで、ビニール袋に入れるのだったわ。それじゃ、ビニールとお箸を持って、と。

 そういえば、袋はそのまま、ほのかさんの家まで持ち帰るのよね。まだ折り返してもいないのに、ずっと持ってくんだ。ん〜‥‥

 あ、あら? 忠太郎、いきなりまた土手を登り始めたわ。

「どうしたの、忠太ろ‥‥」

 言いかけた私の足元で、忠太郎が目だけ上を向いて私を見て‥‥それからまた、土手を登っていった。

 紐に引っ張られながら土手の上の道まで登ってる間、なんだか自分がすごく情けなくなったわ。

 だってまるで、『始末できないなら、しかたない』って言われたみたいなんだもの。


「やっぱり、私っていらないのかなぁ‥‥」

 思わずこぼれた言葉は、吹いてきた暑い風に消えてっちゃった。

「好きなのかなぁ、って?」

 ノートになにか書きながら、ほのかが言った。

 ああ、ヘンなことばっかよく聞いてるなぁ。

「ん〜、前から思ってんだけどさ。忠太郎って、あんまひかりに甘えないでしょ?」

 顔上げたほのかは、ちょっとひたいにシワよせて、

「それはそうだけど。う〜ん‥‥好きかどうかは知らないけど、嫌いじゃないと思うわ」

「へ? なんで?」

 いくらほのかでも、忠太郎と話はできないはずだし、ねぇ?

「わたしの好きな人なら、忠太郎だって好きだからよ」

 あ、あはは。

 にっこり笑う顔見てたら、思わず力が抜けちゃったじゃないの。いや、まぁそれがほのかなんだけど‥‥あ、そ〜ぉだ♪

「そっかぁ。じゃあほのか、藤P先輩は嫌いなんだ。先輩、忠太郎が引き綱持たせてくれない、ってボヤいてたもんね〜」

「それはぜんっぜん別の話でしょっ!!‥‥あ」

 よぉし、引っかかった☆

「は〜い、ほのかにもイエローカード♪」

 黄色のポストイットをペタっ、と貼り付けたノートの影から、口をとがらせたほのかがジトっ、て目であたしを見てる。

 と、思ったら、またにっこり笑った。けど、この笑顔、ヤバいような‥‥

「それじゃ、1対1ね」

 ひぃっ! やめようよぉ、ンなイヤな戦いぃ〜!!

 河原から上がってきてからの忠太郎は、ゆっくり歩いていた。

 背中に乗りたくって、ポシェットから飛び出しそうにしてるポルンをなだめながら歩いてたら、

(あぁ、いいよ。いっといで〜♪)

 頭の中に、また声が聞こえてきた。

 お昼過ぎ、タコカフェでなぎささんに誘われたときに、あかねさんが言った言葉。とっても軽い感じで、私を送り出してくれた‥‥けど。

 私はほんとに、役に立ってるのかな?

 夏休みに入ってからは、一日中手伝ってるはずなのに。私って、なにも変わってないみたい。

 笑って注文聞いて、笑って飲み物運んで、笑っておさら洗って‥‥それしか、できないのかな?

 ほんとに、ほんとうに私がいま必要なら、いまごろこんなところにいられないはずじゃないかしら?

「はぁ‥‥ あ、あら?」

 思わずためいきついた瞬間、手の中の紐がピン、っと張った。

「忠太郎?」

 紐の先を見てみたら、忠太郎が背中の毛を立ててる。いまにも、なにかに飛びかかりそうな感じ。

 これって、ひょっとして‥‥

「ポルン!!」

 コンパクトを取り出そうと、ちょっと右手を離したとたん、忠太郎が跳ねていった‥‥!

「そういえば、そろそろ藤村くんも走ってるころね」

 机の端っこに置いた腕時計をチラッ、と見て、ほのかが言った。

 ああ、そういえばそうだなぁ。

 前にほのかの代わりに散歩つれてったときも、この時間だったよね。途中で藤P先輩に会って、いろいろ話して‥‥

「代わりたかった?」

 !?

「ば、ばっ!?」

 持ち上げた両手が机にぶつかる寸前、あたしははっ、と気づいて口押さえた。

 まわりでチラチラこっち見てるけど‥‥ふぅ、なんとか、か。

「ん〜、ギリギリでセーフかな?」

 かな?って、ちょっとぉ!

 もう、にっこにこ笑っちゃってぇ‥‥おちつけなぎさ。よぉし。

「ちぇ。‥‥いいも〜ん。あたしだけさっさと幸せになってやるんだから。ほのかなんか、置いてっちゃうからね〜だ」

「なんですってぇっっ!!」


 シーッ!!


「あ‥‥!」

 くくく。ひっかかった。

「はい、イエローカード」

 ペタッ、ってノートに2枚目のポストイット貼り付けたけど、ほのか見てない。

 真っ赤になって、下向いちゃってるよ。ったく、ちょっとはからかわれる身も味わってごらん、っての。

 ‥‥ん?

 下向いた顔が、ちょっとふるえてる?

