つきのないひはつきなくて

「あ、(さき)。月よ」

 舞に言われて見上げた空に、のんびり月が出てた。

 すっかり夜になっちゃった、学校からの帰り道。冷たい風の中に、なんだかあったかく光ってるな。

「細っそいね」

 あたしがそう言ったとたん、隣でぱたん、って音がした。

 スケッチブックが閉じた音。いままで、歩きながらなにか描いてたんだね。

「これから、どんどん細くなるわ」

 鉛筆をカバンにしまってる舞が、ぼんやり照らされてる。あたしは、また見上げた。

「なんかさ」

 思わず口に出ちゃったあたしのとなりで、ん?っていう気配がする。

「月ばっか見てる気がするなぁ。今年は」

 カサカサって音がして、あたしの前になにかが出てきた。

「‥‥そうね」

 透明な袋に入った、黒くて丸いものがいくつか。舞がまっすぐ伸ばした手の先に、ちょこん、って乗ってる。

 ‥‥そっか、もうすぐなんだ。

「今月は、つぎの日曜、ね」

 てくてく歩くあたしたちを、細ぉい月が、ずっと照らしてた。

「最初は、舞が言い出したんだよね、これ」

 日曜の夜。わたしの家に来た咲が、いきなり言ったの。

 わたしが部屋のすみから、三方(さんぽう)をふたつ取り出したとき。

「そうだけど‥‥きっかけは、咲よ」

 わたしは、小さい三方にあの黒いのを乗っけながら、そう言ったんだけど、

「そうだっけ?」

 もう、咲ったらすっかり忘れちゃってるんだから。

「咲、言ってたじゃない。『なんだか、もう月が出ないみたい』って」

「それ、舞が言ったんじゃなかった?」

 はぁ。ひとのことは覚えてるのに、自分のこと忘れちゃうのよね、咲って。‥‥まぁ、()()()けど。

 それじゃ、大きい三方には、さっき作ったのを乗せて、と。

「ちがうわ。ちゃんと覚えてるもの。新月で暗い夜、一緒に学校から帰った日よ
 ‥‥さ、できた。ベランダ行きましょ」

 ベランダに行く途中、お兄ちゃんとすれ違った。咲がちょっと縮こまっちゃったけど、ふたりとも会釈だけしてそのまんま。

 ‥‥最初はヘンな顔してたなぁ、お兄ちゃん。なんでそんなことするの、っていう顔で。でも、手伝うって言ってくれたとき、お兄ちゃんでも男の子はダメ、って言ったらもう何も言わなくなっちゃった。

 むかしから、女の子のことにはあまり関わらないのよね。お兄ちゃんは。‥‥あら? でも咲のこと、よく見てたりもするわよね?

「‥‥やっぱり、きっかけって、舞だよ」

「え? きゃっ!?」

 そんなこと考えてたから、咲の声が聞こえてきた瞬間につんのめりそうになった。

 目の前に回りこんだ咲が、三方ごとわたしを受け止めてくれて、ほっとしたけど、

「そっか、忘れちゃったんだ」

 頭をかきながらこっち見てる咲が、とっても複雑な顔してるわ。

 あきれてるみたいな、ほっとしたみたいな、困ってるみたいな‥‥?

「夏休みが終わって、授業始まった日にさ、先生が出席番号順に当ててったじゃん。けど‥‥ふたり分、飛んでてさ」

 あっ‥‥!

「英語でも、数学でも、歴史でも。あたしもイヤだな、って思ってはいたけど‥‥
 体育で、跳び箱跳ぶ順番が飛ばされたときだったよね。舞が手で顔おさえて、泣きだしちゃったの」

「そ、そうだった?」

 そう言いながら、わたしはベランダに飛び出した。暗い空の下なら、赤い顔がわかんなくなるから。

 思い出したわ。あの日、ぽっかり空いた――(みちる)さんと(かおる)さんの机のあとを見るのがイヤで、ずっと窓の方ばかり向いてたのを。ずっと我慢してたんだけど、体育でとうとう耐え切れなくなっちゃったのを。

