あしたあめでも

 じとっ、と小雨が降ってる。

「雨だねぇー」

「雨だよぉー」

 じとじとっ、とした中。体育館の張り出した屋根の下で。

「今日も雨だねぇー」

「今日も雨だよぉー」

 じとじとじと、っとしながらひとりごと言ってるあたしに、莉奈が応えてる。

「明日も雨かなぁー」

「明日も雨だよぉー」

 ‥‥

「じとじとじとじとじとじと〜」

 あ〜っ、もう、うっとうしいっ!!

「誰よ? いま口で言ったのはっ!?」

 頭を上げたら、丸っこい顔があった。

「あったし〜♪」

 なんだ、志穂じゃない。いつの間に帰ってきたんだろ。

「で。どうだった? 体育館、借りれた?」

「だめだめだ〜め! み〜んな先に取られちゃってたよ」

 軽〜く言ってくれるなぁ‥‥あたしは、莉奈と顔見合わせてため息ついちゃったよ。

「はぁ。ま、みんな大会が近いもんね。バスケに、バレーに‥‥」

 お互い場所がないときはゆずってるんだけど、こう重なっちゃぁねぇ。はぁ、ドロぐちゃなグラウンドでまた練習かぁ‥‥

「おっきなテルテルボーズでも作ろっかぁ?」

 志穂がそう言ったとたん、莉奈とふたりして思わずじっとその顔見ちゃった。‥‥さすがに、口には出さないけどさ。

「?‥‥あ〜っ! いまいまいま、あたしがぶら下がればいい、なんて思ったんでしょぉ!?」

 やっぱ、バレるか。

 苦笑いしてる莉奈に、志穂が両腕回しながら向かって行ってる。やれやれ。

 でも、ま、あたしたちは、まだふざけ合えるだけましだよね。

 ちらっと目を反対側に移すと、ちょっと離れたとこに、弓子先輩が座ってる。ぼーっと、グラウンドのほう見ながら。

「な〜んで、晴れないんだろなぁ‥‥」

 ぼそっ、て声に力がないよ。こっちはそろそろ、まずいかも。‥‥しょうがない、奥の手いくか。

「あたし、ちょっと訊いてくるわ」

「「へ??」」

 

 固まってる志穂たち置いて、あたしは雨の中を校舎に走ってった。

 小雨の降る放課後、わたしは目の前に神経を集中していた。

 ガスバーナーの火を調節して、ガラス管の先を回しながらゆっくりかざして‥‥やがて淡いオレンジ色が濃くなって、回すのが緩くなるたびにふにゃふにゃしてる。うん、そろそろね。

 入り口を口に当てて、息を送ってゆく。そぉっと、そぉっと‥‥うん、ふくらんできたわ。

 丸フラスコは一気にふくらませなくちゃね。じゃ、火からおろして、せぇ、のぉ‥‥

「ほのか、いる!?」

 大きく息を吸った瞬間、ガラッと理科室のとびらが開いて、聞きなれた声が聞こえてきた。‥‥はぁ、やりなおしだわ。

「なぎさ? いま実験器具作ってるとこだから、できればあとで‥‥」

 化学部のみんなが注目してる。ユリコなんか、ちょっとにらみ気味の目をしてるし。

「実験中かぁ、ごめん。じゃぁ、邪魔しないから、相談だけ聞いてくれる?」

 いつもより強引だわ。でもドツクゾーンのことじゃないみたいだし‥‥まぁ、いいか。

 

 わたしは手早くなぎさ引っ張って、隅の実験机に機材持って行った。

 今日はガラス細工だけだし、わたしじゃなくちゃダメ、っていうこともないし‥‥でも、みんなチラチラこっち見てる。いくらなぎさでも、やっぱり部外者だものね。

 とりあえず、またガスバーナーを調節して、ガラス管をゆっくり熱しはじめた。でもその間、なぎさはじっとわたし見ながら、ずーっと黙ったまま。変ね?

「それで? なにか用事なんでしょ?」

 ちょっとたずねてから、わたしはまたガラス管の端に口をつけた。ゆっくり息を吹き込んで、ふくらんでくるのを確認してから火からおろして。よし、こんどこそ。せぇ、のぉ‥‥

「ほのかさぁ、天気、晴れにできない?」

 

 パンッ!!

 

「うわっ!」

 わたしは急いでガス栓を閉めた。机の上には、薄いガラスのかけらが一面に飛び散ってる。つい思いきり吹いちゃったじゃないの、なぎさってばっっ!

「わたしはドラえもんじゃありませんっ!」

 思わず勢いよく立ち上がっちゃったけど、なぎさは制服についたガラスをハンカチで落としてるだけ。

「誰もそんなこと言ってないって。たださ、最近雨続きでまともな練習ができないから。ほのかなら何かできそうな気がしただけなんだけど‥‥」

 やっぱり。全然わかってないんだから、もう!