「お‥‥おい‥‥て‥‥」

 ‥‥あ、やば。

「ト、トイレ行こう、ほのか。トイレ。ね、ね」

 そうだよ。ほのかにこのネタはヤバいんだったぁ。あ〜っ! なぎさのアホたれ〜っ!!

「うわっ、なんだ!? ‥‥って、忠太郎かぁ」

 忠太郎が飛びかかった先には、ジャージ姿の男の人がいた。このひと、確か‥‥

「お、散歩かい?」

「あ、藤村先輩‥‥ですね?」

 出したばかりのポルンのコンパクトをポシェットに押し込みながら、私はなんとかそれだけ言えた。

「ははは、『ですね?』かぁ‥‥うん。そうだよ。
 なに、ほのかはまた病気なのかい?」

 私が首を振ったら、藤村先輩が、あれっ、って顔になったわ。なんだろう?

「いえ、なぎささんと図書館で勉強するからって、代わりに散歩を‥‥」

 ぽそぽそって説明したら、藤村先輩がいきなり笑顔になって、

「そっか。それでわざわざ、仕事中のタコカフェから呼び出されたんだ」

 え?

 藤村先輩が、私の胸を指さした。‥‥あ、ほんとだわ。今まで気がつかなかったけど私、エプロンつけたまま来ちゃったんだ。

 藤村先輩は、私と忠太郎を交互に見てから、私たちににこっと笑いかけてくれた。

「きみも、選ばれたんだね」

 選ばれた? なんのことだろう??

「忠太郎はさ、気に入った人じゃないと、綱を握らせてくれないんだよ。ほのかがまかせるってことは、それだけこいつが信じてるって証拠だね」

 藤村先輩はそう言ってから、私にあいさつして、手を振りながら、また走り始めた‥‥んだと、思う。

 なんだか頭が混乱してて、よく覚えてないのだけど。

 ふぅ。


 トイレでほのかが落ち着くまで待って、やっと元の机に戻ってきたら、もう夕方もいいとこだよ。エアコン効いてるってのに、汗だくになっちゃったなぁ。

 でも、黙っちゃってるよ。ああ、あたしのせいなんだけど、もちょっとなんとか‥‥そうだ!

「そういえばさ、ほのか。今年は、化学部で花火つくらないの?」

 去年は結構おもしろかったもんね。ほらほら、乗ってきなさいよ♪

「ええ。教頭先生が、危険だから、って。
 あれ、炎色反応の実験にはぴったりなのよ。楽しめるし、合宿前に盛り上がるにはちょうどよかったのだけど‥‥残念だなぁ」

「えんしょくはんのう?」

 乗ってくれたのはいいけど‥‥いきなり専門用語かぁ。こりゃたいへんだぞ。

「忘れたの? 去年習ったでしょ、イオンの同定につかう‥‥」

 どうてい‥‥

「ん? なに赤くなって‥‥って、こら。まぁた変なこと連想したわね?」

 しまった、やぶへび〜っ!!

 っと思ったら、ほのかがいきなり、あたしの手を握ってきた。ん?

「ありがと

 ‥‥あ〜あ、全部お見通しかぁ。

 あたしは、ほのかの手をぽんぽん、って軽くたたいてから、笑ってみせた。

「ひかりがいたら、もっと早かったんだろうけどねぇ」

 頭をかきながらそう言ってみたら、ほのかが少し赤くなって、

「ん‥‥そうかも」

 そうそう。なんたって、ひかりが来てから、ほのかの口から()()()の話を聞かないくらいだもんね。

 ああ、またひかりの笑った顔が見たいなぁ。


「たのむよぉ、忠太郎。マジでさ」

 藤村先輩と別れてから、私はずっと忠太郎に引きずられてた。

 どういうことだろう。信じられてる、って。

「忠太郎?」

 軽く呼んでみたけど、忠太郎はチラっ、とこっちを向いただけで、またすぐ歩いていっちゃうわ。

 忠太郎が、私を信じてる? ほんとかしら。

 先週だって、私がごはんあげようとしたけど食べなくて、ほのかさんが食べさせてたし。

 先々週なんて、なぎささんの手からクレープ食べていたもの。でも‥‥私があげても、食べようとしなかった。逆に、私の口に押し込もうとしてたくらい。

(ふふっ。なぎさは特別ね

 ほのかさんの言葉が、頭の中に響いた。

「特別‥‥か」

 そうよ。私は特別なんかじゃないわ。綱を持っているのだって、きっとほのかさんに言われたから。しかたなくて持たせてるだけなの‥‥え?

 なにかを踏んだような気がしたとたん、足首が、くいっ、と横に曲がった。

「きゃっ!?」

 いけない、って思ったときには、もう体が宙に浮いていた。

 踏み外しちゃった丸い石が、ゆっくり転がってゆく。

 河原と川が、頭の向こうに見えてくる。

「ワフッ!!」

 最後に聞こえたのは、忠太郎の吠える声だった‥‥

(おい。大丈夫か、ひかり)

 あら?

 気がついたら、私はなんだか奇妙な場所にいた。

 周りを見ても、だれもいない。だれも‥‥なのに、声がしたわ。

(ったく、よそ見もいいかげんにしろよ。いつでも助けられるわけじゃないんだからな)

 助ける? 私は転んで、河原に落っこちちゃったのじゃ‥‥あ、いっけない!