「そうだよ。ごまかすの大変だったんだから。
 ‥‥で、その日がちょうど新月でさ。真っ暗な空見ながら帰ってたら、舞の泣き顔思い出しちゃってね。怖くなったんだよ」

 咲がわたしを追い越して、ベランダの手すりから空を見上げてた。

「そっか‥‥」

 わたしは咲のとなりに立って、間にふたつの三方をそっと乗せた。


 咲との間にある三方には、黒いお月見だんごが静かにすわってた。

 しばらく、あたしは黙って、月のない夜空を見上げてた。

「泣き出しちゃったの、ほんとはあたしが先なんだよね‥‥」

 真っ暗な空を見てたら、つい口からこぼれちゃった。

 舞はなんにも言わない。聞こえなかったのか、聞こえないふりしてるのか知らないけど。

 あたしは横目で舞の顔を確かめてから、また空を見上げた。



 ――夏休みの間、学校に行くのはソフト部のあたしの方が多かったんだ。

 だから、なんとなく‥‥ほんとに、なんとなくなんだけど、みんなにも何度か話してみたんだよ。ちょっと変わった子がいたよね、どうしてるかな? って。

 そしたら、ちょうど舞が来てるとき、仁美と優子が言ったんだ。『あぁ、ブアイソーな子?』って。


『思い‥‥』

『出してる‥‥!?』

 舞とあたしで顔見合わせたっけ。あのときのあたしは、何も考えないで、みんなに話そうとしたんだよ。

『みんな、それっ‥‥いたたたっ!!
 舞! なにすんの‥‥よ?』

 だけど、舞は考えてた。

『ダメよ、いま思い出させちゃ』

 あたしより、ずぅっと。


『みんなにも、こんな思いさせたいの!?』


 いまでも、はっきり耳に残ってるよ。ほかの人に聞こえないくらい小さな声。だけど、

『思い出しても、なにも‥‥なにもできないのよ?
 こんな思い、わたしたちだけで、いい‥‥っ!!』

 胸がつぶれるくらい、痛くて、苦しい声。

 それで、あたしは思わず泣いちゃったんだ。回りに優子たちがいるのに、もうどうしようもなくて――



「咲‥‥いい?」

 となりから、声が聞こえてきた。あのときと同じ口だけど、いま出てくるのはやさしい声だね。

 あたしが舞のほうを向いてうなずいたら、ぱん、って音がした。舞がひとつ、手を叩いたんだ。

「それじゃ、始めましょ」

 大きい方の三方から、黒いお月見だんごがひとつ、消えた。

「さ〜き? 食べるのは、お祈りのあと!」

 口に入れる寸前で、なんとか指が止まったわ。ふぅ。

「ごめんごめん。お腹すいちゃってさ」

 しょうがないなぁ、って思うけど、クギだけはさしておかなくちゃ。

「小さい三方のならいいわよ♪」

 にっこり笑って言ってあげたら、苦笑いが帰ってきた。

「カンベンしてよぉ。もう、2ヶ月たってるじゃん、それ」

 わたし、思わず吹いちゃった。2ヶ月、か。もう、そんなになるのね。あの日から。



 ――あのとき、咲の声を聞いて、わたしもすっごく怖くなったのよ。

『なんかもう、月が出てこないみたいだよ‥‥』

 もう本当に、二度と会えないんじゃないか、って。そう思っちゃうくらい、怖いことばだった。

 覚えてるのは咲とわたしだけ。ほかの誰にも言えない‥‥言っちゃいけない。フィーリア王女には『強く思い続ければ』って言われてるけれど、このまま黙っていつまでもなんて、とても‥‥

 ‥‥ちょっとまって。

『ねぇ、咲。きょう、お月見しない?』

『お月見? って、今日は月なんてないよ??』

 ぽけっ、とした声の咲を見て、思わず笑いそうになっちゃった。そう、そうよね。おかしな話よ。つきのないお月見なんて。

 でも、それでもいいじゃない。黙って、じゃないんだもの。

『そうよ。黒いお月見だんご作って、闇夜にお祈りするの。つきが、また――』

 咲の顔がすこし柔らかくなったのを見て、私は思ったの。これでいいんだ、って――



「それじゃ、いくわよ?
 ――『つきが、また満ちますように』」

「――『かぜが、また薫りますように』」

 咲とわたしの声が、闇夜に響いていった。

「この間ね、安藤さんが思い出しかけてたのよ」

 お祈りが終わったら、舞がお茶を出してくれた。大きな三方に乗った、しょうゆ味のお月見だんご食べながらお茶飲んでると、毎度だけどほっとするんだよね。

「お掃除の時間にね、机のあったとこ、じーっと見てたの。なんで机がないんだろう、って顔で」

 真っ暗な空の下で、このときだけ話すんだ。みんなが、ちょっとだけ思い出してること。

「みのりもだよ。宿題持ってお店に出てきたと思ったら、外のテーブルのとこまで行って、しばらくじっとしてたっけ」

 ‥‥ほっとするのって、お茶とおだんごのせいだけじゃないや。ひと月分、黙ってたことを声に出してると、からだが軽くなってく感じがするもんね。

「‥‥消えてないね」

「うん。消えてなんかいないよ」

 目の前の顔が、すっきりした笑顔になった。舞も同じなんだ、って思えるの、今はすっごく嬉しいんだよ。

 いつの間にか、大きな三方のおだんごがカラになってる。今月はおしまいだね。

 また来月‥‥来月の、つきのない日、か。

 あたしはちょっと、小さい三方のおだんごにさわってみた。一番最初に作った、黒いお月見だんご。もうカッチカチで、すこしハゲてきちゃってるの。

「つきのない日‥‥いつか、尽きなくちゃ、ね」

 あたしがうなずいた瞬間、ぱぁっ、と光が動いた。ふたりで見上げた空に、流れ星の終わりのとこが、ほんのちょっとだけ見えてる。

 偶然、だよね。普通に考えたら。でも、

「心配しないで」

「だいじょぶだよ。がんばるから‥‥」

 あたしたちには、その向こうに見えたんだよ。ほんとにちょっとの間だけ見せてくれた、あのふたりの笑顔が――

「――なに、これ?」

 その月の、つきのない日。わたしの家のベランダには、ちょっとだけ無愛想な顔がふたつ、並んでたの。

「お月見だんごよ、満さん」

 わたしがそう言うと、ふたり――満さんと薫さんが、顔を見合わせちゃって、

「お月見?」

「月がないのに?」

 ふふっ。吹き出さないようにするのがたいへんね。

「そう! つきのない日のお月見だよ☆」

 咲が、ニカッ、って笑顔で応えてくれた。咲のこういうとこ、とっても助かるわ。

「お月見だんご‥‥黒い、のね?」

 満さん、まだ納得できないみたい。しかたないかもしれないけど。

「つきのない日のおだんごだからよ。さぁ、召し上がれ☆」

 ちょっとだけ咲のまねして、にこっ、って笑ってみたら、薫さんの手が伸びてきた。

「薫?」

「咲たちがいいなら、いいんじゃない?」

 やっぱり不思議そうだけど、満さんも食べてくれてる。うん!

「さぁ、食べて食べて。なんたって今日は、ただの『つきのない日』なんだから♪」

 おだんご運んでる咲の向こうに、ほんのちょっと柔らかくなったふたりの顔が見えた。



 ただの『つきのない日』‥‥尽きないと、いいな。

『小説?小噺?』へ戻る