「だから! そんなこと、できるわけないでしょ? 常識で考えてよ」

 人にはできることと、できないことがあるんですからね。

「いや、だからさ、『晴れにする』ってのは言葉のアレで‥‥」

「それを言うなら言葉の『(あや)』よ!」

 あ、なぎさが頬ふくらませた。

「あ〜っ! もう、そんな揚げ足持たなくたっていいでしょ!?」

「正しく言わないなぎさが悪いんじゃない! それに、揚げ足は『持つ』んじゃなくて『取る』の!!」

 意地になっちゃってるの、自分でもわかる。けど止まらないわ。そんな無理を友だちに言うなぎさなんて、見たくないもの。

「ストーップッッ!!」

 次の一言のためにわたしが口を開いたところで、目の前に手のひらが出てきた。手の根元にはいつものメガネ。ユリコ?

「美墨さん、いまは化学部の活動中ですよ! 邪魔するなら出てってもらいます! ‥‥ほのかもほのかよ。部外者引き込んでケンカなんて!!」

 思いっきりの大声出してるユリコ見ながら、なぎさが頬をポリポリかいてる。わたしも、なんだか言い合う気がなくなっちゃったわ。

「ごめん、ユリコ。もう邪魔しないから‥‥ね、なぎさ?」

「う、うん‥‥」

 なぎさがまた座るのと一緒に、ユリコがわたしの隣に座った。監視つき、か。まぁ、しかたないわね。

「なぎさ、さっきの話だけど‥‥」

「‥‥うん。要はさ、乾いた地面がほしいんだけど。体育館はみんな使ってるし、ボール使うから校舎の中ってわけにもいかないしで、困ってるんだ。
 でさ、あたしたちの頭じゃこれ以上思いつかないから、ほのかなら何か考えてくれるかな、って思ったの」

 ――はぁ。わたしは、隣のユリコと顔見合わせて、ため息ついちゃったわ。だったらはじめからそう言えばいいのに。

 でも、そうね。わたしを頼ってきてくれたのは嬉しいのだけど、ほかに乾いた地面なんて‥‥

 そう思いながら、何の気なしに目が机にいった。さっきの、薄いガラスのかけらがまだ散らばってる机。ガラスがとっても薄い膜になってて、虹色にキラキラ輝いてる‥‥ん? ちょっと待って。これは‥‥

「なぎさ。ラクロスの靴って、スパイクあるの?」

「え? ううん、うちでスパイク使ってる子はいないよ。‥‥それが、どうしたの?」

 きょとん、としてるなぎさの顔に、思わず笑いがこみ上げてきちゃう。

「ユリコ。次の実験って、まだ決めてなかったわよね?」

「そうよ。なかなかいいのがなくて‥‥って、だから今日は実験器具作りしてたんじゃない」

 ユリコもやっぱり、きょとん、とした顔。わたしはついつい吹き出しそうになるのをおさえた。

「うふふ。それじゃ明日、実験しましょ。なぎさたちも協力して。ね

 次の日もやっぱり小雨。今だったら、あたしだって完璧に予報できるね。

 

 授業終わりの鐘と一緒に、あたしとほのかは教室飛び出した。階段のところで手を振って別れる。ほのかは上、あたしは下へ。

 だれもいない部室で着替えてからしばらく待って、あたしはグラウンドに出てこうとしてる弓子先輩とっつかまえた。

「なぎさ、なぎさってば。どこ連れてくって?」

 昨日と同じ、ちょっとぼーっとした先輩の手首つかんで、そのまま校舎へ。え〜っと、たしか‥‥

「さっき言った通りですって。えーっと、たしか屋上だったっけ?」

 昼休みに準備するから、放課後に来て、って言ってたよね。屋上で、なにやるのか知らないけどさ。

「屋上!? ちょっとちょっと、あそこは運動部使用禁止だよ?」

 そう、それはあたしも言ったんだよね。だけど、

「大丈夫ですよ。ほのか‥‥クラスメイトの雪城さんが、そう言ってましたから」

 言ったとたんに、つかんだ腕が重くなった。あれ、っと思ったら弓子先輩が、

「それってあの、化学部の子でしょ? ほんとに大丈夫かなぁ‥‥?」

 なんて、あたしの目をじっと見てる。あたしは、思わず両肩つかんじゃった。

「ほのかが大丈夫って言ったら、ぜぇったい大丈夫。あたしが保証しますって! なんなら、たこ焼きふた皿賭けてもいいっすよ?」

 あたしはきのう、『大丈夫』って言ったときの、ほのかの目を思い出してた。そうだよ。どんなにヤバくったって、ほのかのあの目なら間違いないもんね。

 弓子先輩がちょっと下向いたと思ったら、あたしの両腕をちょいっとどけた。

「――わかった。あたしが先に屋上行くから、みんなも連れてきて。
 15分以内に来なかったら、たこ焼きおごりの刑ね」

 そう言って、軽くウィンクした顔、いつもの顔に戻ったみたい。

「了解っ!」

 あたしはそのまま、部室に走った。あとはお願いだよ、ほのか!