「あ、ありがとう‥‥」

 だめだめ。助けてくれた人に、まずお礼も言えないんじゃ、それこそ人に信じてもらえないじゃ‥‥

(礼なんて要らないよ。オレの方が言いたいくらいだ)

 え? いま、なんて??

(ひかり。きみは、『やるべきこと』を与えてくれたよ。
 きみは、『守るべきもの』を与えてくれたよ。
 だからオレのダチは、もう()()()()に来ても立ち止まらないで済むんだ。
 ありがとう。いくら感謝してもたりないくらいだよ)

 ‥‥わからない。この声の人は誰なの? 私が、だれかになにかを与えたって‥‥だれに?

(きみがオレのダチを‥‥ほのかを助けてくれる限り、オレはダチと同じように、きみを守ってやるよ)

 ほのかさん!?

「ほのかさんを、助けてる? 私が!?」

(わかってないのかい? まったく、手のかかる妹だよな。でも‥‥笑ってるひかりは、悪くない妹だよ。ほんとにさ)

 口の中で笑いながらの声が小さくなって‥‥小さくなって、そして、私の目が開いた。


 目の前には、空があった。

 横を見ると、土手の芝生。私は、土手の途中で寝転がってたんだわ。

 それじゃ、いまのは全部、夢‥‥?

「クゥ〜‥‥」

「ひかり、どくポポ! 早くどくポポ!!」

 ポルンの声にびっくりして起き上がったら、すぐ下に、忠太郎がいた。

 私が落ちるのを、こんな小さな体で受け止めてたんだ。小さな体で、私を助けて‥‥それじゃ、いまのって!

「クゥ〜‥‥ワゥ!ワフッ!!」

 いままで小さい声で鳴いていた忠太郎が、いきなり起き上がって、土手の上に駆け上がっていった。

 そこで、私を待ってる。まるで‥‥まるで、妹にカッコ悪いところ見せたくない、お兄さんみたいに。

「いもうと‥‥」

 そっか。そうなんだわ。お兄さんだから、妹に世話されたくないんだ。

 こんな考え、ばかみたいかもしれない。でもいいわ。私を信じてる()()が、そこにいるんだもの。

「待って、今行くから♪」

 夏の夕日は暑いけど、タコカフェの灯りはあったかいな‥‥そんなこと思いながら、私はバンへ歩いていた。

 けど、途中から足がゆっくりになっちゃう。握ってる紐が、ピンっと張ったり、ゆるんだり。その先で、忠太郎がときどき私を見てる。

「あぁ。ひかり、おかえり‥‥って、どしたの? 忠太郎だけ連れてさ」

 近くまで来たら、灯りの中のあかねさんが声かけてきた。お客さんもいなくて、ちょうどいいのだけど、けど‥‥

「お散歩、頼まれちゃったんです」

 バンの窓のすぐそばまで近づくと、なんだか、びくびくしちゃう。結局、半日もお手伝いしてない上に、今月はお小遣いもないんだもの‥‥

 でも、私はお礼したいんだ。いま。

「それで‥‥すみません、バナナクレープを、お小遣い前借りで作ってほしいんですけどっ!」

 私が言ったら、あかねさんの手が窓越しに伸びてきた。

 思わずぎゅっ、と目をつぶったけど‥‥頭に、くしゃくしゃっ、て感じ?

「もう、ンなこと言うんじゃないよ、まったく! ひかりがちゃ〜んと笑ってくれたら、お客なんていっくらでも来るんだから。
 ‥‥はい、バナナクレープ」

「え?」

 手の感じがなくなった頭を上げたら、目の前にきれいなバナナクレープ。

 お手伝い途中でやめちゃって、てっきり怒られると思ったのに‥‥

「公園入ってくるときさ、ひかり、笑ってただろ? お代はね、それで十分。ほら、早く食べさせてやんなって」

 お皿の上に乗ったクレープ見ながら、私はなんだかぽけっ、としちゃった。


 そっか。笑うだけでよかったんだわ。

 いらないように感じたのは、仲間はずれに感じたのは、みんな私が笑ってなかったから‥‥


 私はそのまま、お皿をを地面に置いた。忠太郎の、すぐ目の前に。

「さっきはありがとう」

 忠太郎、くんくん匂いかいでから‥‥やっぱりそう。お皿をくわえて、私の顔に近づけてきたわ。

「ありがとう、忠太郎‥‥にいさん?」

 お皿がぴくっ、てして、そのまま、私をじっと見つめてる。

 そうよ。お兄さんだから、まず妹に食べさせようとするのよね?

「忠太郎にいさん、おかしはいかが♪」

 にっこり、いい顔で笑ってるのが、自分でもわかるわ。

 ほら、お皿が地面に降りてゆく。そして‥‥うん。クレープ、食べはじめてくれた。

 でも私、見ちゃったわ。食べる直前に、私を見てため息ついたの。

 そう、きっと思ってるのよ。


 やれやれ、困った妹だ、って

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