「扇風機が6台、でしょ‥‥」

 小雨の降ってる屋上のすみに張ったテント。わたしはレジャーシートの上で機材の確認しながら、カセットコンロに乗ったおなべをかき回してた。

「うーん。やっぱり、ガスがちょっとほしいわね。ユリコが帰ってきたら相談しましょ」

 化学部のみんなは機材を集めに出ちゃってて、屋上にはいま、わたしだけ。わたしも行くって言ったのに、みんなして『ほのかは動いちゃダメ!』なんて言うのよね。‥‥まぁ、このおなべが実験の要だから、っていうのはわかるのだけど。ちょっと、腕が疲れてきちゃったわ。

「広げる棒が10本で‥‥あ、ユリコ」

 階段のほうから、ひょいっ、と出てきたメガネの顔に、わたしは声をかけた。ユリコ、雨を手ではらいながら、こっちに駆けてくるわ。

「ただいまぁ。屋上の使用許可はとれたよ。でも、びっくりしたなぁ。あの教頭が、二つ返事で許してくれるんだもんねぇ」

 なんだか呆れたみたいな顔に、思わず吹き出しそうになっちゃったわ。

「そんなに、嫌いなのかな?」

 御高倶(おたかく)女子との試合が近いって言えば、許可くれるはず。そうユリコに教えたのはわたしだけど‥‥実は、試合は来月なのよね。ふふ。

「なぎさから色々聞いてたから、ひょっとしたら、って思ったの。こだわることって、みんな違うものよね」

 またちょっとだけ、笑いがこみ上げてきちゃう。ほんと、人間ってふしぎ。 ‥‥あら? ユリコがなんだか複雑な顔してる?

「どうか、した?」

 目をそらしたユリコの顔を覗き込もうとしたら、ぱっとこっちに振り返った。

「また、美墨さん?」

 え?

「いい実験なのよ、これ。でもやっぱり、またかって思うと‥‥
 な、なに言ってんだろね、あたし。いいや、忘れて忘れて」

 手を振って、また階段の方に歩いて‥‥だめ!

「ちょっと待って!」

 手を伸ばしても届かない。急いで立ち上がって、追いつかなきゃ‥‥あっ!

「きゃっ!!」

 立ち上がろうとした瞬間、レジャーシートがすべって、そのまま、倒れるっ!

「あぶないっ!」

 っと思ったら、わたしのからだが、なにかに乗っかった。

「ぷふぅ〜。‥‥ら、らいひょうふ?」

 下からつぶれた声。ゆ、ユリコ!?

「どうして?」

 起き上がって、ユリコを起こしてあげる間に、わたしはそれしか言えなかった。ありがとう、とか、大丈夫、とか、いろいろ言うことはあったはずなのに。でも、どうして?

「あったりまえでしょ? 友だちがケガしそうなとき、助けない人がいる?」

 まっすぐわたしの目を見て、ユリコがそう言った。ええと、その原因を作ったのって、ユリコ‥‥?

「化学部の他の子だって同じよ」

 わたしがちょっと頬をかいていたら、ユリコが続けた。なんだろう、って首かしげちゃったわたしの目の前に、人さし指立てて。

「ほのかが一所懸命だから、みんな『やろう!』って気になるの。ほのかが頑張っちゃうから、よけいな仕事させないようにしたいの。ほのかは、いるだけでみんなを動かしてるんだよ。だから‥‥」

 そこまで言って、ユリコがはっ、とした顔で黙っちゃった。

「だから?」

 わたし、意地悪だわ。そうは思ったけれど、聞かなくちゃいけない。ほんとの原因は、わたしなんだもの。

「だから、ごめん。あたし、信じなきゃいけないんだったわ。ほのかは、ちゃんと化学部のことも考えてるって。
 ‥‥うん。さっきのなし。この話、おしまい!」

 ふぅ。一応だけど、わかってくれたみたい。わたしも、ちょっと反省しなくちゃ。

「わたしも、ごめんなさい。今後は注意するわ。‥‥それでね、ユリコ。扇風機が足りないから、ガスがほしいんだけど‥‥心当たり、ある?」

 レジャーシートの上で深く頭を下げたあと、わたしはすぐ、さっき気になってたことを聞いた。ちょっと無理やりかもしれないけど、引きずっていいことないものね。

「ガス、ねぇ。たしか、さっき見かけたような‥‥あ、思い出した。保健室にあったんだ」

 ユリコが乗ってくれてほっとしたけど‥‥保健室に、ガス? それってまさか?

「酸素はだめよ、ユリコ。火を使うから」

「いや、そういうのじゃなくて‥‥まぁいいや。ちょっと借りてくる」

 あぁ、また階段のほうに走って行っちゃった。 入れ替わりに、他の子が戻ってきたから、追いかけることもできない。‥‥しょうがないわ。『化学部ではまず、部のことを考えて』よね、ユリコ。

 

「みんな、棒を持って集まってね。‥‥さぁ、実験の本番よ!」

「ねぇねぇねぇ、なぎさ。ホントに、ほんっとに屋上なん?」

 志穂が小さな声で訊いてきた。後ろをちらっと見たら、志穂も莉奈も、ほかのみんなも困った顔でまわりをちらちら見てる。

 あたしたち、み〜んなからジロジロ見られちゃってるもんねぇ。‥‥まぁ、校舎の中を、ラクロスの道具持ってぞろぞろ歩いてれば当たり前なんだけど。

「ほのかが屋上、って言ったら屋上なの。ほら!急がないと、たこ焼きおごりの刑だって!」

「それ痛いよぉ。今月おこづかい少ないんだからぁ」

 莉奈のホントにうんざりした声に、他のみんながざわざわし始めた。

 あたしは、志穂とだけ目を合わせて、ちょっとにっこりしちゃった。莉奈、ナイスアシスト♪

「だったら走る!それっ!」

 階段駆け上がるあたしの後ろから、なんだか殺気立った足音が続いてきた。

 

「ちょ、待った! ストップ、ストーップッッ!!」

 屋上に出る寸前、なにかにぶつかりそうになって、あたしは思わず大声出した。

 足を止めたら、後ろで志穂のつぶれた声が聞こえる。けど、あたしは目の前の方に気をとられてた。

「あれ? 弓子先輩??」

 屋上で待ってるはずなのに、なんでとびらの前で止まってるんだろ?

「先輩、どうしたんですか? 通れないから、早く屋上に‥‥」

 言ってる途中で、先輩がまっすぐ前を指さした。屋上の方。あたしがそっちに目をやったら、

「なにこれ!?」

 一面、半透明の布みたいのがかぶってる。屋上の端から端まで、びっしり。真ん中らへんは、あたしの胸ぐらいまでたれさがっちゃって、めくらないと入れそうにないよ。これで、なにやれって言うの??

 弓子先輩のとなりで、一緒になってぽけっ、としてたら、どこかから声が聞こえてきた。

「あ、なぎさ。いらっしゃい」

 この声、ほのか? でも、どこから? ‥‥うわっ、布からなにか出てきたっ!?

「ふぅ。ごめんね、ちょっと時間かかっちゃって。いまから仕上げするわね」

 そう言って、また布の中に戻ってった。

 しばらくして、布の奥から、

「みんな、いくわよ。せぇ、のっ!!」

 ほのかの声と一緒に、ブーン、っていう、なにか回る音がした。それと同時に、目の前の布がだんだん持ち上がってくよ。

「扇風機、これで全力でーす」

「コンロ少しつけてみて。弱火ぃーっ」

 「「「よわびぃ〜」」」

 ほのかの声に、化学部の子たちが応えてる。

「はい、中火ぃーっ」

 「「「ちゅうびぃ〜」」」

 ほのかがひとつ指示するたびに、布がまた、ちょっとずつ持ち上がってく。

 そのうち、入り口近くの布は、あたしの頭を越えた。

 

 その瞬間、目の前に、屋上が広がった。

 外は雨なのに、全然ぬれてない、広い屋上。

「すご、すご、すっごぉい! 屋上がドームになっちゃった!!」

 背中で志穂が声上げた。となりの弓子先輩があたしの顔見て、うんうん、ってうなずいてる。

 その顔見ながら、あたしはちょっとだけ、ほっとした。あたしも、ほんのちょっとだけ疑ってたのかもね。ごめん、ほのか。

 

 あたしは屋上に出て、ほのかさがした。先輩より先に、あたしからお礼言いたかったんだ。

 でも、屋上の奥のほうで見つけたほのか、すっごく困った顔してた‥‥

「ほのか‥‥大丈夫?」

 あたしはほのかのそばまで駆けてって、こっそり訊いてみた。まわりの化学部の子たちの目がちょっと痛いけど、今は気にしてらんないよ。いったい、なんなんだろう‥‥

「足りない」

 へ? なによ、ぼそって感じの、無愛想な声。‥‥あ、またなんか言ってる?

「ふくらみが足りないわ‥‥」

 あたしの方、ぼーっと見ながらほのかが言った。あたしの、胸のあたり。‥‥って!

「ちょ、ちょっとほのかっ! あんた、ひとのこと言えるの!?」

「え? なんのこと?」

 ほのかの目が、きょとん、ってなった。まさか無意識に言ったの?

「だから‥‥ふくらみ、って」

 あたしが言ったとたん、ほのかの顔が真っ赤になって、

「なんの話よ! わたしは、この膜が十分ふくらんでない、って言ってるの!!」

 一瞬、耳がキーンとなった。ったく、どなんなくたっていいじゃない‥‥って、なんだか背中が寒いな。そーっと後ろ見たら、うぁ! みんなの視線が、あたしたちに集まってる!?

「なぎさ、ちょっとこっち来て!」

 

 ほのかに引っ張られて、あたしたちは屋上の隅に寄った。

 まだ背中の寒気は続いてるなぁ。化学部の部活中に行くとよくこうなるんだけど、でも、今日はちょっと違う感じ。そっか、あの、メガネの子がいないんだ。

 階段の方からは、ラクロス部のみんなが上がってきて、軽く走ったり、柔軟したり。中にはクロスを軽く振って‥‥うわっ! あっぶない、もうちょっとで天井突き破るところだよ。

「‥‥ね。ラクロスには、低すぎるでしょ?」

 あたしの顔をじっと見ながら、ほのかが言った。さっきと同じ、困った顔で。

「もちょっと、ふくらませ‥‥」

 あたしは言いかけて、はっとした。そうだよ、それができるなら、困った顔なんてしてるわけないじゃない。

 なんて声かけたらいいか迷ってたら、ほのかが目を下げたり上げたりしながら口ひらいて、

「要はね、熱気球なのよ。バーナーの代わりにコンロと扇風機つかって‥‥でも、理科室の機材だと、普通のビニールしか作れないから。これ以上温度上げたら、膜がとけちゃうわ」

 それだけ言ってから、そのまま目線を落としちゃった。

 あたしはまた、天井を見てみた。ほのかにとっては『普通の』かもしれないけど、あたしにはまだ信じられないくらい。広い屋上に、化学部だけの力で天井作っちゃったんだもん。

 いいよ、って言ってあげたいんだ。これで十分だよ、ありがとう、って言いたいんだよ。でも‥‥いまのあたしは、ラクロス部のなぎさなんだ。練習できるから、ってみんな引き連れて来ちゃって、そうは言えないよ。
 ――しょうがない、か。せいぜい化学部に迷惑かかんないように、あたしがバカになって‥‥

「いいじゃん。これ!」

 へ?

 あたしたちが思わず顔を上げたら、そこに弓子先輩が立ってた。ニコニコ顔で。

「低いパス、なぎさ苦手だったよね? これなら誰もヘッドアップできないし、練習にもってこいじゃん」

 あたしは返事できなかった。ほのかの目は、先輩とあたしの顔を行ったり来たりしてる。

「い、いいんですか? これで??」

 目をまんまるにしたほのかの肩、先輩がたたいた。

「ありがと、雪城さん。使えるよ、これは☆」

 ちょっとだけ笑ってくれたほのか見ながら、あたしは見えないように息をついた。

 

「すみません、弓子先輩」

 ほのかから離れて、みんなのところに戻る途中、あたしは頭を下げた。

 その頭に、コツン、とひとつ軽いげんこつ。

「ほら、頭上げる! そんなことしたら、また心配かけちゃうよ。
 感謝の気持ちなら、練習で見せてもらおうじゃないの♪」

 にやって笑ういつもの顔が、あたしには見えた。

 顔あげなくても、頭の中に見えた。

「ヤバイヤバイ、ヤバイよぉ〜」

 人の少ない1階の廊下を、あたしは走ってた。

 なぎさがほのかちゃんとこ駆けてったから、今のうちに、ってトイレ行ったんだけど。どこもいっぱいで、1階まで降りなきゃなんないんだもんなぁ。声かけたのって莉奈にだけだし、あぁ、これじゃ練習始まっちゃうよぉ。

 階段はその角を曲がったとこ。よぉし、準備運動代わりに、くるっと回って勢いつけてそのまま‥‥って、いぃっ!?

「ちょっとちょっとちょっと! どいてぇぇっ!!」

 廊下の角の向こう側、鉄のかたまり抱えたメガネの子が、びっくりした目でこっち見てる。あたしはからだひねってなんとか避けたけど、そのまま階段に、ぶつかるっっ!!

「ぷぎゅっ!?」

 ‥‥って、あれれ? なんか、やわらかい。あぁっ、いまの子つぶしちゃった!

「ど、どどどーして? たしかに避けたのにぃ!?」

 ぱっ、とどいて、その子ひっぱり上げた。あ、この子って、化学部でいつもほのかちゃんと一緒にいる子じゃない。え〜と、たしか‥‥

「ユリコ‥‥そうそうそう!ユリコちゃんでしょ。化学部の」

「‥‥ったた。ついクセで、からだが動いちゃったわ」

 あぁ、やっぱり。あたしが倒れるとこの下に、もぐりこんできたんだ。

「ごめんねごめんね。ありがと、ユリコちゃん

 ユリコちゃん、きょとん、とした目であたし見てる。

「別に、助けたってわけじゃ‥‥そもそもは、廊下を走る久保田さんが悪いんですからね。なんであたしが‥‥」

 ぶつぶつ言ってるけど、ほっぺたが赤くなってるよ。うん。なぎさの気持ち、ちょっとわかる気がするな。

「ねぇねぇねぇ、屋上行くんでしょ? いっしょ行かない?」

 細い電柱くらいある鉄の容器かかえて、階段上ろうとしてるユリコちゃんにそう言ったら、なんだかむくれた顔になったよ。そっか、あたしも部外者だもんね。

「えへへへ。あたし、ちょっとトイレ探すの手間取っちゃってさ。ユリコちゃん手伝ってた、ってことなら、ちょうどいい理由になるんだけどなー♪」

 あたしが苦笑いしながらそう言ったら、ユリコちゃんがため息ついて、しょうがないな、って顔した。

「よぉし、屋上向けて、れっつごーっ!」



 そうは言ったものの、重いなぁ、これ。ガスボンベなのはわかるんだけどさぁ。

 タイミング合わせて、一段づつ上ってく。ボンベの向こう側は真剣な顔だぁ。でも、こーゆーのって、だまってると辛くなるだけなんだけどな。

「でもでもでも、化学部すごいよね。あんなの作っちゃうんだもん」

「ほのかが頑張ってるからよ。ウチはほのかで持ってるようなものだから」

 ちょっと話しかけたら、むすっとした声が返ってきたよ。でも‥‥へへ、やっぱ聞いてる通りの子だ♪

「そぉお? なぎさから聞いてるよ。ユリコって子が、化学部のことすっごく大事にしてるんだって。
 ノリすぎたら怒ってくれるあの子がいるから、なぎさは気軽にほのかちゃんのとこ行けるんだ、ってさ」

 ボンベの向こう、ちらっと見てみた。ユリコちゃんの目、メガネから飛び出ちゃうくらいになってる。

「うそ。美墨さんが、そんなこと‥‥!?」

 びっくりしてる、びっくりしてる♪ そうだよね、なぎさってば遠慮しないから、邪魔してるように見られちゃうもん。

「なぎさがね、前にあたしに相談に来たんだよ。『あたし、友だち取り上げちゃってるのかな』って」

 ユリコちゃんが下向いちゃった。信じられないかな? なぎさも、付き合わないとわかんない子だもんね。

 あたしは階段ちょっとおりて、腰かけながら見上げてみた。下向いてるユリコちゃん、困った顔じゃないよ。なんだかぼーっと、考えてる顔。

「なぎさってさ、カラッとしてるように見えるけど、実は心配性なんだよね。化学部でのほのかちゃんの立場とか、自分が嫌われてることとか、心配でしょうがないんだよ。ホントはさ」

 ぼーっとした顔を見ながらそう言って、あたしは黙った。

 なぎさはユリコちゃんのこと、もひとつ言ってたんだ。うん、なぎさは正しいよ。わたしも、なぎさと同じ感じ受けたもん。きっと、この子なら‥‥

 そう考えてる途中で、ユリコちゃんの目が光った。顔がにやっ、って感じになる。ほぉら、きた!

「‥‥ねぇ、久保田さん、ちょっとノらない?」

 そうそう。なぎさ言ってたもんね。『ホントはあの子、すっごいいたずら好きだと思うな』って。

「このガスって、実はさぁ――」

 ユリコちゃんの話ききながら、口が勝手に、にまーってしてくの、自分でもわかった。

「ねぇ、ほのか。これって‥‥失敗なの?」

「え?」

 ラクロス部が柔軟を終わったころ、テントの中で結果をまとめてるわたしに、声がかかった。

 顔を上げたら、化学部のみんなが、わたしを囲んでる。

「すみっこの方で、美墨さんと話してたでしょ。これじゃ、だめみたいなこと」

「‥‥ううん、そんなことないわ。ラクロス部の部長さんも、これでいい、って言って‥‥」

 ひゃっ! っていう声がして、みんなが一斉にそっちを見た。上がったボールを取ろうとして、クロスで天井引っ掛けちゃうとこだったんだ。

 あぁ、みんなの顔が曇ってくわ。

「か、化学部の力だけで、ビニール合成して、膜にして、屋上まるごと覆っちゃったのよ? 大成功じゃ‥‥」

 うわっ! って声でまたみんな振り向いた。ラクロス部の人たち、みんな天井気にしちゃってて、お互いぶつかりそうになってるんだわ。

「ほのか‥‥」

 遠くで、なぎさたちも心配そうな顔しているわ。あぁ、だめよ。こんな顔しちゃいけない、って思うのに。これじゃ笑えない、わよ‥‥



「おーい、なにやってんのよぉ!」

「どいてどいてどいて〜っ!」

 みんなになんて声かけたらいいか考えていたら、いきなり大きな声が飛び込んできた。顔を上げたら、目の前に鉄の容器。その影から出てきたのは‥‥ユリコに、志穂ちゃん?

「うちは薄情よねぇ、まったく。だ〜れも手伝ってくれないんだから。久保田さんに会わなかったら、どうなってたか」

「えへへ。まだ始まりそうになかったんで、ちょっとトイレ行ってきたら、ユリコちゃんが困ってたからさ、いっしょに持ってきたん」

 ユリコがラクロス部の人に手伝ってもらうなんて、珍しいわ。だけど‥‥

「もってきたって、それ?」

「そう。ガスボンベ」

 ユリコを疑うわけじゃないんだけど、気がついたらわたしは口に出していた。

「‥‥酸素じゃないわよね?」

「大丈夫よぉ。窒素なんとか、って書いてあるから」

「チッ素って、燃えなくて安全なんでしょ。あたしだって、そのくらいわかるんだから♪」

 ユリコと志穂ちゃん、ふたりで顔見合わせて、笑ってるわ。そうね。密室じゃないんだし、窒素なら‥‥うん、これで一気にふくらませられる!

「助かったわ。ありがとう、志穂ちゃん、ユリコ。それじゃ、みんな離れて」

 わたしがふたりに頭を下げるのと同時に、志穂ちゃんが叫んだ。

「ちょっとちょっとちょっとぉ〜! ラクロス部ぅ、練習ちゅうだ〜ん!!」

 そのとたん、なぎさがこっちに飛んできたわ。わたしは簡単に説明して、ラクロス部の人たちをこっちに集めてもらうことにした。

「ほのかのすることは信じてるけど‥‥だいじょぶだよね?」

 なぎさがこっそりそう訊いてきたのには、笑ってしまったけど。

「毒じゃないけど、濃すぎるのを吸うと息が苦しくなるはずだから。屋上中に薄まれば問題ないわ」

 とりあえず納得して、走っていくなぎさの後姿を見ながら、わたしはついに吹き出しちゃった。それはね、信じてない、っていうのよ。なぎさ。

「それじゃ、いっくよぉ〜」

 化学部とラクロス部の全員が見守る中、なぜかユリコと志穂ちゃんがボンベの脇に陣取ってにやにやしてる。気があったのかしら?

「さん! にぃ! いちっ! はっしゃっ!!」

 志穂ちゃんが手を振り上げるのと同時に、シューッ、っていう音が、あたりに響いた。

 わたしは、ビニールの天井と、手すりの部分を交互に確認した。‥‥うん。少しづつ、少しづつ、持ち上がってるわ。

 シューッ、っていう音が続いている。勢いはまったく変わらない。さっきまで、ちょっとへこんでいた天井も、だんだんふくらんできてる。

 なぎさがクロスをひょい、っと振ったけど、天井まではクロス半分遠い。そのまま、わたしに親指立てて合図してくれた。うん。これなら、本当にドームにできるかも‥‥

 ‥‥あ、あら? なんだか、ぼぉっとして、顔が勝手にほころんでいくわ。変ね?

 まわりを見たら、なぎさも莉奈ちゃんもにやーっ、ってしてた。ユリコと志穂ちゃんは最初からだけど。すこしづつ、ビニールの天井が持ち上がっていくにつれて、みんながにやー、って‥‥

「ちょっとユリコ。これ、ほんとに窒素?」

「ん〜とね、エヌツーオーって書いてあるよぉ」

 NO? ええと、酸化‥‥いいえ、亜酸化、窒素。‥‥って、ちょっとまって!?

「ユリコ、ストップ! これって笑気‥‥笑いガスよ!」

 とっさにハンカチで口と鼻を押さえて、ボンベに走り寄ったわたしを、ユリコが止めた。はっとして見上げたら、ハンカチで口元おさえながら、首を横に振ってる。‥‥わざとね、ユリコ!

「みんなみんなみんなーっ! すごいドームを作ってくれた化学部を代表してぇ、ほのかちゃんを、胴上げ〜っ!!」

 な、なに!? 志穂ちゃんの呼びかけに、ラクロス部の人たちが反応してる? わたしを取り囲んで‥‥あぁ、ほんとに胴上げになっちゃったわ。

 そっか。笑気ガスって、ちょっとした催眠効果があるのだったわ。‥‥はぁ、しょうがないわ。さめるまで胴上げしてもらうのが一番平和ね。

「化学部、ちゅうもーく! 大実験に協力してくれたラクロス部を代表してぇ、美墨さんにぃ‥‥みんなでキスしちゃえっ!!」

 えぇっ!ユリコ!?

 わたしは『ごめんなさい』って言いながら手足じたばたさせて、手の波から出ようとした。あぁ、あと1mがこんなに遠いなんてっ!

「そぉ、れっ!」

「うひゃぁっ!」

 なぎさの声!! ‥‥うん、もうなりふり構ってられないわ。わたしは両足を全力で蹴り出すと、ちょっとだけ開いた隙間に向かって飛び込んだ。

「なぎさっ!」

 化学部のみんなのまん中で、なぎさがぼーっとしてる。わたしはその中に突っ込んで、両手を開いた。

「みんな、目を覚ましてっ!!」

 あぁ、みんなの後ろから、ラクロス部の人たちがせまって来てる。わたしひとりじゃ、どうにも‥‥っ!!

「はいはいは〜い、そこまでぇ!」

 え?

 志穂ちゃんの声がした、と思ったら、みんなが笑いながら立ち上がって、あちこち散っていくわ。

「これって‥‥?」

 なぎさの顔をちらちら確認しながら、まわりを見てたら、

「ごめんね〜、ちょっと、やりすぎたみたい」

 志穂ちゃんの声が、上から聞こえてきた。

「笑気ガスは最初の1分だけ。あと出したのはただの窒素ガスよ」

 反対側から、ユリコの声。ただの窒素? それじゃあ‥‥

「そうそうそう、さっき集まったときにね、みんなに話したんだよ。感謝のしるしを、ふたりに贈ろう、ってさ」

「口で言うのって、テレくさいじゃない? だから」

 ふたりがクスクス笑いながら話してるの聞いてたら、だんだん頭が痛くなってきたわ。要するに、わたしたちはただのダシ、なわけ?

「あたしたちはぁ、きっかけつくっただ〜け。いいアイディアでしょ

 わたしが両手振り上げたら、ふたりとも急いで逃げちゃった。もう、怒ってもいないけど‥‥ふぅ、なんだか疲れちゃったわ。



 トン、って背中が重くなって、振り向いたらなぎさがわたしに寄りかかっていた。頬や首のあたり、キスマークでいっぱいになりながら、眠っているわ。はじめに近くにいたから、笑気を多く吸っちゃったのかもね。

 頭の上の髪どめをちょっとはずすと、栗色の髪がわたしの腕に当たる。痛んじゃって硬すぎなんてよくボヤいてるけど、指ですく(・・)と気持ちいいのよね。

「ラクロス部を代表してぇ、美墨さんに、キスしちゃえー」

 寝顔を見ながら髪をなでてたら、なんとなく、さっきユリコが言った言葉が口からこぼれてきた。

 ――わたしも化学部員、よね?

「‥‥はーい

 目が覚めたら、ちょうど練習が終わるところだった。あ〜あ、一日サボっちゃったよ。

 でも、みんなは別に嫌な顔もしてないし‥‥それに、化学部の子たちと一緒になって、クロスの振り方教えてたり、おしゃべりしたりしてる。なんなんだろ?――ま、仲良くできるのはいいことだけどね。


 ほのかは化学部のテントで、なにか書いてるみたい。実験のまとめかな? 成功してよかったよね。

 ‥‥化学部っていえば、寝る前になんかあったんだよね。志穂がガス出して、化学部の子に囲まれて‥‥あれ? なにかされたような気がするけど、なんだったっけ??

 なんか最後に、ほのかの顔がすぐ近くにあったような気もするなぁ‥‥

「よっ! なぎさ、起きた?」

 いきなり背中叩かれて、振り向いたら、弓子先輩がいた。

「今日はごくろうさま。おかげで、いい練習になったよ」

 ん?? なんのことだろ? 練習もしないで寝てたのに、ごくろうさま、って??

「いやー、楽しかったねぇ。またあした、雨でもいいかもね♪」

 先輩のニヤニヤ笑い見てたら、なんとなく冷や汗出てきた。思わず見上げた天井に、雨の影がぱらぱら見える。

 あたしは、思わずつぶやいた。



「あぁ、な〜んで、晴れないんだろなぁ‥‥」

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